第349話 赤き川

「……おいおいマジかよ」


 ——いくら何でも多すぎんだろ。


 アラタはその言葉を吐き出す代わりに、魔力を放出した。

 ただ放つのではなく、魔術として行使した。

 幸い、触媒かつ素材となる水が枯渇することは無い。

 しかしザブザブと川を泳ぎながら、水陣で防御するのは中々に難しい。


 彼は小中高と受けてきた水泳の授業、特に最後に行う着衣水泳の授業に深く深く感謝した。

 あの経験と通っていたスイミングスクールの積み重ねがなければ、自分はここで脱落していたかもしれない。

 そんな彼と彼の仲間に向かって、雨あられとばかりに矢が打ち込まれる。

 さっきからアラタはそれを防ぐので精いっぱいで、先を行く仲間と少し距離が出来ている。


「隊長! 俺たちも急がなければ追いつかれます!」


「まだだ、もう少しで陸地からの射程圏外になる」


「中洲に渡られたら意味がないでしょう!」


「けど……っ」


「あんたに倒れられたらどうなるんだ!」


 カロンはアラタの胸をドンと突いて、味方陣地の方に押そうとした。

 その肩口からは血が滲んでいて、流れる川の中でほんの少しだけ水を赤く染めている。


「……誰か、カロンを運んでやれ。馬に乗せるんだ」


「いい。それより急ぐんです。早く!」


 グルグルと、同じ問いがアラタの中でとぐろを巻いている。

 その尻尾を蛇は咥えていて、永遠に回転が止まることは無い。

 目の前の部下の命を放逐するのか、それを救うためにさらに多くの部下の命を危険に晒すのか。

 迷うべくもない迷い。

 大公選が終わってから戦争に参加するまでの時間の中で、アラタは少し緩くなり過ぎた。

 斬り捨てるべきもの、斬り捨てねばならないものを斬り捨てることが出来ない。

 それは、覚悟が足りないから。

 自分が罪を背負う覚悟が足りていないから。

 かつて最愛の人を救うために立てたはずの誓いは、時の流れの中で錆び付いていた。


 戦場は人を変える。

 正確には、変革を迫る。

 時に人は変わらなければ生き残れないから、生存のために自己の形を変えるのだ。

 アラタは迫られていた。

 あの時の、冷徹な自分に戻るのか、それとも仲間もろともここでコートランド川に沈むのか。

 かつてアラタの仲間であるリーゼ・クラークは、彼のことをこう評した。

 アラタは必要に迫られれば、何だってする強さがあると。

 それが強さと呼べるものなのか、それは判断する人間の価値基準に委ねられるだろう。

 ただ、必要に迫られれば最愛の恋人だって斬ってみせる彼が、どんな選択をするのかは、おおよそ決まっていた。


「敵の攻撃は各自で捌け。もうそろそろ矢の射程からも外れるはずだ」


 それを聞いたカロンは、ひそかに笑った。

 これが、これこそが、自分の憧れた裏社会の住人、アラタなのだと。

 そして、そんな人間から少しでも特別扱いされたことが、この上なく嬉しかった。

 在野で燻っていた自分を八咫烏として見出してくれて、共に大公選の争乱を駆け抜けた日々。

 それから再び戦場にお供することになって、彼にとってこれほど喜ばしいことは無い。

 心が満たされれば、俄然力が湧いてくる。

 カロンは仲間の肩を借りながらも、川をしっかりと泳ぎ始めた。


「隊長、先頭が中洲に到達しました」


「よし、そのまま進ませ……待て! 上流から敵が来ている! 迎撃させろ!」


 戦場では息つく暇なんて無い。

 一つの事象に対処すれば、すぐにまた次の事象が襲い掛かる。

 アラタ達に向かって河川敷から矢を撃たなくなったのは、射程圏外に出るよりも先だった。

 つまり、それ以外に理由がある。

 理由というのはそう、同士討ちを避けるためだ。

