妖精庭園

働気新人

第1話 賭博の依頼 前編

 霧が濃くなる昼下がり。アイリスが家の前にあるラウンジで、本を読みながらうとうとしている。

 肩をくすぐるほどの長さの美しい金髪に、わずかに開く瞼から覗くのは宝石のような翡翠の瞳。

 ハイエルフという種族の中でも、際立つ至高の容姿。神とまで言われるハイエルフとしては異例で、森の里から出たほぼ前例がない問題児。

 ボクはアイリスの側で椅子を使わず腰を下ろし、木工細工の仕上げをする。

 広げられた布の前で男としては長めの髪をリボンで後ろに一つで結び、気合を入れる。


「よっし! 完成まで一気に行こう!」


 鳥の木彫りに、ナイフで一枚一枚丁寧に羽を描いていく。

 最後に目を描いて……よし、完成。

 抱えるほどの大きさの鳥の木彫りが完成する。これ一つで売値がだいたい一五万ウォンド。けど、今回は依頼主が四五万ウォンドも出してくれると言ってくれた。依頼主は身なりはいいけど、ちょっと胡散臭い。それでもボクらは受けなければ財政難を免れない。

 買い物でお金が足りなくなった次の日に、ボクは作り溜めしていたフクロウや、スズメ、獣の木工細工を全て売った。それでも二五万ウォンドだった。これでも一ヶ月ほど持つ。だけど、改めて貯金の大切さを思い知った。まあ、一週間でこれを仕上げて欲しいと言われた時は驚いたけど。


「よっと」


 余計な考えを頭の隅にやり、木彫りに白い布を被せる。そろそろアイリスを起こして、お茶を入れようかな。

 そう思って立ち上がる。ふと、視界の隅に影が見えた気がした。


「うわぁ!」

「むっ……? お嬢さん……?」

「ボクは男だ!」

「むっ!? そんなつややかな黒髪に、そのたれ目で!? お、お嬢さんにしか見えませんが……?」

「女の子にしか見えなくてもボクは男です!」


 ボクの叫び声にうとうとしていたアイリスが目を覚ます。

 ボクは燕尾服を着た男と見た目のせいで言い合いに発展する。

 だが、男は綺麗で洗練された胡散臭いお辞儀をする。胡散臭すぎるだろ……。

 警戒心が増す小綺麗な背広。モノクルを掛けた細面。貼り付けたような笑みが特徴の男。

 アイリスは体勢は変えず視線を男から離さない。


「この森には本当に妖精がいらっしゃったとは……。これまた驚きですね」

「えと……。あなたは?」


 まじまじとアイリスを見つめる男の視界に割り込む。すると男が一瞬眉を寄せたように見えた。

 だが、すぐに大仰で慇懃な動作に戻る。


「これは名乗るのが遅れてしまい申し訳ありません! ワタクシはレギールと申します」


 腰を九〇度まで曲げる大げさなお辞儀で自己紹介を終わらせる。

 胡散臭さを感じるレギールを返そうかと考えていると、ボクの真後ろから鈴を転がしたような声がする。


「これは、丁寧にすまないね。私はアイリス。こちらの彼はシノだ」

「あ、アイリスっ」

「こちらこそご丁寧に。手土産の一つも持っていないワタクシを許していただきたい」


 ボクの抗議の声を完全に無視しながら二人は会話を続ける。


「それで、ここには何の用だ?」

「このたび、ワタクシは大勝負に出ようと思いまして!」


 大きく両手を広げて高らかに宣言する男をボクは白い目で見つめる。

 そんなボクを見えてないかのように華麗に無視して、アイリスの足や胸を凝視する。絶対にこの男はおかしい。


「ふむ、見た所商人か、貴族の方のようだが? 何をするんだ?」

「流石でございます! ワタクシは恥ずかしながら、この間独り立ちしました商人なのです。ですが、ワタクシが拠点とする『富豪の国』から『賭博の国』へ行くには大きな川があるのです。そこに橋をかけ、そこで交通量を取りつつ、商品をさばけたらと思っているんです!!」


 大仰な仕草を交えつつの説明にボクは眉を寄せる。しかし、アイリスは吟味するように頷きつつ、身を乗り出す。


「まずその席に座るといい」

「これはこれはありがとうございます! それでは、失礼しまして」


 レギールが正面に座ったことを確認するとアイリスが話を始める。


「確かに利益になる可能性が高いが、それまでの費用。および、あそこを繋いでしまった場合の国同士の問題がある。それらは考えてきたのか?」


 鋭い目に一瞬レギールがひるむ。しかし、負けじと笑顔を貼り付けて言葉を紡ぐ。

 肝は据わってるなぁ……。


「まず、費用は一億六〇〇〇万ウォンド。全長一二〇メトル。幅二〇メトル。材質を石レンガにし、手堅い橋に仕上げたいと思っております。出来上がり次第、交通料を一人五〇〇ウォンドにします。一月で使用する人数の統計を取りましたら約六〇〇人と膨大でした。馬車の利用料を大きさによって変えますが約一〇〇〇ウォンド。馬車は一三〇台ほどでした。これは片道だけのものです。

 他には一月のみご利用いただける、交通証を発行し、そちらの金額を五万ウォンド。これで何度もご利用いただく方には、お得と思ってもらいつつ金銭をいただけるようにする。その交通証は一人一人に持たせるものとします。そうすると月の収入はおおよそ二〇〇万ウォンドほどなのです。

