第463話 理由なき破顔と獣の慟哭(第5章最終話)
いくらかの取りこぼしはあったが、アラタはおおむね敵軍を破壊した。
彼と対峙した帝国軍第19大隊は凄まじい損害を被り、戦後同部隊は解体吸収されることとなる。
血塗れの刀をぶら下げて、アラタは周囲を見渡した。
もう生きている敵がいないことを確認すると、服で刀にべったりと付着した血を拭う。
服にもこれでもかと返り血が染みついているので、中々思うように刀身を綺麗にすることができない。
拭いても拭いても、次から次へ血が引き延ばされてしまってどうにもうまくいかない。
そうだ、水属性の魔術で洗い流せばいいじゃないかと気づいたのは、5度服の裾で血を拭った後だった。
完全なガス欠になっていたはずのアラタの身体には、魔力が漲っている。
あれほどの魔術、魔力消費をしておきながら、多少の倦怠感があるだけでまだまだ戦える。
実に不思議だが、薬を服用するという明確なトリガーはあったし、強化されたまま放置されている五感は確かに自分の物だ。
アラタは自覚した。
今の自分は15分前の自分とはまるで比べ物にならない戦闘力を有しているのだと理解した。
同時に、もっと早くこの力を得るべきだったと後悔する。
彼はタリアが奥の手を持っていることを知らなかった。
知っていたらもっと早く使っていた、そう考えている。
仲間を守るために強くなったはずなのに、強くなった時には多くの仲間の命が零れ落ちた後だった。
虚しい。
ただひたすらに、そう思った。
刀を綺麗にし終わったアラタは刀を納めて西へと歩き出す。
敵の追撃があればまた戦う用意はある。
とにかく味方が向かった方角へ行って、合流してからどうするか考えようとした。
強化された五感をスキルで強化すると、これも以前とは一線を画す能力になっていた。
ざっくり言えば、【身体強化】は素の身体能力を定数倍する能力で、他の強化系スキルもほとんど同じ仕様をしていた。
だからスキルの出力を向上させるのと同じくらい、素の身体能力の向上には意味があった。
アラタは今なら100m走でオリンピックの金メダルを取れるし、スキルアリならフルマラソンの世界記録を破ることもできるだろう。
元の世界に帰還する手段を有していない以上、全て意味のない仮定ではある。
とにかく、彼の持つスキル【感知】の出力と精度も大幅に向上していた。
効果半径は実に500m。
親しい人間なら範囲内にいるだけで分かる……かもしれない。
ただし相変わらず出力方向は絞られたまま。
角度にして5度といった所か。
もちろん近接格闘戦レベルの距離感なら全方位の警戒に支障はない。
ただ遠方の索敵をするとなると、少し勝手が違った。
フルパワーに近い威力でスキルを行使して、その上で体の正面のみが索敵範囲となる。
一部の動物がやるエコーロケーションとはこれまた勝手が違う。
どちらかというと、認知範囲外だった領域の情報を読み込むという感覚に近い。
もやがかかっていた向こう側の情報が読み込まれ、既知の情報に書き変わる感触。
使用者以外には理解しづらいが、この系統の【感知】を持つ人間たちの間では共感できるらしい。
アラタの索敵の結果、それらしい反応はなし。
タリアたちも先に行っているだろうし、500mでは足りなかったのだろう。
アラタは一度スキル【感知】を引っ込めると、スタスタと歩き始めた。
彼は何となく分かっていた。
もうじき戦争は終わると。
帝国が追加の戦力を補充する可能性は否定できないが、剣聖も勇者も帰ったというのにそれは少し考えづらい。
公国の援軍が来ているというのは本当だろうし、贔屓目なしに見ても彼の予測は限りなく現実に近いものだった。
「帰ったら…………」
裏切り者たちをまとめて殺さなければ。
この戦い、内通者がいるのは確定だし、それはかなり地位のある人間にまで遡及されるはずだ。
上層部でしか知り得ないような情報、意思決定プロセスへの介入、敵軍の手引き、俺の部下をたぶらかすために接触した人間、その他諸々。
絶対にぶっ殺してやるから覚悟しとけよ。
消えない殺意の炎を燃やしながら、青年は歩き続けた。
本当の意味で帰るべき場所には未だに帰ることができないというのに。
彼はこの世界で見つけた仮初の居場所に縋る事しかできない。
我ながら惨めだと、アラタは薄く笑った。
そんな散歩をどれほど続けていたのだろう、普通の領域から外れてしまった鋭敏さを持つ彼の嗅覚が何かを嗅ぎつけた。
鼻に纏わりつくような鉄分の匂いだ。
風向きは西から東へと向かい風。
においの元は西にあると考えていいはずだ。
アラタは左手で刀の柄を抑えると、徐々に移動速度を上げてやがて走り出した。
胸騒ぎなんてチンケな物じゃない。
