第176話 半そで短パン、冬の富士山

——敵が対策を取ってくる可能性あり。注意されたし。


「そう言われてもなぁ」


「取り敢えず対策課のマニュアルは徹底するようにしよう」


 そう言いつつ、第4小隊の小隊長、オリバは書類をめくり、内容をメモに書き留める。

 ウル帝国に来てからというもの、これが彼らの日常だ。

 朝起きて、食事を摂って、書類とにらめっこ。

 そして昼食を摂り、また書類とにらめっこ。

 そして陽が落ちてからしばらく経つまでそれが続く。

 同じ作業に従事する第7小隊の面々も同じ生活サイクルだ。

 宿から黒装束を着てキングストン商会の建物に向かい、仕事をして、そして帰る。

 進捗でもあれば多少気が楽になるのだが、遅々として進まない捜査に、彼らは疲れていた。


「今日メシどうします?」


「いつものところでいいだろ」


 第7小隊長のエバンスは現在小休憩中だ。

 プカプカと煙草をふかしながら薄いコーヒーブレイク。


「ですよね。作る気力なんてないですし」


 そう言った彼の顔は死んでいた。


「俺も自炊したのはいつだったかな」


「うわ出た結婚自慢。今時は男も家事できなきゃ愛想尽かされますよ?」


「俺はいいの」


 煙草を灰皿に押し付けて、休憩終了。

 コーヒーカップを持って自席に戻り、作業再開だ。


「アートン、そこの書類をまとめてこっちに」


「はい」


「オリバさん、ここなんですけど」


「どれどれ」


 時間は過ぎていき、そして成果は上がらず。

 彼らも別に遊んでいるわけではないのだが。

 カネ絡みの捜査を専門とする彼らからすれば、ここまで何のきっかけも得られないという結果が出たのだから、諦めて次の案件に取り掛かりたいというのが本音だ。

 今は八咫烏に所属する彼らだが、以前は警邏の汚職対策セクションに在籍していた。

 彼らにとって重要なのは、全体のバランス。

 1人つるし上げたところで、次の敵が出てくるだけ。

 1人にこだわったところで、敵は他にもたくさんいる。

 だから彼らは一定期間で成果が得られないと判断された案件に対しての切り上げの速さが尋常ではない。


「0/4か」


 第4小隊のエドワードが放ったこの言葉がそれを如実に表していた。

 ゼロは成果であり、4は掛かった日数のことだ。

 もっと言えば、4に8を掛け算して32。

 32人が一日作業した計算で何の成果もなし、そう言う捉え方だ。


「工数を数えるのやめましょうよ。僕たちにはこの案件しかないんですから」


「それもそうか」


 無駄口はそこまで。

 それからは必要な会話以外何もなく、音の大部分を占めたのは紙とペンの音。

 そんな中、オリバに付いて作業を補佐していたリオの手が止まった。


「オリバさん、ちょっといいですか」


「おう」


 一枚の紙を差し出されたオリバは、それを受け取って内容を検める。

 魔物の素材取引に関する領収書、そして大口契約に関する契約書の控え。


「カナンでは確か何年か前に、特定取り扱い危険生物に対する対策費として価格が上乗せされましたよね?」


「そうだな。コカトリス亜種、ゴブリン、オークの原種、それからマンドラゴラもか」


「これ、かなり広範囲に対象があって、魔物市場の取引相場が暴騰したんですよ。でもほら」


 彼が出したのは3年前の請求書。

 そこにはレイフォード家に連なる派閥の貿易事業主の名前がある。

 内容はいくつかの魔物取引の記録。

 合計金貨500枚の大口取引であり、それに見合った量と質の物品が売買されている。


「おかしくないですか?」


「……なるほど」


 他のメンバーも自分の作業を一時中断し、リオの周りを囲んでいた。


「対策費の比率がブレすぎですよ。そりゃあ全部が全部対象じゃないですけど、ほら、数年間で相場が変わったとしても、単位量に対する対策費の割合はそんなに変わらない、変わっちゃいけないはずなんです」


 名目上は販売価格に関税や対策費を上乗せしている。

 しかし、適正価格の時もあれば、明らかに安い時もある、そして逆に高い時も。

 危機管理をおろそかにして代金を抑えた? いや違う。

 それなら従来価格で売りつけて、実務との差分を利益とするから。

 価格が安すぎれば、こうした不正取引の度にカナンから金が流出していく。

 逆に高い場合、残りの金はどこに消えたのか、どこに使ったのかという話になる。


「全員集合……しているか。少し可能性が見えてきた、この方向性で行こう」


 先ほどまで死にかけていた瞳に火が灯る。

 ゴールの見えないマラソンに、ひとまず休憩所が設置されたのだ。

 しかもその先にはおぼろげながらゴールが見えている。

 もしかしたら幻なのかもしれない。

 砂漠のオアシスと同じく蜃気楼なのかもしれない。

 実際にはもっと遠くにあって、ゴールだと思ったのは第2休憩所なのかもしれない。

 だが、それでも希望は確かにそこにある。

 その日、彼らは夜の10時過ぎまで仕事を続けた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「流石に閉まってますよね」


