第330話 ねじれ指揮権
「焦ったのが裏目に出ましたな」
「うるさい。少し黙ってくれないか」
白髪、白いちょび髭を蓄えた男は少し得意げに上官を詰めていく。
「私は警告いたしました。決して少なくない数の死傷者が出ると。それを無視して攻撃を命令したあなたにも相応の責任を感じていただきたいですな」
ぐうの音もでない男の前には、数日前から始まった夜間戦闘の被害報告があった。
書類には様々な地点での結果報告と、それらを総合した最終的な結果報告の2種類があった。
ただ、数多くの紙の束を使ったところで、事実は変わらない。
この戦闘でウル帝国軍が敗けたという事実は。
『敗けた』とたった一言で済むところを、帝国の報告係は随分と冗長な表現を織り交ぜたらしい。
書類を前に呻いている男の階級章は、元帥。
そして白髪の方は中将。
階級的には元帥の方が高いわけだが、先ほどのように詰めているのは中将の方だ。
「で、夜間渡河作戦が失敗に終わった今、これからどうするのですか?」
「待て。今考えている」
「それは有効な手が無いと言う事でしょうか」
「そうではない。いくつかの策を思案しているところだ」
「ではこの司令部にいる皆と共有して決定しましょう。その方が建設的だ」
「黙れ。指揮権は私にある」
「兵を
このやり取りを聞く限り、2人の関係は非常に奇妙なパワーバランスで成立しているという説は本当なのだなと、最近入幕したばかりの士官は思った。
彼ら若い士官の間では、このような噂がまことしやかに囁かれていた。
今回の帝国軍司令官、西部方面隊所属のイリノイ・テレピン元帥と、ウル帝国参謀本部所属、エヴァラトルコヴィッチ・ウルメル中将の間には、仕事とプライベートの上で少し変わった関係があった。
階級でわかるように、いくらエヴァラトルコヴィッチ中将が参謀本部所属と言っても元帥であるイリノイの方が上官に相当する。
ただ、彼らの家柄であるテレピン家とウルメル家の格式には歴然とした差があった。
単なる帝国西部の地方貴族であるテレピン家と、中央貴族、それも皇帝ウル家の遠縁の家系となればその力の大きさも想像できるだろう。
中央からやってきた戦術を齧ったいけ好かない参謀、増援としてやってくることがほぼ決定しているウル帝国中央軍の存在、それらが西部方面隊司令官としての重圧とかけあわさって、彼に誤った判断をさせてしまった。
十分な戦力と状況が整う前に夜間戦闘に突入、初めの数日を公国軍に乗り切られると後はアラタ達【暗視】持ちをかき集めた公国軍が有利になるに決まっている。
帝国軍の中にも夜間戦闘に秀でたスキルホルダーは存在したが、数も足りなければ彼らを招集するスキームも出来ていなかった。
あくまでも個人の力としてスキルを行使するものだから、自身は生き残れてもその効果を周囲に与えるには至らなかったのだ。
そしてアラタ達が投入された昨夜、ウル帝国軍の被害は前日の2倍に上ったことで作戦中止が決定、イリノイは最後までこの決定に反対していたが部下の説得でやむを得ず折れた。
だから彼らは、仲が悪く、今も険悪な雰囲気なのだ。
「夜襲は中止、明日からは日中に正攻法で攻めましょう」
「貴官に決定権はない」
「いやぁ、それがですね」
エヴァラトルコヴィッチはにやりと嫌味ったらしい笑顔を浮かべた。
ここまで計算通りと言わんばかりに。
「夜間戦闘は兵士の疲労を招くため中止、ここまでは既に決定している訳ですが、本国より指揮権の一部委譲が認められましてね」
そう言うと彼は筒に入った書類を取り出した。
帝国軍最高司令官であるウル帝国皇帝のもので相違ない。
確かに正式な書簡だ。
「見せろ」
イリノイはそれを半ば強引に奪い取ると、眼を血走らせながらその内容をインストールした。
指揮権の一部委譲、彼の言ったとおりに、コートランド川沿岸に陣を敷く帝国軍2万のうち、3千の指揮権をエヴァラトルコヴィッチ・ウルメル中将に任せることが書かれていた。
