刃と槌

 昔の話だ。鉄格子の中に少女たちが閉じ込められていた。3人の少女は冷たい硬質プラスチックの床にごろりと寝転ぶ。その周囲の鉄格子は拘束のためではない。彼女たちの全身に埋め込まれた小型爆弾を爆発させないようにする発信機としての役割が隠されていた。



「お姉ちゃん、お腹がすいたよ」


 

 一番年下のニーナ2が震える声で呟く。彼女たちは最低限の食事しか与えられていない。それは分裂体の特性による身体能力や再生能力などを発揮されて反逆させないためであった。一番年上のレイナ0は落ち着かせるために穏やかな声で語る。



「ニーナ、大丈夫さ。いつか出られるから」


「いつかって?」



 レイナの声にそう返したのは体育座りで頭を自らの膝に押し当てている少女だった。No.1と鉄格子には書かれている。彼女の濁った眼には何一つ光がない。全てを諦めきった彼女の肩には大きな傷跡がある。自ら自爆装置を起動させ自殺しようとした際の痕跡だ。治そうと思えば治せるのに彼女はいつになってもそうしようとはしなかった。


 レイナは監視カメラと反対側にうずくまる。その手には研究者の机から盗んできた漫画があった。この研究室は外部に情報を漏らさないためネットが使えない。そのため紙の本を娯楽の為に多くの研究者たちは持ち込んでいた。そしてそれらは重要でないが故に管理が甘く、また第2世代獣人が何年にもわたり制御可能であったという実績も相まった検査の隙をすり抜け回収することに成功していた。



「それよんでもなにもならないよ。どうせおわる」



 そう諦めを呟く彼女にどういったものか、とレイナは苦笑する。そして自分が持っていた漫画に目を落とした。



「堕天作戦って漫画なんだけどこれがまた面白いんだ」


「どうせおねえちゃんのすきなはっぴーえんど」


「いやそうでもない。むしろ人が驚くぐらい死ぬ。でもそれがかっこいいんだ。驚くよ、仲間を裏切り敵に寝返るキャラクターすら輝きを放っている。だから思うんだ、死ぬならこれがいい。輝いて、まるで物語の主人公の如く」


「ばっどえんどでもいい?」


「いやだけどね。でもどうせそうなるなら、せめて」



 これはひどく昔。まだ獣人達の反逆、彼女レイナが日本にたどり着く前の物語。未来の破滅を知った、20年後以降が存在しない事を知ってしまった少女たちの話である。白犬レイナ率いる獣人達は絶望を知りながら決起し、死地を主人公の如く乗り越え、そして未島勘次と『HAO』に出会う。



だが彼女ラックは。



「どうせばっどえんどなんだから、ぜんいんはやいうちにしんだほうがいいとおもう」



自身の妹を惨殺し姿を消した。





「あの無気力な一号が随分と元気そうじゃないか。彼氏でもできたかい?」


「作ってみたけどウザかったから消したよ、懐かしいなぁ~」



 蠱惑的な笑みのままラックは笑う。その見た目は大きく変われど白銀の髪に獣の耳、妙に露出の多い短パンに腹を出したカジュアルな服装であったがその黒い服は今血に塗れている。だがそんな彼女もまた困惑していた。レイナが真っ先に浮かべる表情は怒りで、迷いない殺意で攻撃してくると思っていた。だが何だこの状況は。険しい表情ではあるがそれ以外の感情が紛れ込んでいる。



 面倒くさい、だ。



「うん、面倒だから殺したんだ。バッドエンドにたどり着くなら別に何しても報われることも罰されることもない。なら適当に快適に生きて、何となく死ねばいい。偽りの幸福でもある程度は楽しいからね~。ニーナはそのテスト。でも私は死んでないし、つまりは殺しても私は悪くない」



 100%の本音であり、そして挑発であった。かかって来いよという煽り。彼女たちの背後で銃声と破裂音が鳴り響き続ける。だがそんな中でレイナは耳に付けている通信機から聞こえてきた音を聞き頭を抱える。

 それらが全て些事だと言わんばかりに。



「ああごめん、そういう話は1か月後とかで頼めないかな? その時ならきっと予定が空いているからさ。今馬鹿が馬鹿したから私まで馬鹿をしなければならなくなっているんだ」



 レイナの怒りが先行することはない。奇妙な状況だった。復讐する側がやる気がなく復讐される側がアピールする。これではまるで道化師だ、とラックは一人憤る。まるで、いや事実自分がどうでもよいものだと言われたのだ。その怒りは容易に暴力という選択肢に彼女を進ませる。



