第2章 孤児と騎士と谷の魔女
第1話 移動の合間に
移動のために乗せられた馬上で、居心地悪く身じろぐ。
本来であれば前世も含めて生まれて初めて乗る馬にはしゃぎたいところなのだが、私を落とさないようにしっかりと左右にレオナルドの腕がある。
年頃の異性と密着することになれば、いやでも緊張するというものだろう。
いかに幼女の外見をしていようとも、中身は一度成人を迎えた人格を持った女性のつもりだ。
落ち着かないのも仕方がない。
もぞもぞとお尻を動かしていると「おしっこか?」とレオナルドに聞かれてしまった。
ちゃんと「違います」と答えたのだが、ちょうどついた街道の休憩所に馬を止め、そのままトイレ休憩となる。
……違うって言ったのに。
出すものを出して来い、と苦笑いを浮かべたレオナルドに馬から下された。
女の子に向ってなんてことを言うのだ、と一度手を振るレオナルドを睨み、林へ入る。
尿意があったわけではないが、休憩というのだから、出すものは出してしまった方が良い。
休憩所の水場で手を洗って戻ると、念のために他の騎士と距離をとってレオナルドが二人分の軽食を準備していた。
荷車の荷物を勝手に使っても良いのか、と気になったが、必要のなくなったものだから良いらしい。昨晩も荷を解いて食事を取っていた。
移動のための携帯食料も持って来てはいたが、私という食い扶持が増えたことに加え、荷物の中には生ものもあることから荷に手が付けられることとなったのだ。
……干し肉は家でもたまにあったけど、ハムは初めて見た。この世界にもあったんだね、ハム。
乾燥したパンをお皿代わりにハムと野菜スープを手渡され、思わず「ご馳走だね」と言ったらハムが一枚増えた。
おねだりしたつもりはないのだが、これは催促になったのだろうか。
申し訳なくなって、あとは無言で食事を食べることにした。
食事が終わって片付けを手伝っていると、ジャン=ジャックと紹介された赤毛の騎士が近づいて来た。ちょっと目つきが悪くて、近寄りがたい。
……目つきが悪いって言うか、アルフさん以外みんな若干
とはいえ、一人を除いてみんな『顔は怖いが気は優しい』人たちだった。
そう、一人を除いて。
「おう、チビ。ジャン=ジャック様だ。言ってみろ」
横柄な態度で胸を張るジャン=ジャックに、面倒ながらもマスクモドキを付けて返事をする。
自覚もなく病気を運んでいたら大変なので、と今はレオナルドもマスクモドキ仲間となっていた。
飛沫感染であれば、多少。
少なくとも、同行している騎士たちへの感染は防げるはずだ。
「……ジャン=チャックしゃま」
マスク越しにくぐもった声で『ジャン=ジャック様』と言ってみたが、結果は相変わらずだった。
「ジャックだ、ジャン=ジャック! なんでちゃんと言えねぇかなァ?」
大きな声で、頭の上から浴びせかけるように物を言う。
ニヤニヤと楽しそうに笑っているので本人にその気はなさそうだが、弱者をいたぶって喜んでいるようにしか思えない。
当人的には小さい子どもを構ってやっているだけ、という気持ちなのかもしれないが。
やられている側としては、威嚇されているようにしか思えなくて嫌だ。
……マルセル二号。
そう名前を付けて、脳内の『近づきたくない人間フォルダ』にぶち込んでおく。
自分からは積極的に絡みたくない。
とはいえ、ジャン=ジャックが騎士ならば、騎士であるレオナルドに養われることになったからにはこれからも接触があるのかもしれない。
先のことを考えると
「ジャン=チャックしゃま」
「様だ、さ・ま! 騎士には様付け! 基本だろ!?」
「じゃん=じゃっく、メンドクサイ」
「ああん?」
つい本音を日本語でもらし、慌てて口を押さえる。
意味など解らなかったはずだが、なんとなく馬鹿にされた雰囲気は判ったのだろう。
ジャン=ジャックは片眉を上げて凄んだ。
「レオにゃルドさん、騎士さんは、しゃま付け、ですか?」
しまった、面倒臭そうな相手を怒らせてしまったか、と気づいたが、今の私は幼女だ。少しぐらい空気を読まなくとも問題はない。
ジャン=ジャックの不機嫌オーラには気づかない振りをして、レオナルドの元へと避難する。
