第351話 バカばっか

「一体公国人は何をしているんだ」


「突っ込みますか?」


「バカ言え、流石にこの戦力だけではどうにもならん。指示を待つ」


「はっ」


 アラタ達第301中隊を追撃していた部隊は、獲物を取り逃がしたあとコートランド川中央の中洲まで退いていた。

 ここなら足場がしっかりとしており、迎撃するにもそれなりに準備が出来る。

 追撃を指揮していた男は、本当は今すぐにでも公国軍に攻撃を仕掛けたかった。

 間違いなく混乱している敵の状況を、みすみす見逃している現状は非常に歯がゆいものがある。

 この瞬間にも、公国軍の指揮官たちは混乱を収拾しようと躍起になっていて、初めは効果が薄くとも徐々に事態は沈静化されていく。

 それでは遅いのだ。

 彼は、自分にもっと多くの兵士を指揮するだけの裁量と器量が無いことを悔しがった。

 出来るのはせいぜい、司令部や前線指揮所に敵が混乱しているという情報を送ることくらい。

 中尉以下500の兵はただ中洲から公国兵を見ていることしか出来なかった。


「隊長」


「おう」


「……ハリスが息を引き取りました」


「そうか」


 アラタはただ、そう応えるだけだった。

 彼の眼は先ほどから、川の中間に陣取っている敵軍を捉えていた。

 報告に来たデリンジャーはそれだけ伝えると、彼の元を去った。

 きっとまだやることが沢山あるのだろう。


「…………割り切れ」


 そう呟く彼の顔はひたすらに無表情。

 一切の感情を表に出すことは無い。

 唯一、時折紡がれる言葉だけが、その一端を表出させている。


 川のこちら側で混乱が長引いている原因は、度重なる命令の反転だ。

 攻撃を命じられて突撃したかと思えば、川に入る直前に停止命令、今度は退却すると言う。

 兵士たちは大いに戸惑い、司令部や指揮官への不信感を募らせていく。

 しかし、現状敵が動かないこの状況下では、この混乱を維持するために出来ることはこのくらいである。

 公国軍に混沌が広がる中、唯一と言ってもいいほど希少で正常な判断能力を残している301中隊は、河川敷警備隊の手当てを受けていてすぐには動ける状態にない。

 さきほど元八咫烏のハリスが死亡したように、選りすぐりの猛者たちでさえ大いに傷ついている。

 感情論は抜きにしても、中々キツイものがある。

 この先ますます戦いが激化するにあたって、同中隊が果たす義務は非常に大きい。

 裁量権、単独行動権、司令部への入場権、彼らに与えられている特権は枚挙に暇がない。

 それだけの自由を認められているのだから、それに見合った働きを期待する。

 アラタはそのような趣旨の期待という名の重圧を方々から受けていた。

 これが中々にキツイのだ。


「アラタ」


「なんだ」


「一度司令部の様子を見てきてくれませんか? このまま敵が川を渡ってくれば耐えきれません」


「……まだだ。疑心暗鬼になるのは分かるけど、せめて俺たちだけは司令部を信じていたい」


 リャンは、彼の無表情な顔と抑揚の無い声から何を受け取ったのだろう。

 もう司令部には期待していないという風にも捉えられるし、本心で言っているようにも取れる。

 底知れなさ、歪な超人性が、彼の中に蓄積されていく。

 リャンは少し黙った後、空元気を振り絞って笑った。


「ですね! 私たちくらいは上のことを信頼しませんと!」


「頼む」


「はい!」


 再び1人になったアラタは、また敵の方を眺めている。

 これから起こる戦いの内容を考えれば、今河川敷に詰めている人間の内1/3、いや1/4も生き残ることは出来ないだろう。

 彼の中隊は平均的な兵士よりかなり高い練度を保持しているので、もう少し生存率は高まる。

 かといって、全体的な損耗度合いが変わるかと言われれば、そこまでではない。

 つまり、いずれにせよ司令部の立てた作戦で大なり小なり人が死ぬのだ。

 何も知らぬまま、勝利の礎となるのだ。

 それは、人の道から外れていると言われるかもしれない。

 後世では恥ずべき愚行だと罵られるかもしれない。


 だが、だったらてめーがやってみろよ、そうアラタは思う。

 こっちはもう覚悟を決めた。

 仲間が死ぬことも、味方から恨まれることも、負ければ全ての責任を負うことも。

 大公選の時と同じだ。

 社会常識や良識、通すべき義理や法令、そういった物と秤にかけて、尚も天秤が傾いたからそうした。

 この戦いの後部下が彼の命を望むのなら、アラタはそれと正面から向き合わなければならないし、そのつもりである。

 どちらにせよ、あと数時間で全ては決まる。


「隊長」


「あ?」


「あれ……」


「どれ」


「動いて……ますよね?」


 第5小隊長ウォーレンが指さす先には、中洲に陣取る敵兵がいる。

 しかしその先に、彼は目を向けていた。

 巣の中から出てきた蟻のような、細々こまごまとした集団である。


「あれは……敵だな。戦えない奴は後ろに下がらせろ。来るぞ」


 待ち望んでいたものが、司令部の、アラタの思惑が成就しようとしていた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「いやぁ、あれは流石に罠でしょう」