 いらつきを覚えたラックは腰からナイフを数本取り出し、レイナに投擲する。ただの投擲、しかしその手は風切り音を残して消失し刃は弾丸に迫る勢いでレイナの四肢を微塵にしようとする。だがレイナは獣人としての身体能力により軽く避ける。飛んでいくべきではない遥か彼方までナイフはたどり着きロケットランチャーすら霞む轟音を奏でる。第2世代獣人の身体能力という意味では同等であり、レイナであればそれ以上の暴力を振るうことができる。



「お姉ちゃん、私より遅いんだからもっと本気出さないと大変なことになっちゃうよ~?」



 が、それより更に早くラックは首元に向かって刃を振るっていた。テレポートするかの如き速さは獣人の身体能力によるものだけではない。分裂体としての機能をフル活用した身体改造だ。今の彼女は数多の生物を参考とした柔軟さと素早さに特化した体になっている。



 首元を分裂体としての能力を用い展開した鱗により防御するが同時とすら思える速度で腹に刃を突き立てられる。流れる青い血を無視してレイナはラックに掴みかかるが既にそこにはおらず、彼女は騒音を聞きつけて飛び出してきた住民に向かって狙いを定めていた。



「ぐっ!」


「お姉ちゃん、パワー凄いから捕まると流石に負けちゃうんだよね。だからこうやって嫌がらせしながらずっとダメージを与えていく事に決めた! さあ、何人守れるかな?」



 足を無理やり稼働してレイナが投擲された刃の軌道に体を割り込ませる。その隙にラックの刃が肩から腰に掛けて走り再び血に塗れる。割り込んだことで弾き飛ばされたナイフは住民の近くの床に激突し爆発、クレーターを生成する。



 再びつかみかかろうとするが既に時遅くまた距離を離され、そしてラックは刃を投擲していた。『雷鳴』の持ち出してきた装甲車に刃が激突し、ぐちゃぐちゃに歪んで貫通する。弾幕を張るのに夢中だった構成員に耐える術はなく巻き込まれて赤い血が飛び散る。



「あれー、『雷鳴』の人は庇わなかったね? 人を殺しているから殺されてもいいんだって? 凄いね、都合のいい理屈。自分を殺してくる人を全て殺せるじゃんその理屈最高! でも力を持つ人間として止めるべき責務とかあったんじゃない?」


「そういう会話が面倒なんだよね。理屈をこねまわしている暇があるのなら、紅葉風にいうならそうだな。この引き延ばしを早く終わらせるべきなんだ」


「引き延ばし?」


「うん。ゴールは見えて脅迫の材料も揃い、終わらせるための鍵も手に入った。なのにこんなところで急に出てきた新顔と戦闘をしている。無駄だ。漫画だったらページ稼ぎだって言ってボコスカに批判が飛び交っているだろうさ。だって君たちは本質的に紅葉の計画している作戦に必要じゃない、重要なアイテムも持っていない、しかし邪魔はしてくるただただ迷惑な相手でしかないんだからね」



 現状、民間人や仲間を守る必要があるレイナと何をしてもいいラックには余りにも大きな差がある。掴まれたら終わりとはいえそれがはるかに遠い。白犬レイナに待つのは失血死か仲間の大量の死という末路だ。



 そして当然、第2世代獣人に敵う戦力などないが故に、それだけで終わりなのだ。



「だからささっと終わらせよう。先輩、お願いします」


「『教団』という意味ではそちらが先輩だと思うがな、白犬」



 突如暴風が鳴り響く。それは赤い量産型Apollyon。ただし展示されていた物とは違いフルチューンの施された、Ver3.00相当の性能を誇る機体である。名を『アンファングロート』と言う。その機体は100mは先の天井から床を蹴って突進してきていた。



 MNBを使用した機体の強襲にしかしラックは余裕を持って対処する。短く槌を持ったそのApollyonはいくら早くとも所詮対分裂体を想定したもの。人間サイズで音速機動すら可能にする怪物との戦闘に向けたものではない。



 なのに斜め後ろに回避したラックの体にはどうして槌の柄が叩き込まれているのだろうか? いつの間にかそのApollyonは槌をペン回しの如く回転させリーチを広げ速度を加速させていたということに気が付いたのは吹き飛ばされてからであった。レイナに掴まれないよう勢いに身を任せ体勢を立て直す。しかし追撃はなくレイナがホールに飛ぶ姿が見える。



「じゃあしばらく任せました」


「任された。だが早めに帰ってきてくれよ。何といったって」



 その赤い機体と声に聞き覚えがある。事前情報で知らされていた最重要人物の一人。分裂体を10体倒した人間。



「人類最強のApollyon使い……!」


「俺は1対1はあまり得意じゃないんだ」



その仇名に偽りはない。

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