第319話 狡知終劇

「第1、第3分隊は俺につけ。第2と第4分隊の指揮はアーキムが取れ」


「了解」


「お前はここを中心に展開して通すな。俺たちは回り込んで逃げ道を潰す」


 バートンが空に向かって打ち上げた火球は、十分な高度を確保した後大きな音を立てて爆ぜた。

 花火が炸裂したような音は、周囲に陣を敷いている味方に伝わったはずだ。

 彼は続けざまに何発か魔術を行使して、異常事態であることを周囲に喧伝した。

 そうしている間にもアラタ率いる2個分隊は散開しつつ敵との距離を詰めていた。


「……15人くらいか?」


「僕は17に見えた」


「そうか。潜伏している奴もいるかもしれない、人数は当てにするな」


 アラタが数えた人数よりも、キィは多く待ち構えていると言う。

 自分では見つけられなかった2名がいるとするならば、もっと隠れているかもしれないと警戒レベルを引き上げる。

 アラタ、キィが先頭を走り、カロンとリャンは左右に展開する。

 その両翼を第3分隊がカバーしていて、彼らは早々に仕掛ける気だ。

 こちらに攻める気が無いと思われたら、ダラダラといつまでも居座ろうとするだろう。

 殺すか捕まえるか、それが無理ならさっさと追い出す、そうアラタは考える。

 黒鎧に身を包んだ精鋭が湖畔の茂みに接近していく。

 その先では——


「えぇ~なにアレ。ちょっとヤバそうだな~」


「指示を」


「逃げよっか。全員騎乗」


 迷彩服の一団は、1192小隊を背にして走り出し、それから近くに待機させていた馬を止めていたロープを切断した。

 馬たちが自由に動き回る前に飛び乗って横腹を蹴る。

 そして嘶きと共に東へ向かって駆け始めた。


「げ。馬いるのかよ」


「逆に今までどうやって通り抜けてきたって話ですよ」


「末端に期待するのが間違ってるな」


 アラタとリャンは言葉を交わしつつ、作戦は失敗に終わるのではないかという焦燥感に駆られていた。

 言うまでもなく、馬と人間が競走した場合は馬の方が速い。

 ただ、それは短距離平坦な場所を走らせた場合の話で、悪路や山道、そして森の中を走らせた場合は少し異なる。

 ましてやここは異世界、ノエルが本気で剣聖の力を解放したのなら、先ほどの前提条件も覆り、馬よりも彼女の方が速く大地を駆けるだろう。

 つまり、カナン公国軍の陣地で、アラタたちと比較して速く走れるのか、いまいち確信が持てない。

 ならば追いかけるほかなく、アラタは加速した。


「深追いは禁物ですよ」


 後方から引き剥がされたリャンが叫ぶ。


「キィ、カロン。ついてこれるか」


「うん」


「やってみせます!」


「よし。リャンは第3分隊と共に右に展開!」


「了解!」


 元気に返事をした碧い髪の男の姿は、やがて小さくなって消えて行った。

 3人になって敵を追跡しているものの、距離は一向に縮まらない。

 むしろちぎられないようによく走っていると言える。

 ただ、戦場に頑張ったで賞は存在しない。

 出来たのか、出来なかったのか、2つに1つだ。


「まだ遠いな」


「100m以上ありますよ」


 カロンもよくアラタについていっている。

 多少のブランクがある中で、彼はよくやっている方だ。

 キィも、八咫烏の闘いの日々から離れて数か月、アラタはもう少し鈍っているものと思っていた。

 マッシュ男爵家の使用人兼護衛として雇い入れられたキィとリャン。

 護衛といいつつも、実際にそれが必要とされる場面は無かったと聞いている。

 そうであるなら、単に貴族の使用人として毎日を過ごしていたことになる。

 それではこの速力は出ない。

 つまるところ、彼らもカロンも、遊んでいたわけではないという事だ。

 そしてそれはアラタも同じ、いやそれ以上。

 灼眼虎狼ビーストルビーのハイクオリティオールラウンダー。

 彼の右手から、青白い稲妻が漏れ出た。


「5カウントで仕掛ける。5・4・3・2・1——」


「ゴー!」