「そう言って攻め時を逃すのは背信行為では?」


「ただ、今までの動きと比べて洗練さを欠いているのは事実かと」


「トール少将、貴官まで様子見か?」


「私は客観的見解を申しただけです」


「ベルン殿は?」


「攻めてみれば良いのでは? 無理なようなら撤退すればよろしい」


「静まれ。議論を深める時間は無い。今ある情報だけで判断を下すのだ」


「ではなおさら静観すべきでしょう」


「いいや、今を逃せば勝機は遠のく」


「現状問題なく戦えている。問題なかろう」


「あと少しで本国から増援が到着すると言っているのだ!」


「到着を待てばよろしい。それでこの戦は勝利だ」


「あのですね、私は——」


 収集がつかん。


 イリノイ・テレピン元帥は頭を抱えていた。

 別に勝負を急ぐ理由は本来存在しない。

 ただ懸念すべきは、本国からの増援が到着した時にエヴァラトルコヴィッチ中将がどのような報告をするのか。

 もしかしたらありのままを伝えるだけかもしれないし、それならそれで問題ない。

 想定すべきは、彼がイリノイの讒言をするケース。

 これは何としても回避したい。

 地方貴族の自分と違って彼は皇帝の血筋を汲む者、政治的発言力には天と地ほどの差がある。

 加えて帝国軍参謀本部出身というコネクションも無視できない。

 正直なところ、部下に好かれていない自覚もある元帥にとっては死活問題だった。

 だからこそ、彼としては早期に決着をつけたく、そのチャンスは今を置いて他に無かった。


 言いたい~、全軍突撃って言いたい~!


 彼の愚鈍さが特筆ものであることは事実である。

 ただ、彼の懸念もまた的中していた。

 紛糾する軍議中、中心から少し離れたところで静観していたエヴァラトルコヴィッチの脳内は、現在進行している戦いのことなんてこれっぽっちもない。

 考えるのは、戦いの顛末をどうやって報告するのか、その一点である。


 本国の飼い犬になったのがこの半分程度。

 もう半分は忠誠心や中央への反骨心でなびかなかった連中。

 彼らの抵抗に遭えば、流石に過度な改竄報告は通らない。

 まあそれを押し切るのも一興だが……スマートではない。

 出来れば完全な形で元帥閣下にはご退場願いたいところだ。

 さて…………


「「やはり攻撃するべきか」」


 静まり返った天幕。

 外に控えていた連絡係や衛兵たちが中に入ろうか迷うほどの静寂。

 それほどまでに完璧な音の重なりを見せたのは、恐らく最もあり得無さそうな組み合わせ。

 開戦前から事あるごとに衝突し、火花を散らせていた男2人。

 片方は西の田舎の叩き上げ。

 もう片方は皇帝の遠縁の中央エリート。

 決して交わらないと思っていた両者の意見は、思わぬところで合致した。


「中将殿、貴官もそう考えるか」


「元帥閣下もそのようにお考えで?」


「くく……くくく…………」


「ふふ、ふふっ……」


 2人の高笑いする声が天幕に響き渡ったことで、外にいた兵士たちは胸を撫でおろした。

 どうやら緊急事態では無かったらしいと。

 そしてそれ以上に安堵したのは中にいた他の軍議参加者たちである。

 2人のうち、自分が肩を持たない方の人間が成果を上げれば、冷や飯を食らうのは自分も同じだから。

 だからこうして意見が一致してくれるのなら、最低でも自分だけ貧乏くじを引くことは無くなる。

 そういう意味では、死なば諸共ということと同義だった。


「いやはや、このような日が来ようとはな」


「今までは私が悪うございました。若輩者の分際で出過ぎた真似を」


「よい。全て水に流そう」


 司令部では戦闘継続中にも関わらず、非常に和やかな空気が漂っている。

 それが彼らのズレているところだ。


「では出撃でよろしいですか?」


「それが良かろう。他に判断材料を持っている者はいないか」


 イリノイが辺りを見渡しながら聞くと、一人の男が手を挙げた。

 痩せた、丸眼鏡をかけたうだつの上がらなそうないかにも後方支援職といった見た目の男。

 最前線に立たせたら何もできずに死んでいくだろう。


「貴官は?」


「ウィンストン・ブライト大尉であります」


「大尉がなぜここに?」


 階級的に少々場違いな彼に対して、イリノイは純粋な疑問を投げかける。

 特に悪意はない。


「は、私の所属はドラールの特務機関でして……そこで情報将校として任務に当たっていた関係です」


「なるほど、ということは貴官の部下は現在——」


「閣下の御推察された通り、河川敷で混乱を長引かせるべく活動中です」


「早く言わんか!」


「ひっ、も、申し訳ありません」


 大柄なイリノイ元帥に怒鳴られたブライト大尉は大いに委縮した。

 だが、必要な情報を既に出揃っている。


「皆の者! これよりわが軍はコートランド川を渡り全軍でもって公国の豚共を駆逐する! 全軍出撃だ!」


「全軍出撃!」


「伝令!」


「太鼓を鳴らせ! 今すぐ!」


「総員出撃だ! 全員だ!」


「船の用意をしろ! 馬も載せるんだ!」


 それから先はアラタやウォーレンが観測した通り。

 ウル帝国軍1万6千は、その全軍をもって公国軍を叩き潰すべく出撃した。

 追撃部隊として先に出立していて、現在中洲や川のこちら側に待機している兵士合計2千にも突撃のラッパが響く。

 現在午前10:55。

 コートランド川の戦いが佳境に差し掛かろうとしていた。

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