使い終わった食器を馬の鞍に結わいつけた丈夫な袋に戻していたレオナルドは、私の顔とジャン=ジャックとを見比べて少しだけ考えるような仕草を見せた。
「白い鎧の騎士には、『様』をつける必要があるな。白騎士は貴族だ」
そう説明をされて、改めてレオナルドたちを見る。
形はみんな微妙に違っていたりするが、黒い鎧を身に付けていた。
「レオにゃルドさんたち、よろい、黒い」
「俺たち黒騎士は平民出身が多い。だから無理に『様』をつける必要はないぞ」
レオナルド様と呼ばれるよりも、レオお兄ちゃん希望だ、とついでのように言われたので、これは黙殺した。
レオナルドの名前すら正しく発音できないのだ。
『お兄ちゃん』だなどとおまけを付けたら、なおさら正しく発音できるわけがない。
「黒騎士であっても、普通は平民が騎士になれるだけですごいって、平民はどちらの騎士にも『様』を付けることが多いけどね」
アルフが補足しつつ会話に加わってくると、ジャン=ジャックは少し前までの不機嫌オーラはどこかへ吹き飛んだのか、胸を張った。
「俺たち黒騎士はお飾りの白騎士どもとは違って、精鋭ぞろいだからなっ!!」
「せいえい……?」
とても『精鋭』という言葉が似合うようには見えない。
……えっと、つまり白騎士は貴族で『様』を付けないといけないけどお飾り、黒騎士は『様』を付ける必要はないけど騎士になれるだけでもスゴイってことで平民は『様』を付けて呼ぶ、って覚えとけばいいのかな?
あと、精鋭ぞろいでスゴイ、というのも一応覚えておくべきか。
目の前で子どものように胸を張るジャン=ジャックを見ると、とても精鋭兵には見えないのだが。
「……レオにゃルドしゃま?」
一応は『様』を付けた方が良いか、と理解し、改めて保護者となったレオナルドを見上げる。
ためしに『様』を付けてみたが、ただでさえ正しく発音できないレオナルドの名前に『様』を付けるのは難易度が高かった。
ただ『様』と言うだけならば発音できるのだが、レオナルドの名前に『様』を付けるとどうしても発音する時には『しゃま』となった。
「ティナには『さん』の方が言いやすいみたいだな」
ポフポフと今日は
子どもの柔らかい髪質が気に入ったのか、両親同様スキンシップの多い
マスコミが『女の子の胸キュン動作』だなんだと
今は幼女だからか、相手に下心がないと判っているからか、レオナルドに頭を撫でられるのは意外に不快ではない。
……あと、汚くないのもポイントだね。
村人と違って、騎士たちは風上に立たれても臭くない。
アルフにいたっては香水か何かをつけているのか、微かに良い匂いがするぐらいだ。
頭を撫でようと伸ばされた手から、反射的に逃げようと体が動いたこともない。
「……レオにゃルドしゃま、レオにゃルドしゃま、レオナりゅろしゃま……」
「ティナ、無理に『様』は付けなくていいんだぞ? 原型がなくなって来た」
そのまましばらく『レオナルド様』と呼ぶ練習をしてみたが、最終的には舌を噛んだので諦めた。
まだ当分は『レオにゃルド』を卒業できないらしい。
「個人的には『お兄ちゃん』とか『兄さん』希望だ」
「レオにゃルドおにひひゃん」
本人の希望なのだから、と呼んでみたら、やはり正しく発音できなかった。
しかも『レオにゃルドしゃま』より悪化している。
「……レオにゃルドさん」
これが、今の自分が一番正しくレオナルドの名前を呼べる方法だ。
「レオさんでもいいぞ」
……あ、わかりやすく簡略化した。
レオナルドの提案は確かに楽で魅力的なのだが、これから世話になる人間の名前すら正しく呼べないのは嫌だ。
最初から諦めてしまっては、人として礼儀に反する気がする。
「レオにゃルドさん」
半分意地になって『レオナルドさん』と呼んでみる。
やはり正しく発音できない私に、レオナルドは少し肩を落とした。
「
「
「!?」
正しく発音することを諦めきれずにそう拒絶すると、判りやすくレオナルドの表情が凍りついた。
顔には笑顔を貼り付けているのだが、目は少しも笑っていない。
……あ? 怒らせちゃった? やっぱ失礼だった? でも、名前ちゃんと呼べないのも失礼だと思うし……?
