第04イヴェ ヨッポー、〈ツアー〉概念のコペルニクス的転回
南森義武は、池袋サンシャインの噴水広場で、〈エール〉こと、アニソン・アーティスト、翼葵さんのミニライヴと握手会に参加した結果、完全に彼女に〈おち〉てしまっていた。
その衝撃的な初対面から今現在に至るまでの二年もの間、毎日毎日、繰り返し繰り返し、飽きることなく曲を聴き続けてきた。
さらに、義武は、WEB上で、〈エール〉さん関連の情報を可能な限り集めてもきた。
だが、それだけでは飽き足らず、どんな些細な事柄でもよいから、少しでも、エールさんのことを知りたくて、また、エールさんのことを語りたくて、ネット上に数多散在している幾つかの〈エール〉グループに参加もしてきたのである。
しかしながら、実際にリアルな〈現場〉で顔を合わせるのではなく、ネット内だけのヴァーチャルな関係で、本名ではなく、〈ヲタク・ネーム〉を使ってはいるものの、ソーシャルネットワークもまた、人の集まりであることに変わりはない。つまり、〈合う・合わない〉という事態は起こり得る事であった。
例えば、義武が参加したグループの中には、どうしても気に入らない奴がいて、入会後即抜けしてしまったグループがあった。また。即抜けはしなかったものの、グループのミーティングにはほとんど参加せず、幽霊メンバー状態のままのグループもあったし、あるいは、会話を〈ロム〉っている、つまり、会話の流れを読んでいるだけで、積極的には、発言に自ら関わらないグループもあって、なかなか「コレだ」というグループに出会えずにいたのである。
そんな紆余曲折を経た末にようやく、義武が恒常的に参加することを決めたグループというのは、義武とほぼ同じか、あるいは、少し歳上の中・高年を中心に構成されている〈エール〉グループであった。つまるところ、年齢がほぼ同じくらいの大人の集まりだったので、それまでヲタク文化には全く触れてこず、たまたま〈エール〉さんを知って、ヲタク的にまっさらで無垢な状態から、中年になって、突然ヲタク化してしまった義武のことさえも、快く受け入れてくれたのであった。さらに、そんな突然変異種の義武のヲタク知識の足りなさをバカにしない、という点もまた。他のグループとは違っていた。そもそも、グループの中には、義武と似たような、中年になってから突然ヲタクになった、そんなキャリアのメンバーも他に何人かいて、ぶっちゃけて言うと、義武は、そのグループの居心地が悪くなかった分けなのである。
ちなみに、グループの中で、義武(よしたけ)は、本名を文字って、〈ヨッポー〉と名乗っているのであった。
エールさんの夏の全国ツアーの告知があったその日の夜、義武こと、ヲタク・ネーム、ヨッポーが、ラインで、グループの中心メンバーである〈グッさん〉に、ツアーに関する相談を持ちかけた所、その週の華の金曜日に、グループの〈オンライン・飲み会〉を開催する予定なので、その飲み会で、今回の〈ツアー〉を肴にしよう、という話になった。
そして、ヨッポー待望の金曜の晩が訪れた。
会社からの帰りしな、近所のスーパーでビールや酎ハイ、さらにツマミを大量に買い込んだ義武は、開始予定よりもかなり早い時刻に、ミーティング・アプリにログインして、そのアプリの〈待合室〉内で、ホストのグッさんがミーティングを開始するのを、今か今かと待ち続けていたのであった。
やがて開始時刻の三分前に、グッさんによって参加の許可が下りると、リアルでは未だ一度も会ったことはないが、オンラインではすっかり顔馴染みになっているグループ・メンバーたちの顔が、次々にパソコンのモニターの上部に並んでいった。
「グッさん、ふ〜じんさん、とっきいさん、スギヤマさん、じゅ姐さん、シュー君、こんばんは」
ヨッポーがメンバーたちに挨拶をすると、画面の中央部にヨッポーの顔が大きく映し出された。このミーティング・アプリでは、現在進行形で話をしている者のウィンドウが大きく映り出るような仕様になっている。
「「「「「「おっ、ヨッポーさん、こんばんは」」」」」」
リアルな現実空間においては、全国の様々な地にいるはずのメンバーが、画面の中でそれぞれのイントネーションで「こんばんは」と発していた。
「後から、何人か遅れて参加するけれど、ほな、ここにおるメンツだけで、とりあえず、乾杯しよか」
グループ・リーダーのグッさんがそう切り出すと、各自、ビールの缶を手にとった。
