人生一度きりの犯罪探偵

葎屋敷

第1話 失踪

 大学一年生の初夏。俺は自宅にて、友人の悩みを電話越しに聞いていた。


「――ということで、彼女さ、ぬいぐるみが好きなんだよぉ。デートの最初にはサプライズでおっきい熊のぬいぐるみプレゼント! とかどうかな!?」

「初デートの初っ端に、いきなりデカいぬいぐるみプレゼントされたら、物理的にも精神的にも重い」


 お悩み相談、というのは名ばかりで、半分くらいは惚気だったりする。

 惚気ている友人こと鈴木は、俺の小学生からの幼馴染だ。隙があれば「彼女が欲しい」とぐちぐち訴える奴だったので、最近俺のバイト先のをひとり紹介したところ、見事にカップルが成立してしまった。


 これで寂しい鈴木がリア充の鈴木に進化した。余裕を手に入れ、さぞかし大人しくなるだろうと思われた鈴木だが、特に静かにはならなかった。今度は愚痴の代わりに、俺に惚気を聞かせるようになったのだ。

 正直うざい。


「もう、お前は一人で考えろ」

「あ、ちょっと待てよ田中! まだ――」


 惚気足りない奴はまだなにか喋っていたが、気にせず俺は通話を切った。


 ――まったく、どんな状況下においてもうるさい奴だ。


 普段から声が大きい奴であることは知っていたが、今日は一段と大きい。電話越しでも耳が痛い。俺はベッドに身体を沈める。今日は早く休んで、明日に備えなければ。

 なぜなら、明日は明日で、別の愚痴を聞かなくてはならないのだから。



 *



 俺と鈴木はよく二人でつるんでいた。幼馴染で気が置けないからだろう。

 しかし大学に入ってからは、もう一人つるむ人が増えた。


「鈴木の奴、マンホールに頭からはまって死なないかな」


 それがこの人。鈴木に対しての呪詛を吐いている山本先輩である。

 彼は授業のグループワークで一緒になったことをきっかけに仲良くなった。基本的にはいい人なのだが、彼女持ちに対する妬みが凄まじい。なにかをこじらせている。

 俺は今日、大学近くの居酒屋にて、鈴木が彼女とデートに行っていることが受け入れられないこの先輩に対し、適度に相槌を打たなければならない。


 おそらく、これは鈴木がデートに行く度にやらなくてはならない恒例行事となるのだろう。おそろしい。


「残念ながら、鈴木の奴はマンホールに嵌るほどデブじゃないですね。頭から下水に落下して死亡です。さすがに哀れですよ。もうちょっとマシな死に方させましょう」

「じゃあ、地球滅びないかな」

「いきなり考えるの放棄しないでください、怖いから」


 先輩は自暴自棄になっている。ぶつぶつと気味の悪いことを呟くものだから、周りの客に気味悪がられていた。

 

 ――そんなんだから彼女できないんですよ、とは絶対に言ってはいけない。


「だいたい、お前が鈴木に女紹介するから!」


 俺が呆れかえって先輩を見ていると、突然先輩の怒りの矛先が俺に向く。勘弁してほしい。


「えー、いや。あいつが俺のバイト先の写真見て、『この娘、紹介して!』って言うから……」

「バイト先って綿菓子専門店?」

「はい、そうです。家から近くて」


 家から徒歩二分。駅前からちょっと離れたところにできた、綿菓子専門店が俺のバイト先だ。立地が良いとは言えず、あまり流行っていない。

 そんな暇を持て余すことが多いバイト先では、新人が入る度に歓迎会が行われる。そのときの写真を鈴木に見せたところ、奴の目に一人の女子が留まった。

 女子の名前は林堂さん。俺と同い年の大学生だ。

 鈴木は彼女に大変惹かれたらしく、かなりしつこく紹介してくれとせがまれた。彼女と仲が良くも悪くもない俺としてはかなり面倒だったのだが、最後には押し負けて、本人の許可をもらい連絡先を鈴木に教えた。すると、あっという間に彼女と鈴木は仲良くなったのだ。

