第16話 はじめてのお出かけ 1
タビサが
生地が少し薄いのは、擦り切れた中古服というわけではなく、そろそろ初夏に突入したからだ。
両親と死に別れ、レオナルドに引き取られることになったのが冬の終わり。
春の始めはオレリアのいるワイヤック谷で過ごし、中頃から初夏にかけては砦の隔離区画でずっと手伝いをしていた。
そのため、今日はレオナルドと初めてのお出かけではあるのだが、季節はすでに変わっている。
レオナルドは実に季節一つ分、私を引き取っただけで放置し続けたのである。
「……季節が変わっれますりょ、保護者しゃん」
「面目ない」
春の終わりから回復する感染者が増えてきたのだが、結局そのほかにも細々と砦の主としての仕事があり、やっとゆっくりできる時間がとれたのが今日だった。
私としては数日のんびりしてからでもいいと思うのだが、朝食が終わると同時に街へ出かけよう、と誘われるまま館を出てきてしまった。
どうも、早く自分で私を連れて街へ行かなければ、痺れを切らしたジャン=ジャックに初めてのお出かけを取られる、と考えたらしい。
……市場ぐらいなら、タビサさんの買い物に付いて行ったこととかあるんだけどね。
レオナルドが私を放置していたのは仕事でどうしようもなかった、と理解しているので、さすがに余計なツッコミは入れない。
私は空気の読める元・日本人なのだ。
レオナルドは私が砦へ来た日に与えられた赤い靴ばかり履くのが気になるようで、まずは靴屋に行くつもりらしい。
街の案内を兼ねているので馬や馬車は使わないのだが、子どもの私とは歩幅が合わないので、レオナルドは早々に私を抱き上げている。
レオナルドに抱き上げられての移動は、目線が高くて少し楽しい。
子どもの身長では人通りの多い道など、人しか見えないのだが、背の高いレオナルドに抱き上げられた状態だと、大人に近い視界が確保できる。
大きな道だね、と砦へと伸びる一本の大通りを見て言うと、戦時下に兵士や騎士を並べたり、砦へ物資を運んだりする時のために道幅が広く作られているのだと教えてくれた。
「……友だちは、できたか?」
いくつかの靴を注文し、靴屋を出る。
買ったばかりの靴に履き替えさせた私を再び抱き上げ、レオナルドは寝言をいった。
ちなみに、レオナルドの黒い目はばっちりと開かれている。
「たしか、おんにゃの子はあぶにゃいから一人れ出歩いれはいけましぇん、ってレオにゃルドさんに外出を禁止されていらと思うのれすが……?」
「禁止……? 禁止までしたか、俺は?」
「した」
放置は大切な仕事があったから、と思えるが、自分が言ったことまで忘れられては困る。
あまり自分から外へ出ようとは思わなかったが、それでもそれを禁じていたのはレオナルドだ。
一人で館の外へ行ってはいけない、と。
館の管理人がタビサとバルトの二人しかいない以上、私がどちらかを連れ出せば館の管理に支障がでる。
それがわかっているので、特に目的があるわけでもないのに館の外へ連れて行って、とは言い難かった。
結果として、律儀にレオナルドの外出禁止令を守り、館の中で暇を持て余していたのだ。
アルフが隔離区画の手伝いへと私を連れ出してくれたのは、実に有意義な時間の使い方だったと思う。
「自称保護りゃのレオにゃルドさん」
ムクムクと悪戯心が湧きあがる。
体重を預けていた胸から少し体を離し、改めてレオナルドを見上げた。
自称じゃないぞ、と訂正するレオナルドの言葉を黙殺して、罠をはる。
「……わたしが今何しゃいか、知っていましゅか?」
「ちゃんと覚えているぞ。ティナは今八歳だ」
「九歳です」
夏生まれの私は、つい数日前に誕生日を迎えていた。
レオナルドがそれを知らないのは当然なのだが、そのあたりはわざと言っているので割愛する。
ただ少し、
「……いつが誕生日だった? 忙しかったから、祝えなかったじゃないか。言ってくれれば何かお祝いが出来たのに」
一瞬だけ保護者失格と落ち込み、すぐに顔をあげて復活したレオナルドにすかさず釘を刺す。
「お祝いなんれ、いりましぇんよ」
今レオナルドを放置したら、こちらが申し訳なくなるような祝い方をされる気がする。
たぶん、間違ってはいない。
今生の両親も私の誕生日を祝いたがったが、家計の関係で夕飯に卵焼きが付くだとか、少し食事が豪華になるぐらいだった。
保護者とはいえ、他人のレオナルドにそこまでしてほしいとは思わない。
……そりゃ、おめでとう、ってお祝いしてくれたら嬉しいけどね。
嬉しいが、特別なことは必要ない。
屋根のある寝床と食事を提供されているだけで十分だ。
「そういれば、わたしの親戚お探すっていっれましらけど……?」
どうなったのでしょう、と首を傾げる。
私の視線を受けたレオナルドは、そっと顔を背けた。
それはそうだろう。
忙しすぎて、もしくは先にすべき重要な案件が続き、まったく手が付けられていないはずだ。
「完全に持て余しれいるんですから、わたしのころは孤児院にれも入れたらどうでしゅか?」
孤児院に行け、というのはレオナルドが来る前に父が示した身の振り方でもあった。
誰か村へ立ち寄った大人にくっついて町へと移動し、孤児院を頼れ、と。
しかしレオナルドは、もともと父が言っていたことだと説明しても、私が孤児院へ行くことを認めようとはしなかった。
「サロモン様は孤児院の実態をよくご存知ではなかっただけだろう。孤児院の経営だって、それなりの資金が必要になる。商品になりそうな……」