 アラタが高威力魔術、雷槍を放つのと同時に、キィとカロンがさらに加速した。

 もう全力ダッシュで、八番砦近くの平地を駆け抜けていく。

 一方アラタの放った雷槍は、コントロールミスもなく真っ直ぐ敵に突き進んでいく。

 掠れば落馬は免れないし、直撃すればまず助からない。

 それが嫌なら魔術を事前に破壊するしか道はない。

 乗馬している20名弱のほとんどが体格的に小さく、アラタの攻撃を捌けるようには見えない。

 まず刺さる、そう思った。

 だから、彼は予想を立て直さざるを得なくなった。


「へいへいマジかよ」


 背後から迫りくるアラタの雷槍を、敵が単騎で防ぎ切った。

 丸形の盾を構え、上手く上方向に力をいなした。

 そして盾を抉りながら、紫電は敵に当たることなく通過し、やがて霧散した。

 そして敵兵は何の感慨も喜びもなしに再び前を向き、アラタ達に背を向けて走り続ける。

 中々に屈辱的かつ、ショックな光景だった。

 アラタは一瞬の空白の後、次の指示を飛ばす。


「2人ともステイ! 俺と合流!」


 先行していた2人を呼び戻し、元の陣形を再構築する。

 ファーストアタックは失敗のようだ。


「結構やるな。前に出て足を止めたいけど、厳しそう」


 そう呟くと、アラタは自分の装備を確認した。

 刀、ナイフ、医療キット、非常食、以上。

 飛び道具なんてものはない。

 魔術で攻撃してみたものの、どうにも防がれる公算が高い以上、無駄に体力を消費する意味はない。

 ではどうするか。

 諦めるか。


「川が……」


 そうカロンが呟いた。


「川がどうした」


「橋は全部監視しているはずです。それなら……」


「何が言いたい」


「浅瀬を渡って来たか、即席の橋を架けたか、警備兵を殺害したかです。後ろ2つだったらお手上げですが、浅瀬を渡ってきたら心当たりがあります」


「なるほど。ワンチャン賭けてみるか」


「どうせこのままじゃ追いつけないです。イチかバチかやりましょう」


 アラタは頷き、カロンの提案を採用することにした。


「2人は右に逸れて川の下流に先回りしろ。俺は八番砦の右側の浅いところを警戒する」


「「了解」」


 そう言うと、3人は二手に分かれた。

 アラタだけが単独で東北東に動き、キィとカロンは南東に向かった。

 この先馬が渡れそうな場所はアラタにもいくつか心当たりがある。

 読みが外れればそれまで、取り逃がしたとしても仕方がない。

 しかしもし当たれば思わぬ収穫になる可能性がある。

 そして何より、こちらの情報を掴んでいるであろう敵をみすみすと逃すわけにはいかなかった。

 アラタは走る。

 刀を収め、両手を大きく振って走る。

 長距離を走ることは苦ではないが、装備を着込んでのダッシュは堪える。

 いくら軽量な新素材とは言っても、アルミは金属だ。

 しかもまだ気温は高く、湿度もそれなり。

 汗は滝のように流れ落ち、水滴が一粒二粒目に入る。

 鈍く痛む沁みを我慢しながら走り続ける。

 逃走経路を確保しているだろう敵だが、必ずしも計画通り事が運ぶわけではない。

 アラタはある種の確信があった。

 敵は必ずこちらに来ると。

 いやむしろ来いと、そう思っていた。

 そしてこういう時、神の思し召しとでもいうべきか、強者たちは引かれ合う。


「全員下馬して戦闘配置」


「ゼェッ、ゼェッ、ゲホッ、ハー……ビンゴ」


「何でこうなるかな~」


 黒装束1名に対して、深めの緑を基調とした迷彩服の敵が20名弱。

 改めて数え直した結果、敵は18名だった。

 やはり取りこぼしがあったかと、アラタは息を吐く。

 彼のスキルやキィの能力をかいくぐる人間が数名いるという事は、それなりに嬉しくない情報だ。


「一応聞くけど、見逃してくれないかな?」


 敵の中で一際大きな体をした髭面の男が問いかける。

 彼が特別大柄というわけではない。

 むしろ世間一般では中肉中背と言ったところ、アラタの方が遥かに背が高い。