 これらの経緯から、鈴木に彼女ができたのは俺のせいだ、と先輩は言う。


「だいたい、綿菓子専門店ってなんなんだよ」

「綿菓子だけ売ります。虹色の綿菓子も作れます」

「よくそんな女子しかいなさそうなところで働けるな。周りの『へぇ、男の人でもこんなところ働くんだぁ』って目、辛くない?」

「周りにどう見られても、特になにも思わないんで」

「メンタル鋼か?」


 先輩は信じられないものを見るかのような目で俺を見る。基本的に先輩がいい人であるということは強調しておきたいが、後輩相手には容赦のない人でもある。


「ああ、鈴木の頭に隕石落ちないかぁ」


 先輩はそう言って、スパークリング日本酒を一気飲みした。

 おそらく明日、先輩は二日酔いである。



 *



 さて、こんな先輩の呪いの言葉が効いたのか、否か。

 次の日、鈴木は大学に来なかった。


 二日酔いの状態で授業に参加する先輩に水を差し入れつつ、俺はSNSで鈴木に「寝坊か?」と一言だけ送った。

 その後、鈴木から返事がすぐ来るかと、出席票に名前を記載したり、授業のノートをとったりしながら待っていたのだが、返事は来なかった。

 しかも、鈴木はその日、大学には終日来なかった。俺のメッセージに返事もしない。いつも返信の早い鈴木にしては珍しい。そんなことを思った。



 そしてその夜、鈴木の母親から連絡があった。



 *



「鈴木、今日も休みだそうです」

「はぁ?」


 翌日、俺は講義室で先輩に会うと、開口一番にそう言った。

 先に到着して席に座っていた先輩は、椅子に荷物も置かずに自身のところにやってきた後輩に対して閉口する。そして眉を吊り上げた。


「珍しいな。あの元気だけが取り柄です! みたいな奴が」

「はい。小学生の頃から皆勤賞を逃したことがない鈴(あの)木(ばか)こそ、『馬鹿は風邪を引かない』という俗説があながち嘘でもないんだと証明した、至極稀有な存在だと思ってたんですが」

「その馬鹿が、ついに風邪引いたって?」

「いえ、それが……。ちょっと風邪じゃないかもしれなくて」

「ほう?」

「鈴木の奴、家にも帰ってないって、昨日鈴木母から連絡がありました。SNSで居場所訊いても音沙汰なし」


 「俺が訊いても未読です」と、俺は携帯を強調するようにシャカシャカと横に振った。

 先輩は俺の主張に少しばかり目を細めた。先輩の考えていることを代弁するなら、「」だろう。鈴木は毎日SNSに目を通すし、わざと返信しない、ということもしないため、疑問形で文を送ればすぐに返事が来る。未読スルーをすることもしない、素直というか、真っ直ぐな奴である。それを先輩も知っている。


「それは……、珍しいを通りこして異常事態じゃないか? 一応、あいつは実家暮らしだし、まだ無邪気な子どもっぽいっていうかさ。無断外泊なんてする性格たまか?」


 と、先輩は背中を椅子の背もたれに深く預け、腕を組んだ。

 俺はそんな先輩を見下ろしながら、深く頷いた。それは異常事態なのではないか、という先輩の危惧に頷いたのではなく、子どもっぽいという鈴木への評価に対するものだった。

 確かに鈴木は中学生っぽい。なにせ、あいつは未だに中二病を再発させることがある。この前も「なんかカッコいい気がする」という理由でモールス信号覚えたいと言い出して、昼休みにパン食べながら覚えようとして、結局挫折していた。アホめが。


 そう、鈴木という奴は、オリジナルの暗号を作りたい、と言い出した中学生の頃から現在に至るまで、あまり変わっていない。付き合いが長い分、人間というのはそれぞれ成長の限界値が決まっており、鈴木の精神はもうすでに中学生くらいで打ち止めになってしまったのではないだろうか……。

 と、我ながらひねくれた自分としてが、そんな悲観的な感想を抱いてしまうくらい、鈴木は子どもである。


「まあ、でもそんなガキっぽい鈴木が、彼女を作ってようやく反抗期に目覚めたのかもしれません。人間の成長の可能性は大学生そこらで潰えるものではなかった、と。随分夢と希望に満ちた話じゃないですか。泣けませんか?」

「提唱してるお前が眉ひとつ動かしてないのに、どうやったら泣けるんだよ。お前もたいして反抗期って思ってないだろ。だいたい、か・の・じょ、なんてものできたからって、家に連絡しない理由にも、大学を休む理由にも、お前を無視する理由にもならねぇじゃねーか。俺はお前らとは大学からの付き合いだけど、ちと変だなって思うぜ」


 先輩の主張に、俺は押し黙った。確かに、小さい頃からあいつの面倒を見続けてきた幼馴染としては、鈴木の音信不通、無断欠席はかなり不可解なのである。

 それはあいつが子どもっぽいという理由の他に、鈴木という男は健康でいることと、声がでかいことと、気が弱いことくらいしか取り柄のない奴だということも理由としてあげられる。

 そんな奴だから、学校を病欠したことはないし、(俺の知る限りではあるが)バイトを休んだこともないはずだ。それくらい、奴は丈夫な身体をしている。今でも、あいつに誘われた雪合戦の翌日、風邪をひいた俺の横で、あいつがピンピンしていたことを覚えている。


 それに、どんなにテストが嫌であろうと、地味に走るのが苦手で運動会をサボりたがっても、母親や先生に叱られるのが怖くて、ズル休みというものをしたことがない。いわゆる真面目くん、というやつだった。

