第227話 弱さを許してくれて
特務警邏局長、ダスター・レイフォードに拘束されたアラタとクリスの2人は、そのまま処刑台か留置場に連行されるものだと思っていた。
他に行く当てなんかないし、それでいいとアラタは思っていた。
一方クリスは、まだ手紙を読めていない。
それに、特別生に執着する気もないが、積極的に死に急ぐ理由もない。
拘束具は何ら特別なものでは無く、ただの縄だ。
疲労感が全身にのしかかっているものの、動けないほどではない。
例えば今こうして縄を掴んでいる男の手を取り、指を折り、その隙に腰の武器を奪って逃走することくらい簡単にできる。
留置場ならいいが、処刑台なら途中で逃げてやる、とクリスは周囲の景色に気を配っていた。
血だらけの黒装束は、大いに人目を集める。
それも30名以上の警邏を引き連れてとなると、一体どんな極悪人なのかと、好奇の視線にも晒される。
だが、それも途中までだった。
ダスターが、やじ馬たちを一言で黙らせたのだ。
「おぉっと、そういえばこの拘束具、ただのロープだった。これでは拘束していないようなものだな」
たったそれだけで、観衆は蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
それもそうだ、こんな異様な風体をしている人間に近づいて、喉を噛みちぎられでもしたら死んでしまう。
もっとしっかり捕まえとけ、そんな捨て台詞を残してその場にいたすべての通行人が姿を消した。
「10名、広く展開して一般人を排除しろ」
ダスターの指示で、情報制限はさらに強化される。
広く展開された警邏によって、周囲の人間を出来る限り排除する。
そうして道を進んでいくと、アラタもクリスも、おかしいと思った。
道が、方向が違う。
留置場も、警邏機構の建物も、処刑台も、全部違う。
「どこに向かっている」
「さあ?」
ダスターはこんな感じで、どこか掴みどころのない男だ。
ひょうひょうとした性格で、こうして大公選を戦い抜いた。
その実力はドレイクのお墨付き、というより彼の間者で、レイフォードの名前を冠していながらクレスト家派閥についている。
立場的には自分と同じタイプの人間のはずなのに、アラタはどうにも親近感が沸かない。
それは仕事の内容が違いすぎるからだろうか、それとも性格が合わないのだろうか。
それ以上話すことも無く、一行は目的地に到着する。
アラタはこの場所を知っていた。
クリスも、ここには何度か来たことがあった。
レイフォード家の本邸には劣るが、それでも超のつくほどの大豪邸。
もう一つの公爵家、クレスト家の屋敷だった。
その当主は今回の大公選勝者、シャノン・クレスト。
ノエル・クレストの父であり、次期大公でもある。
「ダスター・レイフォード、任務完了し到着したと伝えてくれ」
入り口で守衛と言葉を交わしている間、2人を見た人間は一様に顔をしかめた。
警邏の協力で周囲の人間の人払いは済んでいるが、流石に屋敷の人間まで出ていけとは言えない。
何事かと様子を見に来た使用人や、屋敷の庭を管理している者、警備の人間たち、多くの人間が彼らを目にして、その醜悪な様に眉をひそめた。
その時の2人と来たら、血だらけで悪臭を放ち、仮面を着けていたのだから、怖がるのも無理はない。
むしろもっとましな方法は無かったのかと聞きたくなるほど、周囲への配慮に欠ける移送法だった。
「お前はこっちだ。そっちは任せた」
「了解であります。局長、拘束具です」
「おぉ、すまんね。忘れてたよ」
ダスターは部下からきちんとした拘束用の手錠を預かると、それをアラタに装着した。
先ほどまでの普通の縄と違い、魔術を封じる力がある。
スキルは使えるところからすると、ユウが使っていた拘束具の方が一段上の性能を誇るのだが、これだけ人数がいれば魔術を封じるだけで十分だろう。
「またな」
「あぁ」
そう言って2人は、別々の方向へと連れられて行った。
クリスと別れた後、アラタを待っていたのは常温の水による洗浄だった。
風呂に入りたいなんて贅沢なことは言わないから、せめて自分で洗いたいと申し出てみる。