 それでも彼の姿が大きく映るのは、周りにいる人間たちとの体格差によるものだろう。

 ほとんどが身長160cmもない、そうアラタは結論付けた。

 それで大人という可能性を捨てるのは尚早かもしれなくとも、普通に考えるなら子供だ。

 ただ、仮にそうだったとしても、アラタが見逃す理由は特にない。


「投降しろ。そうすれば殺しはしない」


 手に付いた汗を拭き、抜刀した。

 この人数差でやる気のようだ。


「いや~、こちらとしてはそれは困るんだな~」


 間延びした声で途方に暮れつつ、頭を掻く。


「増援が到着するのは時間の問題だけど……向かってくるなら容赦はしない」


「うん、逃げようか」


「雷撃!」


 敵が一斉に動き出したところに、アラタは雷属性の初歩魔術、雷撃を15発放った。

 それに加えて風刃を数発、それに隠れて石弾も5発射出した。

 大声で魔術名を口にしていても、それだけでは済まさないのがアラタの徹底しているところ。

 期待通り、雷撃へ意識を割いた敵は数人が風刃を受けてしまう。

 目に見える石弾と雷撃を過度に警戒したミスだ。

 殺し切れていないまでも、転倒した敵を捕縛もしくは殺害するためにアラタは既に走り出している。

 彼の中では炎雷を使用するか、雷槍を複数使用するか迷うところ。

 結果として、彼はどちらも使用せず【身体強化】、【感知】の出力を上昇させた。

 刀と初級魔術の近接格闘戦で押し切るつもりらしい。

 確かにこの体格差なら、彼なら敵を圧倒出来るだろう。

 引率者らしき男もそれを察したのか、次の指示が飛ぶ。


「ローガン、やれ」


「お兄ちゃんでいい?」


「なんでもいい。残りは反転、攻撃準備」


 先ほどまでのらりくらりという言葉が非常によく似合っていた男の目から光が消えた。

 アラタやクリスと同じように、薄暗い路地裏のどぶのような目だ。


 ——ぶった斬る!


 ——狡知終劇ローズル・ロプト


「………………お兄ちゃん、僕だよ」


「……あきらか?」


 僅かコンマゼロ数秒の中で、アラタは自分の声帯から発せられた音声の言語的意味を解読し、反芻した。

 目の前の10~12歳くらいの子供を前にして、君は自分アラタの兄弟の千葉明ちばあきらなのかと、そう言ったのだ。

 次の瞬間、頭蓋に響き渡るような激痛。

 【痛覚軽減】を全開にしてもなお相殺しきれない激痛の中、アラタは迫りくる敵に向けて刀を振った。


「……? ローガン、ちゃんと使ったのか」


「うん。手ごたえはあったよ」


「我が強いだけか?」


 頭部を金属の輪っかで締め付けられるような痛みの中では、魔術なんてとても使えそうにない。

 スキルもいくつかは解除してしまい、残るものも効きが悪い。

 それでも複数の敵の攻撃を捌くことが出来るのだから、彼と敵の間には相応の実力差があるようだ。


「うっぐ、あぁぁ……くっそ、何してんだクソガキ」


「お兄ちゃん、僕だよ」


 ——新兄しんにい、キャッチボールしようよ。


「ガァァアアア! ぐっ、ううぅ」


 両手は刀から離せない状況の中、苦痛に顔を歪ませるアラタは視界がぼやけてきた。

 ユウと戦った時のように、圧倒的な武力に叩きのめされたわけではない。

 ただ、抗いようのない力で自分が塗り替えられていくとでも形容すべきか。

 相手は魔術や飛び道具も搦めてアラタを殺そうとしてきたが、何とか捌き続けること数合。

 彼にとって幸いだったのは、遭遇して初めに打ち上げた火球の効果があったこと。

 そして一度別れたキィ、カロンが遠方に朧げながら見えた事。


「もういい、脱出が優先だ」


「えー。まあいいや。またねお兄ちゃん」


「明…………ぐっ!」


 再び馬にまたがり、彼に背を向けて走り出した一団は、川の浅瀬を渡って帝国軍の方へと消えて行った。

 そして、アラタは得も言われぬ倦怠感と悪寒に押しつぶされるように、意識を失った。

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