第179話 敵みたいなこと言うなよ

 刀傷は、何度負っても慣れない。

 神経を針でちくちく刺されるような、我慢のしようのない痛み。

 血は流れるし、痛いし、水が染みる。

 とにかくこれに慣れてしまうことは未来永劫無いのだと、そう断言できる。

 1人になった部屋で、アラタは天井を眺め、左を見て、右を見て、そしてまた天井を見上げた。

 部屋の左奥にベッドは置かれていて、頭が壁際だ。

 つまり左側は壁、右斜め下方向には扉がある。

 熱を持った左肩と、ぼやけた視界が彼の脳裏に焼き付いている。

 負けた、のか。

 彼はそう思ったが、案外そうとも言い切れない。

 アラタは目的をきっちりと果たしたのだから。

 第4,7小隊を護衛し、誰一人欠けることなく窮地を脱した。

 敵の思い通りにさせなかったのだから、これは勝利と言っても差し支えない。


「……くそっ」


 とまあそう言うのは赤の他人やある程度達観した大人の台詞であって、当の本人が納得できるはずもなかった。


「だぁーくそ! なんなんあいつ!? 剣聖って、反則だろ!」


 ベッドの上でジタバタ暴れる19歳児は、肩の痛みに顔を歪ませる。

 それ以降は足だけばたつかせて悔しがった。

 クリスが人を呼びに行ってから少し、もうそろそろ戻ってきてもいい頃だが、アラタの頭の中は反省会の真っ最中だ。


 遠距離が弱い。

 即死の魔術がほとんどない。

 というか、やっぱり弓を持ってくるべきだったなぁ。

 オーウェンは【暗視】を持ってなさそうだったし、十分チャンスはあったはずなのに。


「もっとやれたなぁ」


 彼は真面目な男だ。

 勤勉で、貪欲に学び、努力を惜しまない。

 才能に溢れ、奢ることなく、自らは恵まれていると自覚している。

 そして上を目指す。

 言葉で言い表すだけでこの難しさ、それを体現することに求められる能力は想像もつかない。

 だが、彼は届かなかった。

 その事実が、その悔しさが彼をまた一つ強くする。


 …………次こそ勝つ。


「入るぞ」


 ノックなしに、声だけで入室してきたクリスの両手には包帯や傷薬などがある。

 それに続いてぞろぞろ入ってきたのはコラリス、第4小隊長オリバ、第7小隊長エバンス、リャン、キィ、そして見知らぬ男性。

 病床のアラタは起き上がるとベッドに腰掛ける。

 それだけでもかなり痛み、立ち上がれない非礼をわびた。


「気にするな。商会の本部には色々と揃っている。ゆっくり治すといい」


 コラリスの言い回し的に、自分の居るこの場所はキングストン商会の建物だと考えたアラタ。

 彼の興味はコラリスの後ろに控えているアラタより少し年上くらいの男性に移った。


「あの、そちらの方は……」


 柔らかそうな物腰。

 漂う気品。

 知的な顔立ち。

 あ、金持ちだ。

 アラタは純粋にそう思った。

 金持ち全員性格がいいとかイケメンとかいうつもりはない。

 ただ、育ちの良さと家庭の金銭状況はある程度相関がある。

 恵まれた家の子なのだろうと、そう思えばこの場で考えられるのは1つ。


「フェルメール・キングストンと申します。以後お見知りおきを」


「アラタです、よろしくお願いします。それで、コラリス様とは……」


「息子です」


「ですよね」


「一応ここの家主でね。君には自分の家だと思って使って欲しい」


「有難すぎて後が怖いですね」


「剣聖に天地裂断てんちれつだんまで使わせた猛者だ、仲良くしていきたいのさ」


「それはどうも」


 フェルメールはそれだけ言うとやることがあるからと言って退出した。

 コラリスも彼と一緒だ。

 残されたのは第1小隊とオリバ、エバンス。

 彼らは任務の最中、これからの予定を決める必要がある。


「取り敢えず、ある程度回復したら俺も捜査に加わる。というか第1小隊4人共な」


 異議なし、あっさりと予定が決まる。

 まあ商会本部から不用意に出るわけにもいかないし、これが妥当なところだろう。


「治癒魔術師は手配できたか?」


「いえ、それが……」


 オリバの反応が芳しくない。

 商会のことだからお抱えの治癒魔術師がいるのだろうなと思っていたアラタは、戦線復帰を2日後と考えていた。

 だが、思わぬところで予想外の展開が来た。

 治癒魔術師は、用意できなかった。


「ウルでは治癒魔術師を厳しく管理しています。その制約を抜けて治療を受けるのは厳しく……」


「密入国より厳しいってよっぽどだな」


「ですね。こればかりはどうにも」


 守られたばかりか効果的な治療法も提供できない小隊長2人は申し訳なさでいっぱいだ。

 取りあえず捜査を継続、解散と言い、クリスだけが残った。


「巻き直し頼むよ」


「分かった」


 血染めの脱脂綿。

 その上から巻かれた包帯。