強化された感覚による確かな情報だ。
「スー…………ハー…………」
もう息は切れない。
肺まで強くなったのか、大なり小なり走れば体にのしかかるはずの呼吸器的負荷をまるで感じない。
それが妙に気持ち悪くて、彼は自分が人間をやめつつあることを自覚していた。
血の匂いは強くなり、人の話し声らしき音も聞こえる。
アラタの走行速度はとっくに最大まで上昇していた。
【感知】には見知った反応と、場所や雰囲気的に敵軍と思しき反応がある。
全ては確認してから、そう思いつつも彼は出会い頭の先制攻撃のために魔力を練って刀を抜いた。
「…………か! オラ、かかってこい!」
「もう勝負はついたはずだ! これ以上は——」
「聞こえねえなぁ!」
「ガフッ! アガガ……ッ」
心汚れる風景とでも形容すればいいのか。
まともな交戦規定もなければ、戦争時の兵士の取り扱いに関してもさしたるルールがない両国の戦争。
作法も暗黙の了解も、最低限人間として扱うという規則さえもこの戦争には無い。
奴隷にしようと、慰み者にしようと、拷問しようと、憂さ晴らしに殺そうと、肉の壁にして盾にしようと、全ては適法の範囲内だった。
ただし、ルールが無いから捌きようがないというだけで、常に報復の可能性は孕んでいる。
アラタの見知った顔はその悉くが地面に伏していて、中には帝国兵のサンドバックになっている人もいた。
彼の先に行っていたエドモンドたち第32大隊の生き残りだった。
今更ながら、歩いている場合ではなかったと唇を噛む。
しかし過去は変わらない、だからアラタは刀を振る。
「敵か!?」
「あぁ、お前らを殺す、な」
目で数えた百余名。
【感知】で判別して同数を確認。
走りながら、敵に接近しながらの芸当は人間業とは考えにくく、新たなスキルの可能性を呈示している。
しかし今はそんなことどうだっていい。
男は願った。
この敵のできる限り後悔させて殺す。
生まれてきてすみませんでしたという気持ちにさせて、その上で細切れにしてカナンの土に還れと念じた。
棒立ちかつ公国兵の近くにいなかった兵士には、魔術の雨が降った。
雷槍40発あまりの大判振る舞いだ、光栄に思うといい。
そして残る敵は近接で殺しに行く。
まずは1人、2人、3人と数を積み上げていく。
敵は体勢が整っておらず、今のアラタの敵ではない。
100対1でもこんな戦い方が成立してしまうのは異世界ならではと言える。
敵軍で言えば、レイクタウンで勇者レン・ウォーカーがやったことが近い。
両軍最強の駒になると、ここまで他を圧倒することが可能になるのだ。
ゲームなら楽しくて仕方がないであろうこの状態でも、アラタは全く顔色を変えない。
ただ速く、正確に、取りこぼしなく敵の命を収穫していく。
今更逃げ出そうが関係ない。
500mの範囲を持つアラタの索敵が逃げられると思うのは間違いだ。
さらに言えば、範囲外に出るまでもなく彼らは死ぬ。
逃走する背中に魔術を食らい、バッサリと刀で切り捨てられ、蹴飛ばされ地面を転がり、【身体強化】された足でのどを潰される。
「まっ、こ、降伏!」
「なに? 聞こえなかった」
喉を切り裂き心臓を貫くと、誰も彼も関係なく黙った。
ノイズは彼の感覚器官にストレスを与えるだけだから、早急に対策するに限る。
視界の端々に映る味方の姿が気になりつつも、アラタが敵を一掃したのは到着から5分が経過してからだった。
たった5分と取るか、5分もと取るか。
ひとそれぞれだが、アラタは後者の受け取り方をした。
敵兵の屍を踏み越えながら、彼はまず目についたルークの所に向かった。
木を背にして地べたに座って、というより立てかけられているように止まっていたルークの右腕はすでに無くなっていた。
「ルークさん」
「強いな」
「すみません。俺がいれば……」
「気にすんな。俺よりタリアが…………」
全ての人が最期に十分な時間を確保できるとは限らない。
ルークは一言二言アラタと会話できたのだから十分だろう。
アラタは無言で立ち上がると、ルークが最期に指差した方へと歩いた。
横たわっていた女性の腹部には深々と槍の先端が突き刺さっていて、抜けば即失血死することはアラタでもわかった。
それに左目からはあり得ない量の血が流れていて、光を失っていた。
「タリアさん」
「アラタ。私、もう耳が聞こえないの。だからごめんね、貴方が何を言っているのか分からないし、私だけが一方的に話すことになりそう」
「…………はい」
アラタはタリアの腹部に手を当てた。
槍を抜くことはできない。
でも、今まで何度も助けてもらって、やり方を見てきて、昨日とは明らかに違う自分になって、なんだかできそうな気がした。
「無理よ。治癒魔術は難しいんだから」
