第314話 開戦
「伝令ー! 正面に敵影を確認! その数2万!」
ウル帝国歴1581年9月11日。
斥候の情報で存在を確認していた敵影を、ついに肉眼で捉えた。
公称8万、実際の見立てでは5万前後と目されていたウル帝国西部方面隊。
その先鋒が公国領深くに浸潤している。
ここは先だっての東部動乱の舞台となったミラ丘陵地より南東に20kmほどの平地。
豊かな大地は公国の食料を賄う重要地の1つであり、人の数より牛の数の方が多いような地域だ。
住民の多くは避難を完了しており、ここにいるのは軍だけ。
カナン公国軍の中枢は、この位置を進軍していた。
そして総司令部もここにあった。
「司令官殿、指示を」
そう促す白髪交じりの髭と髪を蓄えた壮年男性の名は、マイケル・ガルシア。
公国軍第2師団長であり、階級は中将。
貴族出身者ではなく、いわゆる平民からの国家試験突破組だ。
まあ平民と言っても彼の実家は不動産を大量に保有しており、その道の商いをしている。
よくある一般男性というやつだ。
彼の正面には、これまたサンタクロースのような貫禄を持つ男性。
見た目はガルシア中将よりもさらにいくつか上、しかしその大きな体は司令部に置いておくにはもったいないほどの偉丈夫。
「予定通り、コートランド川を挟んで迎え撃つ。行け」
「はっ!」
敵発見の情報を伝達してきた兵士は、またすぐに天幕を出て行った。
司令官、アイザック・アボット大将の指令で、公国軍右翼2万が陣を敷く。
彼らが現在進む平地は、コートランド川に分断されながらその奥まで続いている。
ここから見て北西にはミラ丘陵地が続いており、その奥にはカナン公国とタリキャス王国を隔てる山脈まである。
豊富な水源を提供している山脈から、丘陵地帯を流れ、やがてコートランド川に流れ着く。
始めはちょろちょろとして小川でも、まとまれば大河となって人の行き来を妨げる。
橋は避難前に住民によって破壊済み、川底の浅いエリアには陣地が形成されている。
そこが重要地点になることに疑いの余地はなく、本隊が陣を敷く前に守備隊の配備を完了していた。
自国の領土が侵されているにも拘らず、ここまで戦闘が発生していない理由はそこにあった。
コートランド川以東を敵が蹂躙することよりも、守る場所を限定することで戦力を集中させたい。
それが司令部の判断である。
伝令が来る前も後も、司令部は大忙しで戦い方を練る。
刻一刻ともたらされる情報によって、1分前に決まったことが無に帰す。
細かな部隊配備、敵の戦術意図の推定、今日の夕方ミラ丘陵地に到着する予定の第1師団との連携。
全てを計算に入れつつ、一つのミスも許されない。
間違えれば、すみませんでしたでは済まない。
そんなプレッシャーの中、司令部は淡々と指示を出していく。
しばらくして、ついにその時が迫る。
「司令官殿、我々も行きましょう」
「うむ。馬を引いてくれ」
司令官、第2師団長、それから3名の旅団長は護衛を伴い騎乗した。
戦況を見渡せるように陣取った小高い丘を降り、川に沿うように配備を終えた兵たちの後ろに到着した。
「増幅器を」
「は」
音を増幅し、拡散する魔道具というのは、つい最近公国に入って来た。
元は東の国で生まれたものらしいが、それがウル帝国を通って公国に流れ着くまで、実に2年の歳月が流れている。
それだけカナンは田舎だということだ。
魔力はどうやら波のように強弱があるということが分かったのが今から20年ほど前。
音も同じなのではないか、そういう発想が出て、それを制御する術が生まれるにはそれくらい時間がかかった。
とにかく舶来の発明品を手に、アボット大将は周囲を見渡す。
川の向こう側には黒い敵が蟻のように
奴らは侵略者そのもの、公国人として到底容認できるものでは無い。
9月の残暑の中、互いに防具に身を固め、大汗をかきながらの対峙。
アボットは魔道具に力を流した。
「帝国兵に告ぐ。貴様らは一方的な宣戦布告ののち、我らが領土を蹂躙した! カナン公国は主権国家、独立国家として、断じてこれを容認しない! 死体の山を築き、血の川を流したくなければ去れ!」
目一杯の怒声は、敵を威嚇するだけでなく味方を鼓舞する。
特に東部出身の兵士たちには効果覿面だ。
故郷がコートランド川以東にある者たちは、何の誇張でもなく故郷を奪われているのだから。