 それらをスルスルとほどいていく。

 今のアラタは黒装束ではなく、作務衣のような上下別の緩い服を着ている。

 上裸になり、ピンで留めた箇所から包帯が取れていく。

 その下には痛々しい縫合痕が1本。

 肩口をバッサリいかれたのか、かなりの本数縫っている。

 【痛覚軽減】があればこのレベルの傷でも痛い程度で済むのかと、スキルに感謝した。


「っつー! 染みるな」


「我慢しろ」


 ゴミ箱の中に包帯とガーゼを捨て、薬を塗り込む。

 この世界では傷口に植物由来の軟膏を用いることが多々ある。

 ただし、効用はピンキリで、塗らない方がマシというものから軽い擦り傷なら半日で綺麗になる優れモノまで様々だ。

 今クリスがアラタに使っているのは当然のように最高級品。

 コラリスが気を利かせて無償提供してくれた商会一押しの商品だ。

 半透明の薄い緑色をした軟膏は、簡単に体へと馴染んでいく。

 その上から消毒した脱脂綿を置き、包帯で固定。

 これで処置の完了だ。


「ありがと」


「うん」


 2人だけ、どこか気まずい時間が流れる。


「クリスってさ、少しノエルに似てるよな」


「なぜ?」


 唐突な切り出しに、クリスは戸惑う。

 第一、彼女とノエルの間にはほとんど面識は無いのだ。


「言いたいことがあるのに、言えずにもじもじしてる所がよく似てる」


 アラタはそう言うと、作務衣を着込んで布団を被った。

 ベッドに座っていると体のあちこちが痛むのだ。


「私は……別に」


「隊長命令だ。思っていることがあるなら今のうちに吐き出しとけ」


 クリスは逡巡する。

 言ってもいいのか、言うべきなのか、言いたいのか。

 それらを心の中で推し量り、2択の答えを選ぶ。


「私は……何の役にも立てなかった」


 アラタはただ聞くだけだ。

 かける言葉を探すのはそれからで遅くない。


「剣聖と対峙した時、私は身体が震えた。負けると思った、死ぬと。その結果アラタの足を引っ張った。お前だけなら何とか戦えたかもしれない。私を庇わなければ、お前は怪我をしなかったかもしれない」


 特殊配達課唯一の生き残りにしては随分甘い考えだ。

 それは彼女の生来の気質なのか、それともアラタと行動を共にして変わりつつあるのか、恐らくどちらも正解なのだろう。


「私の方が年長なのに、経験も長いのに、お前に頼りっぱなしの自分が情けない」


 仰向けの体勢で、右側に首を傾ける。

 そうすると俯いたクリスの顔がよく見える。

 自責の念がありありと顔に浮かび上がっている。

 その顔に、アラタは過去の自分を重ねた。

 たとえそれが事実だったとしても、周りはそんなこと考えもしないというのに、自分で自分を傷つける行為を。

 今だってアラタもその癖が抜けきっていない。

 そんな気持ちになってしまうことも少なくないし、たいていの場合それはもう取り返しのつかないことになっている。

 相手の気持ちが分かるからこそ、自分を責めずにはいられないのだ。


「弱い私ではお前と対等ではいられない」


 万力で締め上げて、そこから絞り出されたような言葉は、きっと彼女の心の奥底にあったものなのだろう。

 それが本音というやつなのだろう。


「…………敵みたいなこと言うなよ」


「は?」


「だから、敵同士みたいなことを言うな。これも隊長命令な」


 よっこいしょ、とアラタは起き上がった。

 スキルを起動していても傷は痛む。

 左肩の大怪我以外にも無数の傷が体に刻まれている。

 その中にはこの世界に来る前に負ったものもある。

 本体は肘の中。

 それを治療する為の手術痕は外側。

 傷口の一つ一つが、彼にそれぞれ新しいことを教えてくれた。


「弱けりゃ対等じゃないなんて、敵みたいなこと言うなよ。俺たちは仲間だろ? 仲間って、強いか弱いかよりも前に来る言葉でしょ、違う?」


「……すまない、変なことを言った」


「気にすんな。誰だってそう言う時はあるよ」


 アラタは目を瞑った。

 もう疲れた、寝るという意思表示だ。

 暗闇の中、クリスが椅子から立ち上がる音が聞こえる。

 扉を開く音が鳴ると、彼はもう一度目を開いた。


「クリス」


「なんだ?」


「お前が頼りだ。期待してる」


「…………あぁ」


 眼を閉じれば、そこにあるのは剣聖との闘いの記憶。

 クリスどうこうではなく、単純に力が足りなかった。

 夜という有利なフィールドでありながら、敵に一撃も入れられなかった己の無力さ。

 悔しいのはクリスだけではないのだ。


「我は熟慮する、真実を映し出す円鏡かがみを前に……」


 強力な魔術が必要だ。

 そう思ったアラタの口からは、自然と炎雷の詠唱が零れだしていた。

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