 国同士の問題ですが、最近になって『富豪の国』と『賭博の国』は停戦の協定を結んでおり、またとないチャンスなのです。ワタクシは一商人として、この商機を逃したくないのです!」

「我々ではその金額の費用を出すことはできない。だが、ある程度固まっているのなら金を貸してくれるところなんて他にもあるだろう?」

「確かに、なんでボクたちなのっ?」


 思わず強い口調でレギール氏に問い詰めてしまった。アイリスが若干咎めるような目線を送ってくる。

 つ、ついやっちゃったんだ、反省はしていないよ……。


「そうなのですが。ワタクシはまだ無名でして、ツテもアテもなく、彷徨っているところにこの『妖精庭園』の噂を聞きつけてきたのです! どこもかしこも門前払いで……。ほとほと困っていたところなのです!」


 落ち込んだり、勇んだり、忙しい男だな……。アイリスのことをねっとりと見ているのは見逃さないぞ! それに、ボクを邪魔者を見るような目で見ているのもわかっているからな!


「そうか、レギール氏も苦労しているようだが、どう頑張っても我々の財布事情ではそこまでの金銭の貸し出しはできない。残念ながらこの依頼は受けられないな」

「待ってください!! 一括で用意することはないのです! 今回建設を依頼しようとしている方には定期的に三〇〇万ウォンドをお渡しできれいいとおっしゃっていただいております! そこで、ワタクシは自力で一五〇万ウォンドを稼ぎ続けてみせます! あなたには残りの一五〇ウォンドを定期的にお貸し願いたいのです!」


 頭を下げるレギールは必死な声とは裏腹に、テーブルの下にあるアイリスの足を見て舌なめずりをしている。こいつ、ボクのこと見えてないんじゃないかな……?


「シノ、稼げるか?」


 アイリスの端的な問いかけ。

 んー、やってやれないことはないかなぁ。もうちょい作品を作る速度を上げて……、値段を高く……、あとはどこかと一時的な提携を結んで……。


「うん、できるよ。だけど先に話いいかな?」

「ん? ここではできないのかい?」

「あ、うん。ちょっと席を外して。ボクたちのお財布事情の話なんだ」

「ああ、わかったよ、シノ。レギール氏、すまないが席を外す。しばし待っていてくれ」


 流石にレギールの前で話すのはまずいと思ったのか迷いなく席を立つアイリス。

 その足を追うように貼り付けた笑みを浮かべるレギールが顔をあげる。


「ええ、構いませんよ」


 目が笑っていないレギールが穏やかな声で返事したことに寒気を感じた。

 声が聞こえない位置まで来たボクはアイリスの目を見つめる。


「シノ、どうしたんだい?」

「レギールってあの男おかしくない?」

「んー、緊張しているのか、目が笑っていないね。ただ、計画はしっかりとしたものだよ。まだ荒削りなところがあるから私たちが詰めてやればいい」


 細い顎に手を当てるアイリスが難しい顔でそう言い切る。


「違うんだよ。そうじゃなくて、アイリスを見る目が、なんていうか……」


 だんだんと尻すぼみになるボクにアイリスが心配そうに頭を撫でてくる。


「どうしたんだい? シノ、君らしくないじゃないか」

「うん。なんて言っていいのか……。あいつは怪しいと思うんだ。だから、今回の依頼は断ろ?」

「根拠がないよ? 断る理由がない。さっきの顔を見ただろう? 本当に困っていそうな顔だった。そういう人を助けるのが私たちだろう? 何かに本当に困った人だけを導くと決めたのは私だが、シノも賛同してくれただろう? それに、外では段々と私たちの名が広まっているみたいじゃないか。最近は前よりもお客さんが来るようになってくれた。助けた人たちだって笑顔になって、シノは楽しいと言っていなかったかい? 今回の依頼は受けてもいいと思うし、私は一度受けた依頼は必ずやりきる。それが私の信条でもあるしね」

「そう、なんだけど……。でも、レギールって男はなんか、薄っぺらいというか……。アイリスを見る目も変ていうか……。なんて言っていいのかわからないけど、ボクの勘がダメだって、そう言っている気がするんだ。だから……」

「そんな確実ではない意見は私は聞けない……。もし、これで本当に困っていたら私たちはレギール氏を見殺しにすることになるんだよ?」

「……」


 反論できない。ボクの方に根拠がない。反論する材料もない。でも、仕草や視線、話し方、そして計画もしっかり練られていて気持ちが悪い。

 どうしてここまで計画しているのに金銭を借りることができなかったのか、ボクらは外の世界に疎すぎるのが弱点になっている気がする。


「シノ、今回は私が話を進めておくよ。一度考え直しに、外に出てきたらどうだい?」

「っ!? そ、それはボクがいらないってこと!?」


 優しいアイリスの声を聞いた瞬間、変に気を使われていることがショックで、思わず大声を上げてしまう。


「そんなことは言っていないよ。でも、今のシノは冷静ではないように見えるから。落ち着いたら戻っておいで?」


 どうして? なんでアイリスはわかってくれないの? ボクは必要ないの?

 頭の中がぐるぐると回り続ける。


「アイリスのばか!!」

「シノ! 待っ――」


 アイリスの言葉を聞かずにボクは駆け出した。

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