と、そこで言葉を切ってレオナルドの視線が私へと戻ってきた。
「ティナみたいな可愛い子を孤児だなんて言って預ければ、売れるところに売り払われるだけだ」
言葉が濁されたことが判る。
可愛い女児が売れるところといえば、娼館や幼女趣味の変態の元へだろう。
孤児院が孤児を売るというのにも驚いたが、考えてみればそう言うこともあるかもしれない。
国営であったり、教会の慈善事業の一環であったりというのなら、怪しい店へ売られることもないのかもしれないが、この国の孤児院がどういった仕組みで経営されているのかを私は知らない。
孤児を集めてその生活の面倒を見る、ということは、どうしてもお金がかかるだろう。
その金を、どこから集めてくるのかは、今の私には想像もできなかった。
ただ、レオナルドが私を孤児院に預けることを善しとしない理由は理解できた。
「孤児院って、じんしんばいばいすりゅのね」
「孤児院も資金繰りを考えるのは当然だろう。維持費や孤児の数だけ増える食費が馬鹿にならない。売れそうな子どもがいるのなら、売るさ」
元々孤児で、勝手に売り払ったところで文句を言ってくる親戚もいないのだから、とレオナルドは続けた。
「そもそも孤児は、将来仕事に就く時にも困る。保証がないし、親戚もいないしで、まともな職に就けることが少ないんだ」
結婚も難しいな、と付け足された言葉に少し含みを感じる。
街に来たその日に、レオナルドの結婚については触れるな、とバルトたちから教わっていた。
「……俺のような例は稀だぞ」
「レオにゃルドさんっれ、孤児らったんれすか?」
「誰かから聞かなかったか?」
「砦れ一番強くれえらい、って聞きましら」
本当はもう少し聞いている。
王都で数年間白銀の騎士団というところにいて、貴族のお姫様と婚約話が持ち上がっていたけど、どうも破談になったらしい、というあたりをバルトから聞いた。
が、これはあまり本人の耳へは入れないように、と言われているので知らないこととして今は触れない。
他にレオナルドについて知っていることといえば、親に売られて奴隷にされかけたところを父のサロに助けられた、というあたりだろうか。
……あれ? そういえば、お父さんに助けられたあとのレオナルドさんって、家に帰らなかったの?
自分を売った親の元になど帰りたくないと思うのが普通だとは思うのだが、子ども一人で生きていくことは難しい。
嫌でもなんでも我慢して、生きていくためには家へ帰るしかないと思うのだが。
「サロモン様に……ティナのお父さんに助けられた、って話はしたよな?」
「聞きましら」
「奴隷として帝国に売られることは免れたんだが、さすがに自分を売った親のところになんて帰りたくなかったからな。そうサロモン様に相談したら、王都の孤児院を紹介されたんだ」
そこで孤児院の実態を知ったらしい。
顔立ちの良い子は男でも女でも、娼館へ売られる。
当時同じ孤児院で育った者たちで、まともな職に就けた者はほとんどいない。
なんとか成人まで売られることなく育った娘も、結局は仕事が見つからずに娼婦に身を落とすことになる。
男の場合は安い賃金で過酷な労働を強いられて体を壊すのがほとんどだ。
孤児は成人まで生き延びることができたとしても、ささやかな幸せすら手にすることが難しい。
「俺が騎士になれたのは、ただ運が良かっただけだ。体つきが大きくて、健康だった」
条件に合ったので、兵士の採用試験に挑戦することが許された。
さらに運の良いことに、素質があったのか騎士への道まで開かれたのだ。
「孤児で俺ほど出世した人間はまずいない」
そう言って、レオナルドは苦笑いを浮かべる。
出世した人間がいないというよりも、長く生きられる人間がいないのだろう。
レオナルドの口から聞く孤児院の実態は、そんな風に受け取れた。
「そんなわけで、俺はサロモン様の娘であるティナを孤児院に預ける気は無い。必ず親戚がいるはずだから、もうしばらく待ってくれ。確かにここしばらくワーズ病やらで色々忙しくてティナを構うことができなかったが、砦もようやく落ち着いてきたことだしな」
「レオにゃルドさんは、わたしのおとーさんがらい好きれすね」
たまたま助けられて、その後孤児院まで送ってくれた、というだけに思えるのだが、ずいぶんと父に恩を感じているようだ。
孤児院の実態を聞いてしまえば、そんなところへと送り込んだ父のことなど、恨んでしまいそうな気もするのだが。
「サロモン様には『レオナルド』という名前をつけて頂いたからな。第二の親のようなものだ」
「名るけ親ら、って言ってましらね」
おまえたちは名付け親を通しての兄妹だ、と。
父がそう言った影響が強く、レオナルドは完全に私を『妹』として受け入れている。
申し訳ないのだが、私にとってはまだ『他所のお兄さん』で『保護者(仮)』といった印象だ。
頭からまるっと『兄』として受け入れ、甘えることは難しい。
「レオにゃルドさんは、ろうしておとーさんに名前をつけれもらったんでしゅか? 本当ろ名前、ありましゅよね?」
「自分を売った親の付けた名前なんて、名乗りたくなかったんだよ。孤児院に入る時にそう相談したら、サロモン様が名付けてくださったんだ」
だから父を一方的にだが親として慕っている、と少し恥ずかしそうにレオナルドが笑う。
メイユ村で逢った時に、十年以上も前に少し面倒を見ただけの自分を覚えていてくれて嬉しかったのだ、と。
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