 第301中隊に敵が噛みつこうとしていた。


「上陸させるな! 船をぶっ壊せ!」


 アラタは思い切り声を飛ばしたが、それだけだ。

 彼が戦闘に参加できるわけではない。

 彼はまだ、中洲に到達できるような位置にいない。

 行きは魔術を使って強引に渡って来た彼だったが、ここでは先を進む味方が邪魔をしてそれどころではない。

 幅の広い大きな川において、防具をつけたまま渡ることのできる箇所というのはそう多くない。

 であるからして、渡河はほぼ1列になって行われる。

 前の人間の進むスピード以上で進むことは出来ないし、先が詰まれば後ろは止まる。

 魔術と弓兵で応戦した中隊だったが、川の上流から押し寄せてきた敵兵の上陸を許した。

 白兵戦の始まりである。


「第1小隊、防御陣形!」


「第3小隊は間を埋めろ!」


「15班、サイドをフォローするぞぉ!」


 川の中腹にある仮の陸地。

 もう少しここに到達するのが速ければ、中隊は敵の攻撃を一通り防いだ後に再度味方陣地を目指すことが出来ただろう。

 だが、いま上陸しているのはせいぜいその半分程度。

 残る半分は未だ水の中だ。

 そして、攻撃目標は中洲の兵士だけではない。


「潜れ! 船底に穴をあけろ!」


 アラタやリャンの指示で潜るように指示が飛んだが、全員が全員同じように行動できるわけではない。

 怪我をしている者や、初めから泳ぎが得意では無い者。

 疲れていてそれどころでは無い者。

 戦いは、無情だ。


「くそったれ……くっそ……」


「隊長指示を!」


「行くしかない! 中洲にたどり着いて敵を蹴散らせ! まだ数は俺らの方が多い!」


 船の上から繰り出された数多の穂先は、あっけなく中隊の兵士を捉えた。

 頭や首、肩付近を刺されて致命傷を負う者。

 躱したまでは良かったが息が続かず沈みゆく者。

 川の中にある岩や船体にぶつかって意識を失う者。

 そして、その中で戦おうとする者。

 アラタが中洲に上陸した時には、泳いでいた隊員の2割を失っていた。

 2割である。

 10人いれば、2人は死亡している。

 壊滅的な被害だ。

 しかし、まだ立ち止まるわけにはいかない。

 戦闘も終了してはいない。


「蹴散らせ!」


 ずぶ濡れの状態で走り出した彼は、部下と共に中洲に上がって来た敵兵を潰しにかかった。

 まだ本隊ではないのか、後続もまばらで数はこちらの方が多い。

 彼らがわざわざ船に乗って来てくれたのだ、喜ばしいことではないか。

 アラタは刀を振る。

 魔術を行使する。

 組み手で首を圧し折る。

 そして、撤退に船を使わせてはならない。

 自分たちが使いたいから。


「キィ! エルモ! ダリル! 続け!」


 近接戦闘に秀でた隊員の中でまだ元気な人間を伴って、アラタは敵深くに斬り込んだ。

 こいつらを排除すれば、10隻弱の船が手に入る。


「A3!」


 そう指示を出した。

 キィ、ダリルはアラタの両隣に位置を取り、エルモはアラタの後ろを走る。

 主力を中心に据える、分隊陣形の一つだ。


ごう!」


 今度は敵が号令をかけた。

 指示を受けた兵士たちは一所に寄り集まって、密集陣形を組む。

 盾の隙間から突き出された槍は、アラタ達の方を向いている。

 それに、まだここから槍を突き出すだけの余裕を保っていて、彼らが近づけば串刺しにする算段だ。

 戦争のような集団戦において、有効な手法なのだろう。

 だからこそ何回も練習して、ここまで短時間で陣形を組めるように鍛錬を積んできたことが分かる。

 しかしここは剣と魔術の異世界、個の力の振れ幅はアラタが元居た世界の比ではない。

 アラタはそのまま突っ込んだ。