目が死んでしまったレオナルドに、どうしたものかと困惑していると、アルフが腰を落として私と視線を合わせてきた。
「……ティナはレオナルドがお兄さんになるのは嫌かい?」
「え? そっち?」
そっちの意味に捉えられたの? と驚いてレオナルドとアルフの顔を見比べる。
私としては正しく呼べるようになるまでは、楽な愛称になど逃げたくはない程度の考えだったのだが。
「違いましゅ。レオにゃルドさんがおにひひゃんになるのはうれひいれす」
若干どころではなく噛みまくったが、気にしない。
下手な誤解など、早々に解いておいた方がいいに決まっている。
「わたひがいいらいのは、かぞくのなまへぐらいひゃんと呼べるようににゃりたいってらけれすっ!」
……噛みまくったけど、ちゃんと言った。思ってること、伝えた。
噛みまくったが言い切ったことに満足して胸を張る。
しゃべることはまだまだ苦手なので、ボディーランゲージもしておいた。
あざとい仕草だが、今は幼女なので許される……と思いたい。
「……結構しゃべれるね」
偉いえらい、とアルフの手が伸ばされて、止まる。
つい頭を撫でようとして、病気に感染している可能性を思いだしたのだろう。しばらく手を泳がせた後、元の位置へと下ろされた。
「噛みまくりだけどな」
こちらはからかう
ニヤニヤと笑う顔にイラッとしたので、なんらかの報復を行いたいが、我慢する。
……今は体格で圧倒的に不利だからね。
病気に感染していないと安心できたら、指に噛み付くぐらいはしてやってもいいかもしれない。
そんな物騒なことを考えて奥歯を鳴らしていると、おずおずとレオナルドの手が頭に置かれた。
「……ティナは、俺が兄になるのはいいのか?」
「問題ない、です」
なにしろお荷物にしかならない私を養ってくれると言う貴重な人材だ。
むしろ大歓迎と言った方が良いだろう。
……いい人っぽいしね。
ただ、逆に気になることもある。
「レオにゃルドさんは、わたし、妹で、良いです?」
社会人であるレオナルドの仕事を邪魔するつもりはないが、未成年を一人養うとなれば、それなりにこれまでの生活とは違いが出てくるだろう。
レオナルドが私のことをどこまで世話するつもりかは判らないが、ただ寝床と食事を与えておけば良い、というものではない。
「家族が出来るのは大歓迎だ」
ひょいっと私を抱き上げて、レオナルドは私の額へとキスをした。
不意打ちすぎて思わず口から「にょっ!?」などと変な声が出てしまう。
慌てて額を両手で隠すと、レオナルドは嬉しそうに笑った。
……さっきまで表情死んでたのにね。
とりあえず、レオナルドはスキンシップをするタイプらしい。
となれば、こちらもスキンシップは過剰に返した方がいいだろう。
……幼女とはいえ、乙女に突然キスするとか許すまじ。
次があったら驚いたふりをして鼻を拳骨で叩いてやる。
そうこっそり心に誓った。
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