閑話:ディートフリート視点 猫頭の軌跡 1

「貴方があんまりカッコいいから、つい見とれちゃいました」


 周囲から「可愛い」「可愛い」と言われて育った僕には、『カッコいい』という単語は不思議だった。

 可愛いと言われて嬉しくなかったわけじゃない。

 ただやはり僕も男だったから、『可愛い』より『カッコいい』が嬉しかったのだ。

 だからもう一度『カッコいい』という言葉が聞きたくて、それを初めて口にした女の子の側にいることにした。


 ティナという名前のその女の子は、とにかく生意気な女の子だった。

 顔は可愛いのだが、言うことが万事手厳しい。

 せっかく遊びに誘ってやっても、迷惑そうな顔をして女中メイドの背後へと隠れるぐらいで愛想もない。

 愛らしい顔で微笑んでくれたのは、初めて会った時だけである。

 それでも『カッコいい』という言葉をもう一度引き出したくて付き纏っていたら、ティナは大きな青い目を瞬かせ、こう言った。


「わたしはディートを嫌いですよ?」


 『カッコいい』という言葉を聞いたのもティナの口からが初めてだったが、『嫌いだ』と言われたのもティナが初めてだ。

 ティナは『嫌い』という言葉以外にも、僕が考えもしなかったようなことを次々に聞かせてくれた。

 それらの言葉の一つひとつがグサグサと心に突き刺さるのだが、不思議とティナを嫌いにはなれなかった。

 ティナの言葉は耳に痛いのだが、ちゃんと僕の目を見て話してくれるのが嬉しかったのだと思う。

 乳母や女中は僕を見て『可愛い』としか言わなかったが、ティナは『カッコいい』『嫌い』『泣かされたいですか』『構わないでください』と実にさまざまな言葉をくれる。

 嫌だ、嫌だと言いながらも、律儀に約束を守って一日三回までは盤上遊戯ボードゲームに付き合ってもくれた。

 そんな人間は、これまで周囲にいなかったのだ。


 嫌いと言われた日は、我ながら情けないほどに落ち込んだ。

 キュウベェがラガレット中を回ってお菓子を買い集めてくるほどに塞ぎこみ、ゴロゴロとベッドで不貞寝をしたのを覚えている。

 普段は僕に対して何も言わない曾祖父様も、ベッドの端に座って僕の頭を撫でてくれながら言ったのだ。


「女の子は、付き纏いすぎては嫌われるぞ」


 嫌われる前に教えてほしかった。


 その後いろいろあって、ラガレットの街でティナと別れたあとは、僕はなぜかマンデーズの街に滞在することになった。

 どうもティナの兄の差し金で、これまでの環境とはまったく違う環境に僕を置いてはどうか、とマンデーズ砦の城主に与えられる館を紹介されたのだとか。


 この館の人間は、確かにこれまで僕の周囲にいた人間とは違った。

 乳母のナディーンは昼まで寝ていても怒らなかったし、子守女中ナースメイドだってきちんと座って食事を取っただけで褒めてくれた。

 しかし、この館の使用人たちはまるで違う。


 午前のうちから叩き起こされ、食事の時は姿勢が悪いと注意され、返事を返さなければ同じ内容を何度も聞かされた。

 目上の者への挨拶、同格の兄弟たちへの挨拶、使用人への挨拶、商人、平民への挨拶とさまざまな挨拶を叩き込まれ、僕を椅子へと縛り付けて勉強をさせようとした。

 自分たちに対しては『使用人に接する態度をとるように』と言っていたので、僕の方が上位の人間だと解ってはいたはずなのだが、とにかく手加減というものがない。


 ここのイリダルという家令は、使用人ブラウニーでありながら僕を羽虫か何かのように蔑んでいた。

 王族という立場に生まれながら、十歳にもなってこんなこともできないのか、と毎日細々としたことを注意してくる、実に嫌な男だ。

 使用人の命令など聞けるか、と抵抗すれば食事を抜かれ、曾祖父にこの使用人の暴挙を言いつけても流され、あろうことかこの家令を良い躾を行ってくれる出来た使用人だ、と褒めもした。

