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 私の言葉を聞くと、少女は急に冷めた物言いで「村の大人みたいなこと言うんだ」とポツリと呟いた。


 カミサマの孫に興味を失ったのか、少女は縁側から跳ねるように離れて、草花の生い茂る庭へと向き直る。


「じゃあ、もう行くね。あたし急いでるんだ」


 そういえば少女は急いで何処かに向かうために、近道である祖母の家を突っ切ろうとしていたんだ。


「そんなに急いで何処に行くの?」


「あの山の麓の川」


 少女が指差す方を見る。しかし、視界一面に新緑の山々が連なっていて、どの山を指しているのかが判断できない。ただ、どの山も子供の足で行くには遠くに見える。


「誰と行くの? 友達と待ち合わせ?」


「ううん。今日は一人。あんな奴らと行くはずないじゃん」


 少女は変なことを聞くんだな。と言った表情で平然と言った。


 遠くに見える山は、ここいらの子供同士では定番の遊び場所なのかもしれない。一人で行くことだって親御さんは了承済みなのかもしれない。


 私の住んでいる街では近所の公園に行くのだって子供は複数で行くし、もし、子供だけで山まで行くなんて言おうものなら、母親に止められてしまうだろう。


「一人で、山なんかに何しに行くの?」


「龍神様の花嫁に会いに」


 再び少女は平然と言った。


 龍神様の花嫁?


「じゃあ、みんなにはナイショにしててね。お姉さん」


 龍神様の花嫁なんて聞き慣れないファンタジーな単語に呆けている私を放置して、いたずらに笑う少女は入ってきたのとは反対側の生け垣を突っ切って出ていった。


「ち、ちょっと、待ちなさいって」


 咄嗟に財布とスマートフォンだけ掴み、彼女を追って私も生け垣を突っ切って出てゆく。しかし、子供専用の獣道は大人の私が通るのを歓迎せず、四方八方から枝に引っ掻かれ、服が引っ張られて通り抜けるのに苦労した。


 少し距離の空いた少女を、いくつか服に引っ掛かった葉っぱを払いながら追いかけた。


 正直、少女に対する得体のしれない不気味さは拭いきれていない。人の死を願うなんて理解が出来ない。それでも、少女を一人で行かせて、もし行方不明にでもなられた方が、後悔しそうだ。


「待ってってば」


 なんとか追いついて、横に並んで声をかけると、少女は少し不満げな顔をした。


「なんで付いて来るの?」


「なんでって……」


 心配だからついて行くの。そう言おうとして口を噤んだ。


 元々、少女は一人で行くつもりだったのだから、子供一人で遠くに行くのは心配だから保護者としてついて行く。と初対面の他人が伝えても納得しないだろう。


 私はなんとか少女を納得させられる言い訳を考えた。


「……そう。私も龍神様の花嫁に会いたいの」


 嘘だ。


 龍神様の花嫁なんて想像もつかないし、会って何の意味があるのか分からない。でも、半分は本当。少女が親しい人たちにナイショにしてまで会いに行く、龍神様の花嫁とやらに興味が湧いた。


「ふうん」


 納得したのか、していないのか。少女は目を細めて訝しげにこちらを見た。私は敵意がないのだと伝えるために、にへらと愛想笑いを浮かべるしかできなかった。


「まあ、良いよ」


 少女は振り返って早足に歩き出した。


 安堵の息を吐き、私もついて行く。


「あ、私の名前は吉野紗衣。あなたは?」


大淀おおよど日葵ひまり。だよ」


 ぶっきらぼうな返事。


♯♯♯


 正面に見える山まで、何も遮るものも無くまっすぐに続いていそうな舗装されていない農道を、二人縦に並んで歩く。左右の田んぼは緑の絨毯のように青々と茂っていて、爽やかな風が吹くたびに波打って、キラキラと輝いて見えた。


 傍から見れば私たち二人はどう見えるのだろう。少し年の離れた友達。学校の先輩と後輩。仲の良い姉妹。


 昔はよく紗奈とも並んで歩いたな。ひとつ下の妹で、小さな頃は双子だと間違えられることも多かった。二人並んで歩くとき、決まって手を引いて前を歩くのは姉である私だった。幼い頃の紗奈は、何をするのにも私について回ったっけ。あの頃は可愛かったなあ。


 それなのに、今はほとんど会話することもない。


 同じ家に住んでいるのに、顔を合わせるのも気まずくて苦痛。紗奈が私の部屋の前を通る足音が聞こえるだけで、もしかしてドアを開けて話しかけてくるんじゃないだろうかと、緊張して体を強張らさせてしまう。


 いつから離れていったんだろう。


 ふと、前を歩く日葵の腕から何かが滑り落ちるのが見えた。駆け寄って拾い上げる。


 お守り?


 赤くて丸い、親指くらいの大きさの布製の小袋。既製品のような整った丸ではなく、いびつな形をしているのでおそらく手作りなのだろう。

古いものなのか薄汚れていて、口を縛っている紐は、ほつれて千切れそうになっている。中身は紐で頑丈に縛られていて確認できないが、なにか硬いものが入っている。


「これ、落としたよ」

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