「まあ、今日はいいか」


 第4小隊と第7小隊は、それぞれ別々の宿を取っている。

 第1小隊と同じく、そこからさらに2人組に分かれ、それぞれが2人部屋に宿泊中だ。

 だが、別の部屋と言っても同じ宿、少し不用心とも思える。

 この方が連絡取りやすいし、警邏時代のマニュアルにもそうあったし。

 仕事以外極力何も考えたくないという彼らの疲れも汲んでやる必要はある。

 だが、広義の意味で言えば今この瞬間も仕事中だ。

 起きている時も寝ている時も、書類とにらめっこしている時もトイレに入っている時も。

 常在戦場、その意識が彼らには足りていなかった。


「この後どうする?」


「そりゃあ、隊長の部屋で飲みでしょう」


 黒装束を着ているとは言っても、クリスの【以心伝心】のように秘匿回線を使用しているのではない。

 普通に口を開き、音を発して、会話している。

 いくら何でもそれは少しダメだろう。

 こんな時間になって通りを歩いている人間なんてほぼいないのだから。

 一体どこで誰が聞き耳を立てているか分からないのだ。


「あーあ、明日は早く上がってキャバ行こうぜ」


「先輩の奢りならいいですよ」


「それは違うじゃん」


 街灯がきちんとあるあたり、流石帝都だ。

 しかしそれでも闇夜は暗い。

 暗闇に蠢く影が1つ。

 消えたのかと思うほど高速で、影が動いた。


「それなら3割り出すから、残りは自分で出し……うっ!」


 甲高い音が夜の大通りに響いた。

 突如その場に現れたのは5人の黒装束。

 4人は彼らと同じ格好、八咫烏だ。

 そして残りの1人。

 彼の装いはおよそ八咫烏とは似ても似つかない。

 隠密効果が付与されていないのは勿論、はなから隠す気がない。

 身の丈ほどある大剣を構えるのは筋骨隆々の大男。


「逃げろ」


「か、頭……」


「仕事場に逃げ込め。あそこなら危害は加えられない」


「了解!」


 黒装束8名は元来た道を引き返したかった。

 それを通せんぼする大剣使い。

 迂回するほかなく、大通りを左回りで通り抜け、キングストン商会を目指して走り出した。


「レンヤ、イェル、あいつらの道を切り開け」


「「了解」」


 リャン、キィ両名は第4,7小隊のカバーに向かう。

 残されたのはアラタ、クリス、そして大男。


 ——気をつけろ、ありゃあやばいぞ。


 ——知っているのか?


 クリスのスキルで2人は声に出さずコミュニケーションを取る。

 【以心伝心】があれば敵の存在を気にすることなく密な連携が可能だ。

 先ほどの一撃をいなしたアラタの手はしびれている。

 バッティングで芯を外したようなビリビリとした痛みだ。


 ——剣聖、オーウェン・ブラックだ。


※※※※※※※※※※※※※※※


「一気に駆け抜けろ!」


 2人で8人を守る。

 それは中々難しいことだ。

 リャンの【魔術効果減衰】を発動した状態でギリギリ。

 先頭をキィが切り拓き、後ろからの追撃をリャンが捌く。

 他の8人はどうしているかというと、ただ走るだけ。

 彼らの中に戦えるものはほとんどいないから、こんな時頼れるのは第1小隊しかいないのだ。

 時々忘れがちになるが、第1小隊のメンバーはドレイク麾下の部隊でも最精鋭。

 彼らを上回る戦力をドレイクは持ち合わせていないのだ。

 ハルツ達や、それに準ずる等級を持つ冒険者レイヒム、それにノエルとリーゼ。

 この辺りが単純戦闘力で張るだろう。

 しかし彼らは今ここにいない。

 2本のショーテルを使いこなす少年は敵を倒しつつ進路確保最優先に立ち回っていた。

 殺すか、そうでなければ下半身を重点的に狙い、敵の機動力を削ぐ。

 この場合死者よりも負傷者の方がありがたい。

 独特の形状をした武器で引っ掻けるように足を薙ぎ、リャンのスキルで魔術が使えないことに驚く敵を屠る。

 幸い敵は大したことない。

 これなら抜けられる。

 黒装束に所属してから確かに上がった自身の腕を体感して、少年ははにかんだ。

 向上したのは人殺しの技術、決して褒められることではない。

 ただ、彼の居場所はそこにしかなかった。

 だから、居場所をより強固にすることが出来るようになったことを、ただ喜んだ。


「レンヤ! 見えたよ!」


 薄暗い通りに見えた、一筋の光明。

 キングストン商会本店。

 店はとうに閉まっているが、彼らの知る勝手口はまだ開いているはずだ。

 それこそこのような事態に備えて、店側は彼ら八咫烏の受け入れ態勢を整えてきたのだから。


「こちらです!」


「飛び込んで!」


 ドドドッと黒の一団が流れ込んだ。

 その数10名。

 第4,7小隊にリャンとキィを加えた八咫烏構成員。

 店の者は扉を閉めると外の明かりを最大点灯する。

 店はまるでクリスマスイルミネーションのように煌々と光り輝き、追跡してきた不審者たちを照らした。


「彼ら客人を害そうとするのであれば、キングストン商会名誉会長、コラリス・キングストンの名において貴様らを撃滅する!」


 先ほど八咫烏を迎え入れてくれた女性は、正面玄関から飛び出てそう宣言した。

 彼女は一介の従業員。

 しかし、コラリス・キングストンの名代となれば話は変わる。

 この国有数の富豪であり、帝国議会議員であり、キングストン商会の14代目会長である。

 スカーフのようなもので顔を隠していた追手は、やがて諦めたのか闇夜に消えた。


「た、助かった」


「あれは一体……!? だれから狙われるというのだ」


「おそらくはバルゴ殿下の仕業でしょうな」


 第4小隊、エドワードの問いに答えたのは、貫禄ある老人、コラリス・キングストンその人だった。


「あ、これは……」


「危険な目に遭われてさぞお疲れでしょう。ささ、まずは中に上がってくだされ」


 自分たちはとんでもないことに加担して、関わっているのかもしれないと彼らは思った。

 ドレイクに頼まれて本業を少し休んで割のいい仕事をしようと考えていただけなのに、待っていたのは国の行く末や他国の継承争い。

 それらを前にして、第4,7小隊は流れるままにするほかなかった。

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