「分かるんです、出来そうな気がするんです」
「……好きにして。頑固なのは変わらないなぁ」
魔力は足りていて、知識としてどういうものか何となくの理解は済んでいる。
あとは技術だけ、それもなんだかできそうな気がしていた。
アラタが賭けに出ている間、タリアは一方的に話し続ける。
「こんなことになるなら、こんな気持ち墓まで持っていくべきだったなぁ。余計な事言ってごめんね。忘れて、お願い」
「出来るわけないでしょ」
「ふふ……無理って顔してる。でも忘れてほしいのはホント。アラタはアラタの幸せを追いかけて、それはきっとすぐそこにあるから」
「…………治れよ」
血が止まらない。
とっくに分水嶺を超えている。
輸血が必要だが、知識も技術も何もない。
希望は治癒魔術と【
「優しいあなたのことが好き。悪者になりきれない中途半端さが好き。秘密が多いところも、それでも悪い人じゃないって思えるから好き」
「治れ。治ってくれ。頼むから、もうここで全部使いきってもいいから、頼むよ」
「ゴホッ、ゴプッ。ケホッ、泣かないで、悲しまないで、落ち込まないで。無理だと分かってるけど、笑って?」
「治れ! 治れ治れ治れ! くそっ、いいから治れってんだよクソが!」
「死んじゃった後もうまくやっていけるか不安だから、元気が出るおまじないしてほしいな。さっき私がしたやつ」
アラタは魔力を流した手を重ねつつ、やっつけ気味に唇に触れた。
血の味がしたのもほんの数瞬。
アラタはすぐにまた治療行為モドキに戻る。
「止まれ! 治れ! 治れよぉぉおおお!」
「元気出たよ。アラタ、前を向いて生きてね。アラタは優しすぎるから、後ろを振り向いたらすぐに良くないものに引っ張られちゃうから」
「頼む……頼むよ…………」
「歪まないで。きっと良いこともあるよ」
不意にタリアから何かが抜けた気がした。
それが魂なのか、それともただ脱力しただけなのか、アラタには判断がつかない。
ただ1つ言えることは、奇跡は起こらなかったという事だけだ。
タリアが死んだ。
「治ってくれよ」
枯れることなく涙が流れ続ける中、アラタの身体は突然暖かい光に包まれた。
光というのは比喩で、正確には魔力の膜で包まれた。
暖かい光は2人を包み込み、みるみるうちに肉体を修復していく。
体の欠損部位が補完されていき、タリアの腹部から槍が抜けていく。
目も、欠けた指も、腹に空いた風穴さえも消えていく。
それと同時に、アラタが今までの戦いの中で刻んできた傷痕も綺麗に消えていく。
盗賊との戦闘も、その後のユウとの戦いによるものも、冒険者、特配課、黒装束、八咫烏の時に負ったものも。
ただ1つ、この世界に来る前についた右肘の手術痕以外全てを癒していく。
「あぁ、あぁぁ…………」
綺麗な顔をしていた。
五体満足で、何一つ足りない箇所は無い。
肉体的には。
ただそれだけ。
ただそれだけだった。
魂の失われた肉体は、それ単体では決して機能することはない。
心臓は鼓動を止め、脳は活動を停止している。
生体信号は悉く失われて、ただ綺麗なだけの肉体がそこに横たわっていた。
「…………………………」
獣のような慟哭が森にこだました。
遅かった。
間に合わなかった。
治癒魔術師としての覚醒が早ければ、もしかしたらという気持ちが消えることは生涯ないだろう。
後悔、辛酸、恥辱、憤怒、憎悪、悲壮といった負の感情だけが戦場跡に渦巻いていく。
アラタはゆらりと立ち上がると、彼以外誰も生きていない戦域で空を見上げた。
「……くくく、ふふっ、ははは」
—―やり直したい過去、ありますか。
——忘れたい過去、ありますか。
「あはは、あーっはっはっはっは! はーっはっはっはっは! くくく…………」
アラタは腹の底から笑った。
理由もなく笑った。
涙が溢れて止まらないが笑った。
まるで壊れているように。
いや、彼は疾うに壊れていたのだろう。
その日、カナン公国軍1万5千の援軍がミラ丘陵地帯の西10kmに到着。
それを受けて帝国軍は一度陣を敷いて交戦の構えを見せたが、何があったのかすぐに撤退を開始、ミラの東部に築いていた砦に入って守りを固めた。
公国軍も無傷の1万5千があるとはいえ、これ以上の戦争継続はあらゆる面から不可能に近く、なし崩し的に休戦あるいは停戦ということになった。
アラタたち一般兵がその事実を知り、撤退を開始したのはアラタが壊れた2日後のことだった。
両軍に数えきれない死傷者と脱走者を出し、100年間で最悪の戦役と評された第十五次帝国戦役、これにて終結。
第5章 第十五次帝国戦役 完
次章 第6章 公国復興編 毎日更新予定
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