この訴えは当然却下、彼は黒装束の上から血の汚れを落とされる。
まだユウと戦った時の傷も癒えておらず、火傷の痕が痛む。
水が沁みるし、布地が濡れて不快だし、何より傷痕が痛い。
骨も折れているのに、これでは拷問と大差ない。
「しっかり洗えよ。まずはそっからだ」
「とりあえずこんなもんじゃないスか?」
「まあそうだな。行くぞ」
雑に水をかけられ、雑に洗われ、雑に連行される。
このまま屋敷の庭で斬首とかかな。
そう彼は自らの未来を予想してみる。
それでもいいやと思っている彼は、抜け殻のようだ。
しかし、今度彼を待ち受けていたのは、本館、それも風呂場だった。
使用人たちが使う物なのか、大浴場のような造りをしている大きな風呂場。
脱衣所の扉が開くと、湯を張っている時特有の温かさを感じる。
そこまで辿り着くのに廊下には布が大量に敷き詰められていて、濡れたアラタを移動させることが決まっていたことをうかがわせる。
まるで初めからこうすることが決まっていたように、それともこの家の使用人が特別優秀なのか、難しいところだ。
ベルトコンベヤーに乗って移動する工業製品のように、アラタはされるがままになる。
ダスターは暴れるなと念押しし、武器を手にして周囲を囲みながら、彼の拘束を解いた。
このままでは黒装束を脱がすことが出来ないから。
極秘技術の結晶である黒装束がクレスト家に渡ることに、アラタは少し抵抗を覚えた。
しかし、ドレイクやメイソンが技術を持っているのだから、今更かと考えることを止める。
何より、黒装束の秘密が漏れたところで、彼はもう困らない。
「……ひでぇ」
「局長、これ風呂入るより……」
服を脱ぎ、肌を露にした彼を見て、警邏たちは言葉を失った。
打撲による内出血、刀剣による切り傷、魔術による火傷、気を配っていたが流石に衛生環境が悪く、浅黒く変色した部位。
その上骨が何本か折れているのだから、周囲の反応は正常と言える。
壮烈な戦いぶりをその体に見たダスターも考え込む。
このまま風呂に入れてもいいのか、と。
だが、最終的に彼はこのままアラタを風呂に入れた。
「こいつを入れたら風呂場も掃除しなけりゃならん。手当も清潔な方がいい。お前ら、あとは頼んだぞ」
「局長!」
嫌な仕事を部下に丸投げしようとしたダスターに、彼らから抗議と叱責の声が飛ぶ。
自分だけ逃がしませんよという亡者の声だ。
それでも逃げかねない適当さが彼には見受けられたが、結局ダスターが折れた。
「しょうがねえなあ」
そう言いつつ、彼は靴下を脱ぐ。
そして、彼らは湯けむりの中に消えた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「お主等、仕官するつもりは無いか?」
アラタとクリスが確保された頃、アトラへの帰路をゆるりと進んでいたドレイクは、突然こう切り出した。
リャンもキィも、この国の人間でないどころか、不正入国扱いだ。
それも飛び切りの危険人物、ドレイク以外にこんな人間を取り扱っている人はいないだろう。
「つもりと聞かれると、特にないですけど」
「僕も」
2人の反応は至極当然で、そうなることはドレイクも分かっていた。
「マッシュ男爵家が護衛兼使用人、まあ平たく言えば戦える使用人を欲しがっておる」
「私たちに? それは無理があるでしょう」
「それが案外そうでもないんじゃよ。男爵は深く碧い髪、緑の瞳を持っておる」
その外見は、今のリャンそっくりだ。
そしてそれは、彼の人種的特徴でもある。
「まさか、同族だというのですか?」
「正確には違う。男爵は一種の先祖返りで、血はそこまで残っておらぬ。ただ、もとを正せば同じ民族、男爵はおぬしが良ければ是非にと言っておる。どうじゃ?」
アラタと半ば喧嘩別れして、ここまで帰ってきた。
そして、高い戦闘力を持つと言ってもまだ子供のキィを連れて、このまま放浪の旅は良くないと、頭では分かっていた。
そこに降ってわいた仕官の話、リャンは仕官など頭の片隅にも無かったが、実は彼が今一番欲しかったものなのかもしれない。
