胸騒ぎ①

 笹山家のある日の朝の食卓で、母が言った。

「良かったわね。お兄ちゃんが協力してくれて。お母ちゃんも嬉しいわ。いっつも連絡取りたい気持ちは山々だけど、ずっと我慢してきたでしょ。雪菜の投稿見てるとお兄ちゃんの声が聞こえるようだわ」


「正直、びっくりしてる。お兄ちゃんがあんな色々と書いてくれるなんて思ってもみなかったしさ。だって、これ迄なんか、いくら私がLINE入れても、返事来ないか、来ても一言しか書いてこなかったし、向こうからLINEくれる事なんて無かったのにさ」


「そうよね。透は誰かさんに似てぶっきらぼうだし、あんまり自分から話す方じゃないわよね。お母ちゃんも、今迄知らなかった透の一面を見てるような気がしてたわ。ま、今迄が忙しすぎたんでしょ。ちょっと今、時間が取れるようになって心にも余裕が出来たんじゃないの」


「何か、私がコロロンの小説を書こうと思ってから、不思議な事がいっぱい起こるんだよね。FOX先生、北斗、お兄ちゃん‥‥‥。そもそもコロロンの小説を書こうと思った時に、一番気になったのがお兄ちゃんで、お兄ちゃんを主人公にしようかなって思ってたんだよね」


「雪菜の小説が家族の絆を強めてくれる物になりそうね」


「そうなったら嬉しいね」


 専ら母親と雪菜の会話が続く中で父親がボソッと言った。

「絆が強いから、この小説が生まれるんだ」


 何だかおかしくてみんな笑った。

 みんな?‥‥‥じゃなかった。おばあちゃんは笑っていなかった。何かちょっと暗い顔をしているように見えた。食事が終わる頃、おばあちゃんが言った。

「雪菜、あとでちょっと話を聞いてくれるかい?」と。

 雪菜は「どうしたんだろう?」と思ったけれど、努めて明るい声を出した。

「うん。片付けたら切り株に座って話そっか。ちょっと待っててね」

 そう言って食器を片付け始めた。


 雪菜とおばあちゃんは切り株に座って話し始めた。

「おばあちゃん、どうしたの?」


「話そうか、話すまいか迷ったんだけどね。私の取り越し苦労だったらいいんだけど、どうも胸騒ぎがするんだ」


「え? おばあちゃん具合悪いの?」


「私じゃないんだよ」


 雪菜はちょっと考えた。

「お父ちゃん、お母ちゃん、お兄ちゃん、みんな元気そうだよな‥‥‥」


 雪菜が続けた。

「誰か具合悪いの?」


「分からない。誰も具合悪くないかもしれない。そうだといいんだけど」


 雪菜は最近の色んな場面を一気に思い浮かべた。

「え? まさか⁉︎」

 雪菜は血の気が引いた。

「お兄ちゃん? 違うよね」


 雪菜はおばあちゃんが「そうじゃないよ」って言ってくれるのを期待した。

 おばあちゃんが言った。

「分からないよ。おばあちゃんも違うと信じたい。雪菜、この前、家族で画像見ながら電話したろ? あれは何処かに残っていないのかい?」

 「残ってないよ。そんなの」

雪菜はそう言いながら、あの時の様子を思い出してみた。

「あ、お母ちゃんがスマホの画面を写真に撮ってたかもしれない」

 それを言い終わらないうちに雪菜は母親の元に走っていった。


「お母ちゃん! ねえ、この前写真撮ってたでしょ?」


 急に言われた母は戸惑った。

「どうしたの? 何かあったの? 何の事?」


「あー、あのほら! この前家族で電話した時の。お兄ちゃんと話したでしょ。あの時、お母ちゃん、お兄ちゃんがスマホに映ってる画面を撮ってなかった?」


「あー、撮ったわよ。それがどうかしたの?」


「いいから早く見せて!」


 母親は「どうしちゃったのかしらねえ」と言いながら、自分のスマホを持ってきて、写真の画面を開いた。

「あ、あったあった、コレコレ」


 雪菜は母親からスマホを奪った。元気そうなお兄ちゃんの顔が写っている。写真のバックは白っぽい。何かが写っていないか目を凝らし、画面を拡大してみるが、よく分からない。

「ねえ、お兄ちゃんの部屋って白っぽかったっけ? これ、お兄ちゃんの部屋だと思う?」


 母親は雪菜からスマホを取り上げて画面を見ながら言った。

「お兄ちゃんの部屋なんて、よく覚えてないけど、部屋全体のイメージは青よね。それが何か?」

 そう言いながら母親も少しずつ不安な顔になっていった。


 雪菜が叫んだ。

「お母ちゃん、すぐヘルパーさんに電話して! かかったらすぐ私に代わって!」

 母親はすぐに電話をかけた。


「いつもお世話になっております。笹山です」


 その後、受話器の向こうから男の人の声がした。雪菜は母親から受話器を奪った。

「笹山透の妹です。あの、兄は元気なんですか?」

 雪菜はヘルパーさんの声を待った。


「あ、はい。家族から電話があったら、元気だと伝えてくれと言われています」


「え? どういう事ですか?」


「あ、はい。申し訳ございません。ちゃんとお話致します。あ、あの、まず透君は大丈夫なので心配しないで下さい」


 雪菜はまずその言葉に少しだけ救われた思いがした。ヘルパーさんが続けた。


「私共は、透君に何かあった場合に御家族さんに伝える事は義務です。その義務と透君の強い要望とどちらを取るか悩みました。

 あ、心配しないで下さい。緊急な場合とかは、いくら透君の強い要望があっても伝えますから。

 前置きを長くしても、あれですから、今の状況をお伝えしますと、透君は今、入院していますが元気です。四月の初旬に少し体調が優れない時があって、病院に検査を依頼していました。すぐに検査は出来ずに自宅療養。その後検査をして陽性反応が出ました。それで入院となったのですが、極めて軽症で、透君とは毎日連絡を取っていますが、お元気です。

 今現在、軽症の方は入院出来ない場合が殆どですが、透君の場合はお身体が不自由ですし、何かあった場合を考えて入院という形を取らせて頂けました。

 入院したって家族が知ったら、凄く心配するから連絡するのは待ってくれと透君に強く言われました。

 極めて無症状に近く、他の人に感染させるリスクが無くなったら退院出来るから、家族には言わないでくれと。

 少しでも容態が悪化したら御家族に知らせるという事は承知してもらっています。申し訳ございません」


 とても誠実に話をしているのが雪菜には分かった。いつも親身になって本当によくしてくれているヘルパーさんだ。彼のお陰で雪菜達は安心して、透を一人暮らしさせておく事が出来ている。


「やっぱり‥‥‥。ありがとうございました。また後で連絡させて下さい」

 そう言って雪菜は一度電話を切った。

 雪菜の目から涙がこぼれ落ちた。元気だっていう安心した気持ちと、感染しちゃってたんだという気持ちと、容態が悪化する可能性への不安と、この所の二人でのやりとりと、色んな事が浮かんできて、涙が止まらなかった。

「うそつき」

小さな声で何度も呟いた。


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