 なにより辛いのは、マンデーズの館にはティナの子守女中と同じ顔をした女中が二人もいたことだ。

 彼女たちの顔を見るだけで、ティナの前で粗相してしまった自分を思いだし、辛い。


 言葉遣いや姿勢を直され、これまでは嫌だと言えば片付けられていた勉強と向き合わされ、粗相トラ記憶ウマを思いださせる顔に囲まれての、本当に辛い生活だった。

 文字なんて読めなくとも、絵本ぐらい子守女中に読ませればいい。

 そう思っていたのだが――


「これはティナお嬢様の字ですね」


「あら、本当。お嬢様、お元気そうで……」


「カリーサも知らない土地で、上手くやっているようですね」


 文字など読めなくても良い。

 そう思っていたのだが、ある日マンデーズ館の使用人たちが集まって一通の手紙を読んでいた。

 仕事の指示書に挟まって、グルノールの街にいるティナから手紙が届いたといって使用人たちで回し読んでいたのだ。


「ずるいぞ、僕にも見せろ!」


「どうぞご覧ください」


 意地悪で見せてくれないだろうと思っていたのだが、意地悪家令イリダルはティナからの手紙という紙を僕へと差し出してきた。

 イリダルの気が変わらぬうちに、と奪い取るように手紙へと目を走らせたのだが、綺麗な文字が綴られたその手紙を、僕は読むことができなかった。


「……読めないぞ。イリダル、おまえが読め」


「私はこれから報告書の整理をいたしますので」


「ではアリーサ」


「私はこれからお掃除です」


「サリーサ」


「私は夕食の仕込みをするところです」


 必要であれば『誰かに読ませれば良い』と思っていた使用人に逃げられ、しかたがなく曾祖父のお供の姿を探す。

 マンデーズ館にいる間の契約になっているようで、マルもスケベイも館の使用人のように働かされていた。

 ようやくキュウベェを見つけて手紙を読ませようとしたのだが、すぐに曾祖父様がやって来てキュウベェを連れて行ってしまう。

 ならば曾祖父様が読んでくれ、と言ったら、九歳のティナが書いた手紙を、十歳の僕が読めないでどうする、と呆れられてしまった。

 ならば誰かの手が空くのを待つしかあるまい、と読めないティナの手紙を眺めて過ごす。

 どんなことが書いてあるのだろう、と想像をする時間は楽しかったが、イリダルには時間の無駄だと一蹴された。

 十歳の王族男子に相応しい学を身につけていれば、使用人の仕事が終わることなど待つまでもなく手紙を読むことができた、と。


 そこまで言われては仕方がない、とアリーサを捕まえて読み書きを習う。

 また仕事だと言って断られるかと思ったのだが、アリーサは快く読み書きを教えてくれた。


 読み書きが少しできるようになると、サリーサには日記を書くことを勧められる。

 いつか逆襲してやる、と忘れないようにイリダルの意地悪の数々を書き留めるのは結構楽しかった。

 その日記を、ティナへの手紙としてグルノールへと送られてしまうまでは。


 ……もう少し字が綺麗に書けるようになってから送りたかったのにっ!


 しかし、結果としてサリーサたちの勝手な行動は、僕の自尊心を守ることに大いに貢献してくれたと思う。

 ティナからの返信は簡単な単語を使った一行だけで、あとは色インクでびっしりと添削された僕の日記だった。

 心を込めて書いた手紙で添削これをやられては、心が折れるなんてものではない。







 日記を勝手に送られた、という体裁をとってせっせとティナへと手紙を書く。

 書けば書くだけ文字を覚えたし、字も綺麗になっていった。

 大人の字で綴られた添削も、しだいに少なくなっていき、その分ティナからの手紙の行数が増える。


 ティナの字は綺麗だな、と思っていたのだが、ある時を境に文字が少し丸くなり、返事の行数も増えた。

 これまでは『勉強頑張れ』と言うような本当に一言だけだったのだが、『お元気ですか』とこちらへと語りかけてくるような文面になり、『お風邪など召しませんよう、お気をつけください』と優しく気にかけてくれるような内容が増えてきた。