「ぶっ殺せ!」


 指揮官の合図とともに、槍が繰り出された。


 ——はっきり見える。


 スローモーションのように映る世界の中で、アラタは自分に最も近い槍の穂先をやり過ごして、柄の部分をがっしりと掴んだ。

 他にも数本の槍が彼を殺そうと殺到していたが、これも躱しきる。

 スキル【身体強化】と魔術的身体強化のダブルホルダーである彼には、余裕をもって見切れる速度の攻撃だった。

 そして、槍を繰り出すことが出来るという事は、ほんのわずかな隙間を持っているという事でもある。

 槍を支えにしながら、日本刀のきっさきが敵を穿つ。


「取りつかれた!」


「ぐぁあ!」


 パチパチッと線香花火が弾けるような音が聞こえたかと思ったら、次の瞬間には隣の奴の肉体が弾けた。

 ウル帝国の兵士は後にそう語る。

 本当に爆散したのではなく、肉を割いて魔力が噴出したというのが適切な表現である。

 ただ、すでに遺体は荼毘に伏されているのでその様子を確認することは出来ないだろう。

 とにかくアラタは刀を経由して雷撃を敵の体内に打ち込むと、途端に敵の身体の筋肉が弛緩した。

 するりと刀を引き抜くと勢いそのまま後方に飛びのく。

 そして後ろから詰めていたエルモが彼を追い抜こうという時に、追加の雷撃をいくつか敵にぶつけた。

 大抵は盾に防がれたが、こじ開けられた風穴に打ち込まれた追撃は確かにダメージとなっている。

 敵の中央付近が崩れた。


「2人とも真ん中!」


 やや言葉足らずに聞こえるかもしれない。

 しかし、これで伝わる。

 今の言葉はエルモの両脇を移動するキィとダリルに向けたもので、中央付近が崩れたから少しタイトな攻撃をしろと伝えている。

 意図を汲んだ2名はやや内側に斬り込みながら、武器を構えた。

 そこに中央へ走り込んでいたエルモも加われば、完璧な入りだ。


「…………敵を殲滅しろ」


 3人が敵の守りをこじ開けて内部に侵入したところで、中隊長アラタが命じた。

 そして、敵は潰走、中洲を一時的に占拠した。

 彼らの認識している任務は、敵に奇襲を仕掛けた後帰還するところまで。

 そういう意味では、残りの行程は僅かとなっていた。

 損害も軽いものではなかったが、確かに成し遂げたという達成感が彼らに力を与えていた。

 そして、なおも追いすがる追撃から逃れるべく、彼らは船と水泳の合わせ技で川渡りの後半に挑む。

 基本的に負傷している人間を船に乗せたが、足場があって戦いやすく、足が速い船の上に戦力を置いておきたいという思惑もある。

 アラタは指揮官という事もあって乗船することにした。

 彼がいれば、最低でもその船の安全は保障されたも同然である。

 敵の第1陣を叩き潰したからか、追撃はまだ届きそうにない。

 束の間の休息に、アラタは被害報告を受けている。

 中隊長である彼が休むことが出来るのは、作戦が完全に終了して司令部に報告を終えてからになる。


「……第4小隊に警戒させて、残りは移動に専念しろ」


「了解」


 第301中隊100名中、死者8、重傷者13。

 合計21名の戦闘不能者を出した。

 彼らの走って来た道には、敵味方を問わず大量の遺体が落ちている。

 そこから流れ出た血や臓物は川の水に流されて、薄まって、赤く染めていく。

 戦争が続く限り、これからも仲間は傷つき、死んでいく。

 自分の通る道は絶望に満ちているのだと、中隊兵士たちは感じずにはいられない。

 戦いはこれから、さらなるステージへと移行していく。

 そして、さらなる死者と絶望が、手ぐすね引いて彼らを待っているのだった。

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