【SS】サエコの記念日前

 午前中の仕事を終えたサエコは、ふぃ〜、と伸びをした。

 手帳のカレンダーに目を落とすと、7日後のところにプレゼント箱のシールが貼ってあり、『定時退社』と赤色ペンの文字を添えている。


 サエコの誕生日なのだ。

 そのことをマリンに伝えると『絶対にお祝いしますね!』とはしゃいでシールを貼ってくれた。


 26歳でいられる時間も残りわずか。

 この1年はあっという間だった気がする。


 席を立とうとしてマリンからのメッセージに気づいた。

『サエコさんは魚料理と肉料理、どっちが好きですか?』という内容だったので、あごに手を当てて考え込む。


 う〜ん……消化に優しいお魚を食べたい気もするけれども……。

 イツキは絶対にお肉が好きだよね、と考えて『肉料理かな』と返しておく。


 去年の誕生日は一人で寂しくケーキを食べた。

 高いお酒を買ってみたけれども味気なかった記憶があるのだが、今年はイツキとマリンが祝ってくれるらしい。


 来週が待ち遠してくて、目を細めたサエコの口から自然と笑みがこぼれる。


 あれからマリンやイツキとは定期的に集まっている。

 3人で会うたびに

『どっちが好きなの?』

『もちろん私ですよね?』

 とサエコの奪い合いが始まるのは地味に楽しかったりする。


 片方を選ぶって無理なんだよな〜。

 これって合法的に二股しているのかな〜。


 良からぬ妄想をしたサエコがルンルン気分で給湯室へ向かったら、後輩の女子2人の会話が聞こえていたので、思わず身を隠してしまった。

 というのも同僚の話……聞き間違えじゃなければサエコの話をしていたのだ。


「大島さんが注意する時、言い方キツくないですか〜?」


 入社2年目の子がいう。


「分かる、分かる。仕事ができる人だし、正論なのは分かるけれども、大島さんの口調って怖いよね〜」


 ショックを受けたサエコが携帯を落としそうになっていると、

『もっと優しく教えてほしい』とか、

邪険じゃけんに扱われている気がする』とか、

 本音のオンパレードが飛び出して、メンタルを容赦なくえぐってきた。


 ごめん!

 傷つけたのなら申し訳ない!


 きっとサエコは疲れていたのだ。

 あるいは仕事が立て込んでバタバタしていたのだ。


 誕生日のことでワクワクしていたのに、反省材料を突きつけられたせいで、冷や水を浴びせられた気持ちになる。


 やっぱりひがみだろうか。

 というのも部署のナンバーワンモテ男、百瀬ナオヤと毎日のように行動を共にしている。

 同じプロジェクトのメンバーなんだし、当然といえば当然なのだけれども、それを不快と思う女性社員がいるのだ。


 アホらしい。

 サエコは男に興味がないのだ。

 それを彼女らに説明したところで納得してもらえないだろうが、濡れ衣を着せられたみたいで抵抗がある。


 大人しく席に帰ろうか、と悩んでいると後ろから肩を叩かれて、キリッとしたハンサム顔があったのでサエコの心臓はジャンプする。


「モモ先輩⁉︎」

「よっ」


 もしかして中の会話を聞いていた?