 これはついに好かれたのだろうか、と喜んだのだが、僕がティナに好かれて文章量が増えたのではなく、手紙はキュウベェによって偽造されたものだった。

 ティナの綺麗な字が丸くなったのではなく、書いた人間自体が別人だったのだ。

 それに気がついたのは、グルノールの街からマンデーズへと戻ってきたカリーサだった。

 情けないことに、ティナの字が綺麗だと見惚れていたくせに、僕は別人の書いた手紙をティナからの手紙だと疑いもしなかったのだ。


「あんまりにも短い文面で、ディート坊ちゃんが不憫だったので……」


 キュウベェの動機いいわけはこんな言葉だった。

 僕が不憫だったから、ティナからの返事を偽造したらしい。


「お嬢さんからの手紙ではないものを、お嬢さんからの手紙と思わされて喜ぶ姿は、不憫ではないのか?」


「そこは、ほら。どうせ二度と会わない子どもですから、ディート坊ちゃんにも良い思い出になればいいな、と……」


 キュウベェの言葉は、二重の意味で衝撃的だった。

 ティナには二度と会えないらしい。

 そして、僕はキュウベェに憐れまれていたのだ。


 歳は離れているが、僕はキュウベェを友だちだと思っていた。

 気の効く従者だとも思っていたし、頼りになる相談相手でもあった。


 でも、キュウベェにとっては違ったらしい。


 主でも友でもなく、ただの憐れな子どもだったのだ。


 ――乳母や女中は雇われているんですから、どんなにディートが我がままばかり言って嫌いでも、好きだって言いますよ。


 そんなティナに言われた言葉が甦る。

 ティナの言い方はキツイのだが、確かに本当のことを言ってくれていた。


 僕に対しての説明は『手紙を偽造していたため』と、キュウベェは曾祖父の供を外された。

 曾祖父を激怒させた別の理由があるようなのだが、それは僕が知る必要はないのだろう。

 キュウベェは僕の友でも供でもなく、曾祖父の従者だったのだから。







 読み書きもすっかり覚え、計算も詰まらずできるようになった。

 次は歴史の授業と、もうすこし字を綺麗に書けるようにと練習しているうちに、状況が変わる。

 グルノールの街からカリーサへと、手紙が届いたのだ。

 キュウベェから『二度と会えないだろう』と言われていたティナは、どうやら王都へと向うことになったらしい。

 王都へ行くティナの女中として、カリーサに仕えてほしいという依頼だった。


「僕も王都に戻るぞ!」


「……一人で戻れるのでしたら、どうぞ」


 私は忙しいです、といってカリーサは僕の主張を却下する。

 十二歳になったとはいえ一人で王都へなどいった事はない。

 旅は結構しているが、すべて曾祖父の手配でただついて来ただけなのだ。

 自分ひとりで王都まで戻るなんてことが不可能だということは、さすがにもう判断できるようになっていた。


 二週間後にマンデーズの館へとやってきた少女二人に、カリーサはかかりきりになった。

 王城で働いても不自由ない礼儀作法を身に付けさせなければ、と少女たちを躾け、少女たちも積極的にそれを学ぶ。

 その姿勢に、注意を受けることは減ったのだが、僕もまだまだだと痛感させられた。

 少女たちはただの女中として城へあがるために躾を受けている。

 対する僕は、王城で王族として振舞うためのものが何も足りていない。

 二人を見ていて、そう実感した。


 予定より仕上がりは遅れたそうなのだが、確実にティナの元へと向うことになる少女たちにつまらない嫉妬をする。

 たまに王族や貴族と接した際の練習台として話し相手をしたのだが、少女たちはもとからティナの友人で、王都で不自由をしているだろうティナを支えるために向うのだ、という話を聞いた。

 二年前にたった数日過ごしただけの思い出を大切にしている僕とは違い、メンヒシュミ教会で学んだ思い出や、一緒に祭りを回ったこともあるというティナとの思い出を多く持つ少女たちが羨ましくて仕方がない。