 ここで言う真面目というのは同時に臆病であることとか、同調圧力に弱いことと類似している。鈴木の真面目という俺の評価の裏にも、もちろんそういう意味があり、出席確認ありの授業をわざわざサボるような度胸など、奴にはない。みみっちいから、成績に直接悪影響がありそうなことはしないように思うのだ。


 こういった理由から、鈴木は無断欠席などしないだろう。


「確かに先輩と違ってあいつ根は真面目なので……。ズル休みしたくても、する度胸ないと思います」


 だから、思ったことを端的に、ありのままに先輩に伝えた。


「ふんっ」


 すると、脛を蹴られた。痛い。


「俺が真面目じゃないみたいに言うんじゃねぇ。……たく、そうなってくると、やっぱり変だよなぁ」

「……そうですね。なんか交通事故とか……」


 先輩の言葉に流され、俺の善の心溢れる素晴らしい心に、思わず幼馴染への心配が生まれてしまう。

 人が音信不通になる事情として、一番に思いついたのは事故だ。車にでも轢かれて、今頃どこかの病院にでも昏睡状態で――、


「いや、それはなくね? あいつ、どんなに提出物だの財布だの忘れても、携帯だけはわすれねぇじゃん。携帯のカバーのポケット、あいつ学生証入れてるから、なんか事故に遭ったら、家族に連絡いくだろ」

「そうですね。事故に遭った可能性は零じゃないですけど、限りなく低い」

「うーん、そうなると、鈴木には自分から音信不通になるような度胸もなければ、事故に遭ったわけでもない……と、なるとなんだ?」

「やっぱり、彼女関係でなにかあったのかもしれません。タイミングがタイミングですし」


 鈴木は彼女との初デートの日にいなくなっている。もしかしたら、またバイト先に連絡が来ていないだけで、彼女の方が事故に遭った、なんて可能性もあるかもしれない。それなら、少なくとも病院が連絡するのは彼女の家族であり、自主的に付き合う鈴木についてはノータッチになる。非常事態に頭がついていかない鈴木が、連絡をサボる理由にもなる。


 二日間も家に連絡しないくらい混乱し続けてるようなことは、さすがの鈴木もないと思うが。


「チッ。彼女関係で鈴木が休んでるっていうなら、なんていうか、あれだ。振られたんじゃねーの? で、ふさぎ込んでるだけなのかもしれねぇ。そうだ、そうに違いない。そうであれ」


 自分にないものだからか、先輩は彼女、という音を聞くと機嫌が悪くなる。凄まじい嫉妬を乗せて舌打ちをした後、鈴木リア充への呪詛を生み出して吐いた。


「……鈴木が振られてたら、あいつは普通に自分の部屋で落ち込むと思いますよ。それに、俺たちに愚痴言いまくってます。先輩も二日酔いする暇ないですよ。俺ら、自分たちが満足に飲む余裕もなく、あいつのやけ酒からみ酒の餌食です」

「確かにあいつ、酒癖俺よりひでぇからなぁ。でもあいつだって、初彼女に振られたら、俺らに愚痴言うより前に、一人の時間が欲しいって思うかもしんねぇじゃん。今頃カプセルホテルとかに泊まって――」

「先輩。あいつに旅行だの外泊だのができるほど、金の余裕あると思いますか?」


 先輩の考察に俺が口を挟むと、先輩は押し黙った。


「つい三日前、彼女とのデート代がないって、俺から千円借りていきましたよ、あいつ」

「俺は五千円貸したわ。そういえば、いいパソコン買ったとかで、クレジットの上限いっちまったんだっけか」


 クレジットくらい二枚は持っとけよなぁ、と先輩。

 まあ、俺も一枚しか持っていないので、この件を広げることはしない。


「うーん、じゃあ、野宿とか?」

「鈴木は虫嫌いです。蚊より大きい虫がいたら、女子よりキャーキャー言ってる気持ちわ――、情けない奴です」

「言い直した意味あるか、それ?」


 先輩がひねり出した意見をまた否定したからか、俺の言い回しが厳しいと思ったのか。先輩は苦い顔をした。


「虫が大量にいるこの時期に、あいつが野宿なんてできるはずない、って話です」

「んんん? じゃあ、あいつ、本当にどこいるんだ?」


 先輩は黙り込む。その顔は真剣そのもので、見ている俺の心に懸念が生まれる。俺はなにも言えず、黙って先輩の口が再び開くのを待った。

 そして、およそ十秒後。先輩はカッと目を見開きと、すっきりとした表情で口を開いた。


「わかった! やっぱり彼女だ! 鈴木は今、彼女に騙されて美人局の罠にかかり、借金を返すためにマグロ漁船に乗っているんだ!」

「……………………」


 なに言ってるんだ、こいつ。


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