そしてこの戦場で負ければ、後退した先に待っているのは自分たちの住む町や家族のいる場所がある。
アボットは続ける。
「聞け! 公国兵! 大公選が終わったばかりの政治的空白を狙い、卑しいことに豊かな我らが故郷を簒奪せんとする下郎たちを許すな! 一騎当千の
「「「勝利を!」」」
「公国に栄光あれ!」
「「「公国に栄光あれ!」」」
「かかれぇ!!!」
銅鑼の音が響き渡り、それを聞いた係がまた銅鑼を叩く。
そうして川沿いに整列した公国兵に合図が伝わるのだ。
第十五次帝国戦役、開戦である。
※※※※※※※※※※※※※※※
初動は凄惨だった。
渡河に挑む帝国軍と、渡河を防ぐ公国軍。
有利なのは当然公国軍だ。
渡河の最中は集団行動がとりづらく、そこに雨あられと降り注ぐ矢。
先陣を切って川を泳ぐ帝国兵はほぼ全滅と言っても差し支えない損害を被り、蜘蛛の子を散らすように撤退した。
魔術、スキル、クラス、渡河する方法なんていくらでもあると思うかもしれない。
しかし、そう簡単な話でもないのだ。
大前提として、アラタやドレイクのようにポンポン魔術を無駄撃ち出来るエネルギーの持ち主は少ない。
それこそ両軍に数えるほどしかいない。
そして、そんな彼らでさえも矢が雨のように降り注ぐ戦場において、集中力を切らさずに魔術を行使するのは難しい。
つまり、この渡河作戦は人海戦術でゴリ押すほかにないのだ。
川幅の狭い地点には前もって拠点が築かれていて、敵を寄せ付けない。
これだけの物量を初日からつぎ込んでいるのは少々不安だが、物資が持つのなら何の問題もない。
総じて、開戦初日のコートランド川付近で発生した主力同士の戦闘は、カナン公国軍の勝利で幕を閉じた。
川には宣言通り帝国兵の死体と血が流れ、逆に公国軍は勝利の雄たけびを上げた。
今宵は宴だと、士気もうなぎのぼり。
そしてその情報はここから20km離れたミラ丘陵地帯にも時間差で到達した。
「勝った! ………………のか?」
「どうですかね」
軍糧を使って作られた、しっかりと栄養バランスを計画している食事を取りながら、アラタは疑問符を付けた。
「アラタ、お前はどう見る?」
「どうも何も、コートランド川を見たことが無いので何とも」
「まあそう言うな。お前ならどうやって川を渡る?」
「魔術で土を操作して移動します」
「でもそんな報告は一つもなかったと」
「そうですね」
「……相手は本当に主力なのか?」
ハルツの一言は、アラタをはっとさせた。
渡るつもりもないのに大量の戦死者を出す意味はなく、かと言ってアラタレベルの人間が敵にいないと考えるのは楽観的過ぎる。
今はまだ、あの戦場には到着していない、そう考えるのが自然だ。
「ハルツさん、敵の数って8万じゃなかったんですか?」
「実際には5万というのが本部の見立てだ。その上で向こうには2万以上の兵が集結している」
「前線に到達しているのは雑兵で、本隊は遅れている?」
「だろうな。だとしてすべての精鋭を向こうにあてがうのもおかしな話だ」
「ちょっとこう、底が見えませんね」
「同感だ」
2人の共通認識として、今日第2師団と第3師団が戦った相手は主力ではなかったというのがある。
ならば、本番はまだ始まってすらいない。
今日は矢を大量に消費した代わりに大勝利を収めたが、敵が突出した戦力を投入した場合、今日のように防ぎきれるかは怪しい。
当然対応策を策定していることは彼らも承知しているが、特記戦力が想像通りの動きをしてくれるのを期待するのは少々都合が良すぎる。
「俺、戻ります。明日は1日訓練に使えるはずですから、予定を練り直したいです」
「そうしてくれ。俺もリーバイに話をしてくる」
ハルツは急いで食事を掻き込み、食器を返却し終えたアラタの後を追う。
小隊や中隊を率いる彼らがここまで理解しているのだから、きっと本部ではもっと議論が白熱しているはず。
まだ会敵していない第1師団内でも、先に見通せない戦いに対して漠然とした不安感が醸成されていくのだった。
そして翌日、同師団はミラ丘陵地の要所に砦を完成させ、敵を待った。
アラタ率いる第1192小隊は最後の訓練を行い、翌日に備える。
第十五次帝国戦役における最激戦地の最初の朝が明けようとしていた。
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