 サエコが疑問に思っていると、ナオヤはスタスタと給湯室へ入っていき、すぐに、


「百瀬さん、お疲れさまです」

「先日は私の仕事を手伝ってくださり、ありがとうございました」


 甘ったるい猫なで声が響いてくる。


「おう、お疲れ」


 ナオヤがインスタントコーヒーを作る気配が伝わってきた。

 半ばパニックになっているサエコとしては動けない。


「お前たち、前回のオフィス備品の発注当番だったの、忘れていなかったか?」

「えっ?」

「そういえば……」

「代わりに大島が処理してくれたぞ。あいつはあんな性格だから、恩着せがましい発言は一切しないが、周りのミスをよくフォローできる人間だ」


 ナオヤがサエコに対するフォロー風を吹かせたと知り、耳の裏が一気に熱くなった。


陰徳いんとくというのかな。人の見ていないところで善行を積むことを。そういう人間がプロジェクトに1人か2人いると大いに助かる」


 陰口を叩いていた2人が反省しているのかと思うと、サエコの胸に垂れ込めていたモヤモヤが一気に吹き飛んでいく。


「ほらよ、大島」


 給湯室から出てきたナオヤから紙コップを渡された。


「コーヒーの微糖だろう」

「あ……ありがとうございます」

「ちょっと向こうで話さないか?」


 あまり使われない出入り口の方を指差される。

 断る権限がないサエコは大人しく着いていきながら、なんだろう、と指先同士をこすり合わせた。


「今度、メシに行かないか?」

「はぁ……かまいませんが……」

「二人きりのメシだが、いいのか?」

「それはどういう意味ですか⁉︎」

「大島には助けてもらっているからな。ちょっとしたお礼だ。お店は俺の方で選ぼうと思っている。それで日付なのだが……」


 なんとナオヤから提示されたのはサエコの誕生日だった。


        ◆        ◆


 わがままをいって食事会は1日前倒ししてもらった。

 連れてこられたのは高級そうなフレンチ店で、長ったらしい名前の料理が次から次へと運ばれてくる。


 本当にご馳走になっていいのかな〜。

 お金を出すのには慣れていても、お金を出してもらうのに慣れていないサエコは、さっきから口数が少なめだ。


 それにナオヤと二人きりだと必然的に会社の話が多くなる。

 おしゃれな空間でナオヤも仕事の話はしたくないだろう、というサエコなりの判断である。


「モモ先輩って、関西の大学でしたっけ?」

「いいや、大学は東京だぞ」

「あ、そうでしたか……」


 気まずい。

 サエコもナオヤも俗にいう結婚適齢期というやつだから、そういう男女に見えないか心配。

 ハイスペック男子のナオヤといると、明らかに不釣り合いよね〜、と余計なことを想像してしまう。


「忘れないうちにこれを大島に渡しておく」


 小さな封筒の中身を見たサエコは目を丸くする。

 可愛い花柄のギフトカードで、額も一万円だから安くはない。


「これで好きなものを買ってくれ。名刺入れとか、そういう物をプレゼントしようかとも思ったが、大島の好みが分からないからギフトカードに落ち着いてしまった」


 名刺入れがボロボロなの、バレていた⁉︎

 思いがけない発言にサエコは赤面してしまう。


「お気持ちは嬉しいのですが、これはどういった趣旨のプレゼントでしょうか。もしかして、私の誕生日に合わせて……」


 それが事実ならサエコだってお返しの誕生日プレゼントを用意しないといけない。

 ところがナオヤはワイングラスを持ったまま数秒フリーズしてしまう。


「なんだ。大島の誕生日だったのか。変なタイミングに誘ってしまった。申し訳ない」

「いえ、私の方こそ黙っていてスミマセン。実は明日が誕生日でして」


 つむじが見えるくらい頭を下げられたからサエコは恐縮して手を振ってしまう。


「プレゼントの趣旨は……そうだな。俺もそろそろ係長の役職を返上して、課長補佐に昇進する。部内で係長のポストに空きができるから、次は大島を推薦しておいた。その前祝いみたいなものだ」

「本当ですか⁉︎ しかし……」


 係長になれるのは入社6年目から。

 5年目のサエコにその資格はないはず。


「会社の方でも組織の若返りというか、幹部社員の年齢を引き下げている。その一環でもある」

「あ……ありがとうございます」

「感謝するのはまだ早いぞ。本部長以上を相手にプレゼンして、合格をもらわないといけない。向こうは大島の存在なんてロクに知らないだろうし、インパクトの爪痕つめあとを残さないと難しいぞ」

「えぇ……」


 サエコが弱気になっていると、ナオヤはカラカラと笑った。


「安心しろ。プレゼンの練習は俺がいくらでも付き合ってやる」


 ただし土日祝日に限る、という条件を出されて、今度はサエコが笑う番だった。


「誕生日はあれか。やっぱり恋人と過ごすのか?」

「恋人⁉︎」

「あれ? 違ったか? 実は派遣スタッフの北原さんから聞いた。どうやら大島に恋人がいるらしい、と。仕事漬けの生活になってしまい、そのせいで恋路から遠ざかるSEは多いからな。だから安心した。大島に恋人がいると知って。きっと理解のある相手なんだろうな」

「まあ、そうですね」


 ナオヤの優しさにほだされたサエコは、手元の高級ワインを一気飲みした。

 するとナオヤも負けじとワインを飲み干した。

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