第368話 戦場より憎悪を込めて
10月3日、夜。
時刻は深夜1時半、正確な日付はもう4日になっている。
早馬による急報を聞いたアラタは、全身の血が沸騰するのを感じていた。
アルコールが蒸発し、酔いが醒める。
アラタはとにかく、訳も分からず走り出した。
先ほどまで共に勝利に酔いしれて、ついさっき店から出て行ったハルツを追いかけて。
ハルツのパーティーメンバー、タリアは公国に3人しかいない治癒魔術師のうちの1人だ。
残る2人は孤児院のリリー、アラタの仲間のリーゼ・クラーク。
何はともあれ、彼女がこの町に駐留しているのは不幸中の幸いだった。
今夜ハルツが宿泊する宿はアラタも知っている。
恐らくタリアも同じ場所にいるだろう。
「あそこからひっくり返されんのかよ」
慢心があったのかな、そうアラタは考えた。
彼が聞き及んでいるのは公国軍の敗北という情報のみ。
司令官アイザック・アボット大将の最期を知るはずもなく、ましてやディラン・ウォーカー、アリソン・フェンリルら宮廷武官の介入を知らない。
あそこまで完膚なきまでに叩き潰したというのに、逆転敗北したとはにわかには信じがたいから、彼はありとあらゆる敗北ケースを想定する。
油断していたところを攻めこまれて、一気に中枢まで制圧されたか。
夜襲を受けて司令部が落とされたか。
手練れの介入で川を渡られたのか。
……いや、人数も状況もこちらの方が有利なのだから、その程度のことでひっくり返されるはずもない。
やはり現実的なのは……
「相手もやべーやつを投入したっていう事か」
彼の脳裏によぎるのは、河川敷で戦った魔術師部隊。
しかし、すぐに彼らの能力を鑑みてその説を否定する。
彼らには悪いが、たかだか数十人の魔術師が集まったところで出来ることは知れている。
次に、剣聖オーウェン・ブラックのことを考える。
奴ならば、多少強引に斬り込んできて、前線を崩壊させることくらい出来るかもしれない。
ただ、彼はミラ丘陵地帯の戦場にいるはずで、アラタ達のように転戦していないのであればこの説は成り立たない。
出来ることなら彼が公国軍を粉砕したと考えたいところだが、それは少し楽観視が過ぎる。
では誰、もしくは誰たちが成し遂げたのか。
アラタは、この世で最も強い人間を想像する。
候補は2択。
アラン・ドレイクか、ユウ。
前者がそんなことをするとは考えにくく、後者も流石に考えすぎか、そう思う。
ユウの神出鬼没さは彼も良く知るところだが、こうもアラタの邪魔ばかりするというのも変な気がする。
第一、彼はアラタ個人に対して特別何かを仕組むようなそぶりを見せたことは無かった。
むしろアラタから奴に引き寄せられて言った感じすらある。
「まあ………………」
今度会えば、憎悪を込めて殺してやる。
心に立てた誓いは、彼の生きる活力になりつつあった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「フロント……はもういないか」
「誰だ」
ハルツが宿泊していると聞いている建物を訪れると、不意に呼び止められる。
振り返ると兵士が2人立っていた。
恐らく、今晩の当直なのだろう。
「第301中隊長のアラタです。206中隊長ハルツ・クラーク殿に至急伝えなければならないことがある」
「301?」
「そうです」
「聞いたことないが……」
またこれか、とアラタは溜息をついた。
出兵当時、第301中隊はまだ存在しなかった。
中隊の番号は300番で終了、だから兵士は疑いの目を向けている。
同じ町で物資運搬の任務に就いているわけだし、もう少し認知してくれてもいいじゃないかとアラタは常日頃から思っている。
この手のやり取りは、301中隊が発足した時から幾度となく繰り返されてきた。
「Bランク冒険者、
「あっ、例の」
ようやく伝わったらしい。
「いいですか?」
「それが、中隊長殿はかなり酔っていらしたので、タリア殿かルーク殿に伝えるのがよろしいかと」
「分かりました。この上ですよね?」
「はい。209号室です」
「どーも」
アラタは足早に階段を登っていくと、正面にある2つの部屋の番号を確認した。
右側に目的の部屋が続いていることを確認して、廊下を歩いていく。
そう言えば、ハルツさんの部屋番は知っているけどそれじゃ意味がないとアラタは考えを改める。
上から聞きに戻るのも、声を掛けるのも面倒だったこと、緊急事態で急を要していることが彼の選択肢を狭めていく。
結果、209号室の両隣を当たればいいだろうという安易な考えで、アラタは208号室のドアをノックした。
そして返事も待たずにドアを開けた。
「あ、あー……」
せめて明かりを消しておいてくれたらよかったのに、と少し相手に責任を押し付けようとしたアラタの視界には、ほぼ裸と呼んで差し支えないほどの布面積しか着用していない女性が立っていた。
何の意味も無かったアラタのノックに反応したのか、服をその手に掴んでいる。
しかし、着るには時間が足らなかった。
なんでルークさんじゃないんだ、本当にそう思う。
「今のは俺が悪い」
「ゔぅんっ!!!」
石を床に落としたような重厚感あふれる音の後で、アラタの口内に鉄の味が広がった。
「鼻っ、鼻はないでしょ……血が出てるって、治してください」
「まず出てけ!」