そしてその中には虎の子の魔術師部隊が含まれていることも。
「ま、そういう事で」
手塩にかけて育ててきた西部方面隊の精鋭指揮権まで奪われてしまったイリノイは言葉が出ない。
本国からの増援がここにくれば、自分は更迭されるのではないかとすら思えてくる。
ただし、だからと言ってエヴァラトルコヴィッチの邪魔をすればそれこそ首が飛ぶ。
彼はただ、悔しがるほかなかった。
「このっ、くそぉ、若造が! 調子に乗るのも今の内だ!」
「ははは、私も今年で49になりますので若造扱いは嬉しい限りですな」
エヴァラトルコヴィッチは上機嫌で委任状を引っ提げて天幕を後にしたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
——俺は今、至福の最中にある。
エルモは朧げな意識の中、幸せそうに眼を閉じていた。
自分たちがコートランド川の戦場に到着したその日の夜、徹底的に痛めつけた甲斐もあって翌日の夜は敵は攻めてこなかった。
そしてそればかりか、その次の日の日中も、夜も同様だった。
中々大きな被害が出て立て直しに時間がかかっているんだろうというのがアラタや他の隊員たちの考えだ。
実際エルモもそう思っていたし、それによってこうして昼間から布団の中でゴロゴロする権利を行使している。
司令部付きの特別小隊としてこの戦場にいる第1192小隊の隊員には、この司令部の人間も何かと便宜を図ってくれている。
それはアラタの外面の良さや、副官のリャン、アーキムなどの人柄の良さのおかげだ。
だから昨晩のようにうまい酒と食事を楽しみつつ、悪酔いしないくらいに兵営まで送ってもらい、気持ちよく就寝することが出来ている。
そして今日も夜襲に備えて昼間の仕事は何もしなくていいと言われたら、エルモのように2度寝する人間も出てくる。
もし仮に敵が昼間攻めてきたとしても、1192小隊の出番はないとアラタは言っていた。
だったらお言葉に甘えてダラダラしますとエルモは寝ているわけだが、何事も予定通り進まないのが戦場であり、職場だ。
「エルモさん緊急招集だって! 2分後に小隊集合!」
「2分!?」
エルモは聞き間違えかと思い彼を起こしにやって来たキィに訊き返した。
「とにかく急いで!」
それだけ言うとキィはテントから出て行った。
きっと他にも回るところがあるのだろう。
「あぁ、くそったれ。帝国のボケナス共が」
文句を垂れながらも黒鎧を装着するエルモの手は正確だ。
昨日適当なところで切り上げておいてよかったと、彼は昨日の自分を称賛した。
2日酔いで行動できませんなんてアラタに言ったら何をされるか分かったものでは無い。
にしても、とエルモは首をひねる。
「日中は何もないって言ったのになぁ」
アラタは確かに、日中はオフだと断言した。
なら状況は想像以上に不味いのかもしれないと、彼は心のスイッチを切り替える。
一応、曲がりなりにも、ギリギリのギリ特務警邏の一員であるエルモは、けじめをつけて戦闘用のメンタルにならなければならない場面というものを心得ている。
先生が話したがっているのにいつまでも雑談を続けるような愚か者でもないし、強制ではないからと頼まれたことを断るような人間性は持ち合わせていない。
アラタが宣言したことを覆した、それならかなりまずいことになっていて、自分一人おちゃらけていていいような状態ではない。
そこまで思考が回る頃には黒鎧の着装を完了して、彼はテントを出た。
すぐ前には小隊の半分以上の人間が集合、整列していた。
「悪いな」
アラタが軽く謝る。
「いえ、お気になさらず」
エルモはそう答えると第2分隊の列に加わった。
彼は4人分隊の中の最後尾だ。
1分45秒で出てきた彼に続いて、続々と隊員が集う。
