第32話 咆哮

 口を抑えられ思うように叫ぶことすらできないエリザベスは、ただ静かに男の手のなかで声をあげていた。




 男の指の隙間から流れる大量の赤い血が、本当にエリザベスは刺されたんだとアルヴィスに強く認識させるには十分な光景だった。




 そして男が力強く短刀を引き抜くと、今度は手では受け止めきれないほどの血がエリザベスの口腔から吹き出した。同時に首もとからも血飛沫が飛び散り、貫通した穴からは血液がドロドロと流れ垂れる。




「おっほっ、おっほっほ、おっふぉっふぉっふぉ!」




 それを見たフレデリックは、手を叩きながらその独特な笑い方で大喜びだ。




 エリザベスを刺した部下は、力の抜けきった彼女をまるで不要な荷物のようにその場に放り棄てた。




 そして手を振り、ついた血を飛ばしている。きっとこういうことに慣れているのだろう。自分の腕の中で1人の人間を殺したというのに、男は眉ひとつ動かさない。




「うおっ、ぐぉっ、ぬぅ、ぬああァァああぁぁッッッ――――!!」




 エリザベスが地に倒れた瞬間、アルヴィスは声にならない悲痛の嘆き声をあげた。




「いい気味だ糞ガキ! 私に歯向かうからこうなるのだ!」




「よくも…………」




「――んあ?」




 フレデリックが笑っていると、ギリギリ聞こえるような極々小さな声でアルヴィスが何かを話し出した。




 その声に反応したフレデリックは間抜けな声を出してしまう。




「よくも、エリザを……。よくも……よくも……。エリザは……学院でできた、初めての……仲間、なのに…………――殺す……ぶっ殺ォすッ!!」




 アルヴィスは瞬時に左脚と右拳にありったけの魔力を込め、一足飛びでフレデリックに跳び掛かる。




「バカが、糞ガキ」




 一歩に全力を込め一直線に跳んだアルヴィスだが、2人の間にもともと立っていたマルコがアルヴィスの脇腹を蹴り、弾き飛ばす。




 アルヴィスは庭園の花壇に背中から突っ込み、ピクリとも動かなかった。




「……俺は……なんて、無力なんだ……」




 ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ彼の瞳が、光っていた。そこから溢れ出る滴が静かに頬を伝う。




 アルヴィスは泣いていた。大切な人を目の前で失ってしまったことに。悔しさに。そして、自分の無力さにだ。




 だから彼は立ち上がる。




 エリザベスがこんなことになってしまったのも、すべては彼の目的のため。そして、彼の弱さのせいだ。




 自分も死ぬ前に、せめて仇はとろうと。それが死んだエリザベスの為になるとアルヴィスは信じている。




 涙を拭い、脚を引きずりながらも一歩一歩ゆっくりとフレデリック達へと近付く。




 そんなあまりのしぶとさに、フレデリックも思わず後ずさってしまった。




 その事実に自分自身も驚き、思わず脚を見る。




 すると、徐々に肩を戦慄かせはじめた。




「マルコぉッ! そやつを今すぐ殺――」




「――――かは……っ」




「――せいッ!」




「何か、仰いましたか?」




 フレデリックが命令を下す前に、マルコはアルヴィスに留めの突きを腹部に見舞っていた。




 繰り出すその手は炎に包まれ、アルヴィスの腹筋を突き破り内臓にまで届いている。中から焼かれ皮膚が溶けかけていた。




 アルヴィスの手はダランと下げ落ちていてすでに力は感じず、頭はガクリと上を向いている。そして全身が痛みのせいか痙攣し震えていた。




 眼も白眼をむき、完全に気を失っている。




「お、おお、よくやったマルコ。褒めてつかわすぞ」




 命令を下す予定だったフレデリックでさえ、あまりの光景にマルコに恐怖しているようだ。




「お褒めに預かり光栄です、男爵」




 アルヴィスから腕を引き抜いたマルコは、執事服の胸ポケットに入っているハンカチを取り、手に付着する血を拭きながら振り向きお礼を言う。




 そしてゆっくりと、現在の主人であるフレデリックに近づいていく。




 振り向いた顔が平常の顔に戻っていたので、フレデリックも安堵し迎え入れるような姿勢で待つ。




 その時だった。




 灯りが無ければ暗くて足元もおぼつかないような暗闇のこの時間、この時間で自然的にはありえない光量が突如として庭園を照らした。




 あまりにも突然な出来事、光に、フレデリックをはじめ部下たち全員も腕で眼を覆う。




 だがこの場でただ1人、マルコだけが眼を隠しながらも後ろを振り向き、光源であるものを見る。




(な、何が起きている!? これはあいつが起こしているのか!? 一体あいつはなんなんだ!?)




「――糞ガキぃ……っ!」

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