それから彼女が着替え終わるまで待つ事3分、アラタは救急キットで鼻血を止めることに専念し続けていた。
彼が脱脂綿を鼻に詰め終わったところで、扉が開く。
「すんませんでした」
「誰かに喋ったら殺すわよ。で、話は?」
「急患です。矢傷を受けて重症なので、治癒魔術をお願いしたく」
「……まったく、手元が狂っても責任取れないから」
アラタはそれでもいいから早くしてくれという想いを込めて、鼻声で返事をした。
「おねさす」
「……嘘でしょ」
「裏は取れていないので何とも」
「本当なら全員叩き起こさなきゃ」
「無理です。体力的にも、精神的にも。それなら明日朝早く起こされた方がマシです」
「……そうね」
居酒屋へ引き返す道を急ぎはしたものの、馬も無ければ明かりも碌にない真夜中、おまけにタリアは少し酔っている。
早歩きが関の山だ。
そんな中、タリアは突然ある話題を切り出した。
「ハルツに言うなって言われてたから有耶無耶にしてたけどさ」
「はい?」
「大公選の直後、あんたに蹴飛ばされたの謝ってもらってないんですけど」
「あぁ~、大変申し訳ございませんでした」
「あと、クリスちゃんの手術に勝手に組み込まれたりとか」
「その節はどうも……」
「ことあるごとに迷惑をかけて本当にもう」
「返す言葉もございません」
【暗視】を起動して先を歩くアラタに向かって、タリアはひとしきり心の奥底にたまっていたものをぶちまけた。
ハルツのパーティーは、全員こんな感じだ。
お人よしで騙されやすく、よく利用されるリーダーを持ったせいで貧乏くじを引く。
その結果アラタたちとぶつかることもあったのだから、皮肉なものだ。
詰めるネタも尽きたのか、タリアは口撃をやめて、もう一つの話題を切り出した。
今までのは前座、これからの話をより引き出しやすくするための布石だ。
「申し訳ないと思っているのなら、今から私が訊くことに素直に答えなさい」
「はい」
「あなたの本当の出身地はどこ?」
「公国西部、レイテ村です」
男は一瞬の迷いもなくそう答えた。
その手の質問に対する設定は完璧に作られていて、彼の頭にこすりつけられていたから。
言い淀むことなく断言した彼に対して、タリアは大きなため息をついた。
彼女は彼の言い分を嘘だと思っているらしい。
「杓子定規じゃいつかバレるわよ」
「自分は捨て子でカーターさんの家で……」
「私、レイテ村の出身」
「…………すんませんでした」
完全に墓穴を掘って飛び込んだアラタは、今日何度目になるか分からない謝罪を口にする。
心なしか、言葉を繰り返すたびに羽が生えているように軽くなっていく。
さきほど口にした謝罪の言葉なんて、ヘリウム風船のように浮き上がっていく始末。
「これには色々と深い理由がありまして……」
「じゃあ本当のこと教えてくれる?」
足早に地面を掻く音を鳴らしながら、徐々に元居た居酒屋の方に近づいていく。
こうして話をする時間も残り少ない中、アラタにはいくつかの選択肢が与えられていた。
まず、本当のことを言う。
タリア相手なら別にいいだろうという考えが根拠になっていて、考えようによっては非常に危ない。
次に、嘘を突き通す。
レイテ村の出身ではないことは既にバレてしまったので、次はその上に嘘を塗り重ねる。
どうせ話半分程度にしか信用されていないので、後々嘘をついたことがバレたとしてもダメージは少ない。
そして最後に、黙ったまま居酒屋に到着して全て煙に巻く。
それなりに関わりはあっても、常に行動を共にするわけではない。
仲が悪くなろうと、信用されなくなろうと、別に知ったことではない。
ハルツとの付き合いが続けば顔を合わせることもあるだろうが、せいぜいその程度の問題でしかない。
アラタの選んだ答えは、3番目だった。
「ちょっと」
今までよりもさらに歩く速度を上げた。
あと少しで小走りくらいのスピードに達する。
鼻に詰め物をしていて息苦しくても、十分我慢できる距離にまで迫っていた。
先を急ぐアラタに対して、タリアは揺れている。
ここで彼を詰めてもいいが、今自分は患者を診察しに向かっている。
その途中で道草を食ったせいで命が失われたら、そう考えるとアラタを掴もうとしていた手も弱まってしまう。
あと数十メートル。
数メートル。
着いた。
結局強引に聞くことは出来なかったタリアは、建物に入るなり医療従事者としてのスイッチをオンにする。
「患者はどこにいますか!」
「こちらです。急いで」
既に301の人間が数名呼び戻されていて、タリアを2階へと案内していく。
アラタはここでお役御免、部下から報告を受けたり、店の人に改めて事情を説明したりするために、1階に残るようだった。
タリアはその後ろ姿を見て、複雑な心境になる。
悪人だとは思っていない。
仲間のために自分の命を何度も投げ出して、好きな人のために意志を貫き通そうとする人が悪人であるはずがない。
ただし、彼の周りにいる人間は貴族の子女なのだ。
得体の知れない彼が、何の意図もなくただ付き従っているのかと、そう考えるのは軽率が過ぎる。
では、彼の望みは、目的は一体何なのか。
結局答えを知ることは出来ないまま、タリアは2階に設置された臨時の処置室に入っていった。
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