突然妻がとびっきり甘えてきて、困ってます

桃口 優/ハッピーエンドを超える作家

一章 「『イベント事の日!?』」

一話

瑞貴みずきちゃん、足りないよ」



 僕、山本 瑞貴は、妻である山本 花音やまもと かのんに突然そう言われた。


 彼女の胸まであるカールした茶色の髪が少し揺れている。

 今日は一月一日で、僕は仕事が休みだ。だからゆっくりと一緒に夕食を食べているところだ。

 僕達は今、家のこたつに隣同士で座り、おせちを食べている。こう座っているのは、決して部屋が狭いからと言う理由からではない。むしろ、たぶん部屋は広い方だ。「向かい合わせはなんか距離があって嫌だ」とある日彼女が言い出してから、ずっと僕たちはこんな座り方をしている。

 ちなみに、彼女は家事全般ができて、その中でも特に料理が得意だ。

 だから、料理もいつも美味しいものを作ってくれる。今日の料理の味ももちろん美味しいし、きっと足りないのは調味料などの話ではない。

 一体何が足りていないというのだろうか。

「花音ちゃん、突然どうしたの?そして、何が足りないの?」

 僕は三十一歳で、彼女は二十三歳だけど、僕達はお互いに名前にちゃんを付けて、呼びあっている。

 最初は僕はちゃん付けで呼ばれることに抵抗があった。今まで誰かにそんな風に呼ばれたこともないし、僕の方が年上だから。でもそう呼ぶときの彼女の顔がとてもかわいらしいから、それでもいいかなと思えたのだ。

 今は、同じ呼び方については別に、好きでも嫌いでもどちらでもなかった。それに正直そんなにそのことについて深く考えたこともなかった。

「私達、結婚したのよね?」

「そうだよ。そのことで何か話があるのかな?」

 僕達は、去年の十一月に結婚した。

 それと『足りない』が何が関係があるのだろう。

「きゅんが足りないよ!結婚したのに、きゅんが足りないのは、瑞貴ちゃんやっぱおかしいよ」

 彼女は突然勢いよく立ち上がった。

「まず落ち着いて。ゆっくり説明して。ねえ?」

 これは大事おおごとのような気がして、僕はいつもよりしっかり聞くように箸を置き、彼女の方を向いた。

「とにかく瑞貴ちゃんからきゅんが足りないよ。確かに愛してくれてるのはわかるよ。いつも本当に私のためにいろいろありがとうって思ってる。でも、足りないものは足りない。うん、決めた!今日から『イベント事』の日には、瑞貴ちゃんがきゅんとする言葉や行動をとって、私をきゅんとさせて。これは私たち夫婦の大切なルールだからね」

 彼女は早口でそう言った。

 それに比べ、僕はゆっくりと確認をとった。

「確かに『夫婦の間でもルールが必要だよね』と昨日話したばかりだよね?そのルールが僕が花音ちゃんの決めた『イベント事』の日という日に、きゅんとさせることで間違えてない?」

 たまたま昨日夫婦の間でルールを作るかどうかニ人で話し合っていた。

 その時は、そこまで深い話し合いにはならず、特にルールも決まったりしなかった。

 それに僕はルールに関しては、正直あまり必要じゃないかなと思っていた。彼女が楽しければ僕はそれでよかったから。

「うん、さすが、私の大好きな瑞貴ちゃん。飲み込みが早い。その通りだよ」

 しれっと「大好きな」という言葉を彼女は付け足してきた。

「なるほど。でも、いきなりきゅんとさせてと言われてもなあ」

 僕は少し頭を抱えた。

 もちろん彼女のことは愛しているけど、彼女が何にきゅんとするかすぐにわからなかったのだ。

「そんなに難しく考えなくて大丈夫よ。ただ私を好きな気持ちを、いろいろな言葉や行動にしてくれたらいいだけだから」

「うん、わかった。とりあえずやってみるよ」

 正直無茶苦茶な注文だと思ったけど、僕は聞いてみることにした。

「瑞貴ちゃんはまじめだから、きっとできるよ」

「うん」

 僕は、不安でもあった。

 ちゃんと彼女の求めているように応えられるだろうか。いや、そもそもどう応えたらいいかすら全然わからないのだから。

「早速、今日は『イベント事』の日だね」

 彼女は目の前に飾ってあるカレンダーをみて、目を輝かせた。

 彼女のくるっとカールしたまつ毛がはっきりと見える。

「えっ、今日は何かの記念日だったかな?」

 僕には、思い当たるものが全くなかった。

「今日は一月一日。正月じゃない。立派な私たちの『イベント事』の日よ」

 僕は頭の中ではてなマークがたくさん浮かんだけど、何も言わなかった。

 そして、この時の僕は彼女の決めた『イベント事』の日というものが、壮大なものだと全く気づいていなかったのだった。

「正月は、家族が元気に暮らせるように神様にお祈りする日よ。家族のことを思う日。それはつまり、私たちにとって立派な『イベント事』の日じゃない!」

「うっ、うん、そうだねー。で、きゅんとさせるかあ」

 彼女は前のめりに話してきてるし、その勢いに負けた感は大いにある。

 急に自信満々に話されると、誰でもびっくりするはずだ。

 でも、彼女の熱い言葉に反して、僕は正直なぜ今日が『イベント事』の日になるのか、いまだに一ミリもピンときていなかった。

「そうそう、早くぅー」

 彼女は突然いつも出さないようなふにゃふにゃとした声を出して、むぎゅっと腕にくっついてきた。

 普段彼女はスキンシップをとるタイプの人ではない。

 「えっ、なになに?突然どうしたの??『イベント事』の日というより、実は本当は何か買ってほしいものでもあるの?」と思うほどの変わりっぷりだった。

 でも、どんなに甘えられても、僕には本当に突然すぎて何を言っていいかわからない。

 そして、きゅんとは考えてさせるのものなのかな?という疑問も頭に浮かんだ。

 考えた末に、「花音ちゃん、大好きだよ」と僕はそれだけ言った。

「まあベタだけど、最初だからいいかな。ありがとう」

「こんな感じでいいのかな?」

 僕は、彼女に確認をとった。

「まあまあ今後努力してくれるって言ってたし、次の『イベント事』の日は期待してるね」

 彼女はわかりやすく物足りないような顔をしていた。

 「あれ?実はあんまり満足してない?もっと違う言葉じゃなきゃダメだった??」と僕は一層頭を悩ませることとなった。

 そして、彼女の言葉には、気になることがあった。

「もしかしてだけど、次の『イベント事』の日は、いつか教えてくれないの?」

「教えないよ。だってその方がサプライズ感があって楽しいじゃない?」

 僕は「それは誰に対するサプライズ?」とつっこみたくなったけど、グッとその言葉を飲み込んだ。

「うん、そうだよね」


 こうして、僕にとって彼女をきゅんとさせるというミッションが始まりを告げたのだった。

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