画面上の小窓全てに青い缶の〈香るエール〉が映し出され、グッさんの合図で、一斉に次のような掛け声が上がったのだった。
「「「「「「「エイ、エイ、ルー」」」」」」」
メンバーは、しばらく近況などを語っていたのだが、ツアーの話がしたくて、ジリジリしていたヨッポーが、ついに自ら切り出したのだった。
「ところで、みなさんは、今度のツアーはどこに行かれるのですか?」
「「「「全通」」」」」
グッさんとふ〜じん、とっきい、そしてシュージンが、ヨッポーの問いに同時に応えた。
「?……。『ぜんつー』って、いったい何ですか?」
ヨッポーが素朴な疑問を発した。
「全箇所通う、すなわち『全通』ってことだよ、ヨッポーさん」
じゅ姐さんが、そう語の説明をした。
「えっ、えええぇぇぇ〜〜〜、ツアーって、全国を回っているアーティストが、自分が住んでいる土地でライヴをやってくれた場合に、そこに参加しに行くものじゃないんですかっ!?」
「「「「「「ちっ、ちがあああぁぁぁ〜〜〜う」」」」」」
ヨッポー以外の全員が同じ反応を示した。
「い、いったい、ど、どおゆうことですか?」
ふ〜じんが説明を始めた。
「ツアーってのは、演者と一緒に、可能な限り全国を巡ってゆくことだよ」
「へっ!」
ヨッポーは、日帰りできる地域以外に行こう、と考えている事は特殊な異常事態で、逆の意味では、自分こそは、〈エール〉さんを熱心に〈おし〉ている〈特別な存在〉だと考えていたのだ。
だがしかし、上には上がいるようだ。それにしても、全部だなんて……。
「グッさん、ふ〜じんさん、とっきいさん、シュー君、全通なんて可能なんですか? 平日公演もあるし、大学生のシュー君ならまだしも、みなさん、仕事や、私生活、大丈夫なんですか?」
「そんな、先のことなんか、分からへん」
グッさんが、そう応じた。
「えっ! 予定が未定なのに、チケットを取るんですか!?」
「あのね、ヨッポーさん、つまるところさ、行ける行けないを考える前に、チケットはまず全部おさえる。とりあえず、チケットを握っていないと、結局、何も始まらないから。で、チケットの確保の後、できる限り多くの〈現場〉に行けるように、可能ならば全通すべく、仕事や私生活のスケジュールを調整するって話なんだよ」
とっきいが、そう付け加えた。
「時間と金の両方がありあまっているからって、ツアーに通うわけじゃないよ」
「伊達や酔狂じゃないんですよ」
とメンバーが口々に言っていた。
「………………………………………………………………………………………………」
ヨッポーは、ビール缶を握ったまま、声を失ってしまっていた。
なんてこった、パンナコッタ……。
ここにいるメンバーの内、グッさん、ふ〜じんさん、とっきいさん、そしてシュ~ジン君が〈全通〉を考えているらしい。
ただ単に、どこかに〈遠征〉しよう、と考えている自分なんて、特別でも何でもない、普通の只のヲタクではないか!
驚愕のあまり声を失ってしまったヨッポーに、スギヤマが声を掛けてきた。
「ヨッポーさん、気にすることあらへんよ。〈全通〉なんて、この人たち、頭、沸いてるだけやから」
「はあああぁぁぁ〜〜〜? 関西人なのに、毎週、東京に来ている〈週末都民〉のスギヤマさんに言われたくはないね」
そう、ふ〜じんが、すかさずスギヤマにツッコミを入れていた。
「あっらあああぁぁぁ〜〜〜、ブーメラン、戻ってきたわ」
「まあ、ツアーは自分の行ける範囲で、行ける所に行けばいいんだよ。〈全通〉狂の真似なんてすることないって。ところで、ヨッポーさんは、ツアー、どうすんの?」
じゅ姐さんが、ヨッポーにそう訊ねてきた。
「そ、それを今日は相談したかったのですよ。自分、今回は関東の四ヶ所・五公演に静岡を加えた五都市以外のどこかに初遠征したい、と考えているのですが、どこに行ったら良いのか決めかねていて。何せ、普通の旅行すら、あまりした事なくって。新幹線や飛行機、ホテルとか、結構、お高く、ついちゃうんでしょ? 自分、それほど遠征にお金を割けなくって」
「なるほど、ね、じゃ、激安移動が希望ならば、ふ〜じんさんに相談してみたら」
こういった次第で、ヨッポーは、ふ〜じんと二人で、ミーティング・アプリの、〈ブレイクアウト・ルーム〉という個別ミーティング機能を利用することになったのである。
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