そして3分が経過するころには全員がフル装備でアラタの前に整列を完了した。
「全員そろったな。では騎乗しろ。概要は走りながら伝える。行くぞ!」
「「「おぉ!!!」」」
アラタを先頭に馬番が用意してくれている自分たちの馬に飛び乗って、彼らは司令部から出撃した。
20騎は全体から見れば少ない数だが、中身は極上の精鋭部隊。
彼らを緊急出動させなければならないと言う状況が、戦況の悪さを物語っていた。
「こ、ここここちら側の岸に上陸されたぁ!?」
エルモが頓狂な声をあげたのは、それから30秒後のことだった。
「いいから隊長の話を聞け」
彼の所属する第2分隊長のアーキムが黙らせる。
「続きを」
「おう。敵は今日の7時半から攻撃を開始、初めはいつも通り単調な攻撃で士気も低く、乗り切れると思われていた。ただ——」
「特殊部隊ですか」
アラタの隣を駆けるリャンの言葉に、アラタも頷く。
「正確な情報ではないが、川に土の橋を架けて、こちらに攻撃魔術をポンポン打ち込み、岸で白兵戦に持ち込まれたらしい。重要地点でもなかったから対応が遅れてそのあたりは敵に占拠されている。俺たちの仕事は現地部隊と協力してこいつらを水の底に沈めることだ」
任務の内容に、一同に緊張が走る。
戦局を左右しうる内容だと誰でもわかるから。
ただ、臆するような人間をアラタは部隊に選抜したりしていない。
「雑魚は味方に任せろ。敵の通り道を作っているアホを叩きのめして、橋を落とす。あとは数で押し切って終わりだ」
「隊長」
先ほどからアラタは全員に聞こえるように大声で話している。
時折後ろを振り向いて部下の理解度を図りつつ。
そんな後方から、第5分隊のエリックが前へ抜けてきた。
「作戦が聞こえませんでした! もう一回お願いします」
「あーおっけ。俺たちの仕事は橋を架けた連中を叩き潰して、橋も落とす事。そしたらあとは味方が何とかする。第1と第3分隊が先行して、第5が中衛、第2と第4はサポートに回れ。いいな」
「了解です」
「特にリャン、ウォーレンは仲間から離れるな。周りは2人をサポートしろ。第2は予備戦力としてアーキムの判断で突入、第4はアレサンドロとバッカスが戦況を見極めて前方に伝達、テッドとカイは補助だ。第5分隊は前衛と後衛の連絡通路を確保するんだ。いいな!」
「「「了解!」」」
「隊長! 見えてきました!」
アラタよりもさらに先行しているハリスが叫んだ。
すぐに彼らの眼も戦場を捉える。
「おいおいマジかよ」
「あちゃー」
「これは~、ヤバくない?」
「全員下馬して戦うぞ! 馬を停められそうな場所を探せ!」
当初は騎馬で突撃して崩すことを想定していたアラタたちだが、早々に計画は変更を余儀なくされた。
想像していたよりも5倍はしっかりとした太い橋に、サッカーコート半面分くらいの陣地を占領されて押し合っている戦況。
敵は奥からどんどん押し寄せてきているし、橋を落とすのは一筋縄ではいかなそうだ。
「相当魔術が出来る奴がいるな」
「ですね」
アーキムの言葉にリャンも同意する。
アラタでもこのレベルの橋を造るのはなかなか厳しいものがある。
明らかに魔術、クラス、スキルのなせる業だ。
「隊長! 第155中隊の方が馬を引き受けてくれるようです!」
「よし! 全員急げ!」
防衛部隊の前線基地に馬を停めるため、河川敷の土手を馬で駆け抜けていく。
開戦から1週間、もう綻び始めたかというのがアラタの感想だ。
目まぐるしく変わる戦況は、どちらかというとウル帝国のペースで動いているように思えてならなかった。
不安を振り払うように、表に出さないようにアラタは声を張り上げる。
「1192小隊! 俺についてこい!」
そして彼らは河川敷へと走っていくのだった。
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