 少女たちも生意気で口達者なティナに言い負かされてきたのだろうか、と聞いたところ、ティナは女の子にはちゃんと優しいようだ。

 ただ、僕にだけ特別冷たかったのではなく、テオという男の子にも冷たかったらしい。

 自分以外にも冷たくあしらわれている者がいることに安堵し、また嫉妬した。

 自分だけに冷たいのなら、それはそれで僕がティナの特別であるかのような気がしたのだが、残念でもある。


 カリーサと少女二人が王都へと旅立つのを見送り、どうにも我慢できなくなって暴君家令イリダルへと直談判を決行した。


「僕も王都へ帰るぞ!」


「さようでございますか。ではこれと、これとこれを……あと、最低でもこの資料も読み込んでおいてください。それが終わりましたら、エセルバート様へ連絡を入れましょう」


 曾祖父が良いと言ったら、王都への馬車を手配する、と言われて山のように積み上げられた課題と向き合う。

 珍しくもイリダルが譲歩してくれたのだから、出された課題はきっちりこなさなくてはならない。


 黙々と課題をこなす僕に、イリダルも絆されたのだと思う。

 一度きっちり振られてくるといい、とイイ笑顔でイリダルが曾祖父様の許可をもぎ取ってきてくれた。







 馬車に揺られて王都へ戻ると、数年ぶりの父が喜んで迎えてくれた。

 よく帰って来た、と抱きしめてくれる父に、報告書という名のイリダルからの手紙を渡す。

 手紙を読んだ父は、なんとも複雑な顔をして僕の顔を見た。


「マンデーズ館の家令は、きみに王爵教育の初歩を叩き込んだと言っているが……」


 王爵教育、と聞いて瞬く。

 イリダルからは無能だの、その歳でこんなこともできないのかと、散々罵られてきた。

 それがまさか、自分に一般教養どころか王爵教育の一端まで施しているとは、考えたこともない。

 十歳でマンデーズ舘に身を寄せ、年齢にしては遅れている教育以前の躾に驚かれ、使用人としてその態度はどうなのだと言いたくなるような厳しい教育を施されたという自覚はあるが、まさかそこまで遅れている教育を取り戻してくれているとは思わなかった。


 ただ、イリダルたちの努力は、父にとっては誤算だったようだ。


 イリダルからの手紙を懐へとしまうと、父は意を決したように、僕へと躾すら行なわなかった理由を話した。


「ディートフリート、きみは王爵を得ることはできても、次の国王にはなれない」


 現国王そふとそういう約束をしている、と言いづらそうにしつつも話してくれる父には悪いのだが、僕に王になりたいという気持ちはない。

 それをそのまま父へ伝えると、今度は困ったような顔になる。


「では、なぜ王爵教育になど手をだしたのだい?」


「王爵教育というのか……凶悪家令イリダルに積み上げられた課題をこなしていっただけです」


「それはなぜ?」


「なぜといえば……」


 王都にはティナがいる。

 理由としては、これだけだ。

 ティナにもう一度会いたくて、王都へ戻ろうとした時に条件として出された課題をこなしただけだ。


「クリスティーナか。あの子は難しいぞ」


 どんな手を使ったのか、は教えてくれなかったが、ティナはすでにどんな我儘も許される身になっているらしい。

 ティナ自身に好かれなければ、彼女を手に入れることはできない、と。


「王子だから、と望んで与えられる娘ではない」


「……与えられる?」


 なにかおかしな言葉を聞いた気がして、父の言葉を遮る。

 ティナにもう一度会いたいとは思っているが、与える・与えられないというのは意味がわからない。


「父上、友だちは『なる』ものであって、親から『与えられる』ものではありません」


 こんなあたり前のことが、なぜ父に判らないのか、と不思議に思って父を見上げる。

 もうすぐ十三歳になる僕の身長は、そろそろ成長期に入る予定で伸び始めていた。

 立った姿勢ではまだまだ父には追いつけないが、座った状態では目の高さが父と近くなってきている。


「……では、恋ではなく友情を感じている、のだな? お嫁さんにしたいのではなく」


「恋? あんな生意気で顔以外は可愛くない嫁は嫌です」


 なにを言っているのですか、父上。

 そう首を傾げると、侍女が僕の元へと手紙を持って来た。

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