「キィも一緒にいいですか」
「無論じゃ。そもそも、お主一人では護衛として心もとない」
キィが噴き出した。
「こら、笑うことないじゃないですか」
「ププッ、リャンは僕が守ってあげなくちゃね」
「話は決まったようじゃの」
そう言いつつ、ドレイクは一通の書状をリャンに預けた。
マッシュ男爵への手紙だ。
中には登用の件について書かれているのだろう。
「わしはアトラに戻る。一族への仕送りはキングストン商会を通せ。良いな」
「はい。今までお世話になりました。あと……」
とんとん拍子に別れが決まり、感傷もへったくれもない。
新年度でクラスが変わるくらいのノリで、ドレイクは別れを済ませようとする。
「何じゃ? 黒装束の点検は送ればしてやるぞ」
「アラタに伝えてほしいことがあります」
「聞こう」
「私の弱さを許してくれてありがとう。クリスも、2人とも、体に気を付けてほしいと。生きていれば、良いことだってあると。だから、だから……」
「リャン?」
「あの時、命を助けてくれてありがとう。私は私に出来る選択をしますから、どうかアラタも負けないで、クリスと一緒に頑張って欲しいと、そうお伝えください」
リャンは仮面を取り出して、それで顔を覆い隠す。
その端からは、水が零れ落ちる。
決して涙なんかではない、喧嘩別れしたくせに、別れが悲しくて涙を流す人間がどこにいるものか。
「しかと承った。今度アラタたちに会うときは、笑って再開できるようにしておきなさい」
「はい…………っ」
こうして、八咫烏第1小隊は離散した。
他の部隊も任務を完了し、ウル帝国に残った2個小隊以外はその責務を終えた。
つまり、事実上八咫烏は解散したのだ。
「リャン、きっとまた会えるよ」
キィの身長では、背伸びしてリャンの頭に手が届くかというくらい。
少年は思い切り足をピーンと伸ばして、保護者を慰める。
「……そうですね。いつかまた、ですね」
こうして、ドレイクは一人帰路に就く。
リャン、キィは未開拓領域近くの男爵の家へ。
道は分かれ、それぞれの人生が続く。
別れることもあれば、再び道を同じくするときもあるだろう。
だから、その時笑って再開できるように、これから精一杯頑張ろう。
リャンは仮面を取ると、顔を拭いた。
泣いてなんかいない。
「さあ、行きましょうか!」
※※※※※※※※※※※※※※※
アラタは、大広間に連れてこられていた。
監視役以外誰もいないこの場所で、アラタは手を前にして手錠をかけられている。
監視についたのはダスター以下5名の警邏。
魔術なし、拘束付きで彼らから逃げるのは少し難しい。
まあ、アラタはもうどうでもよかったのだが。
「お前も随分と清潔になったな」
「風呂なんて久々だったしな。にしても本当にくせっ毛なのな」
クリスの髪質はストレートだが、いつも毛先が跳ねている。
「何しても治らないんだ。何とかしてくれ」
「まあそのままでいいんじゃね」
2人が身に着けていた装備は、全て没収された。
当然の処置で、代わりに彼らは用意された服を身に着けている。
特に特徴のない、緩めのパンツとシャツ。
下着まで用意されていて、使うか少し迷ったが、ノーパンというわけにもいかない。
少しゴワゴワしていて、着心地が悪い。
「おい、頭を下げろ」
ダスターの真剣な声で、2人は地面を見る。
もう面倒くさいので、おでこを床につける。
あれだけ汚れていたら、床に顔を付けることなんて何とも思わない。
【敵感知】を起動している2人に、それらしい反応は無い。
首を斬られるのなら、それらしい敵意を持った人間の反応がありそうなものだが。
スキルに反応は無いが、その代わりというか、誰かが部屋に入ってきた気配を感じる。
「顔を上げてくれ」
そう指示された2人は、ゆっくりと顔を上げる。
茶色がかった髪。
燃えるように赤い眼。
「次期大公、シャノン・クレストだ。以後よろしく」
国の最高権力者が、そこにいた。
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