第173話 札束でぶっ叩く

「隊長、俺たちどうなるんですかね」


「黙って手を動かせ」


 そう言いながら、隊長と呼ばれた男は書類の山の名からピンで留められたひとまとまりの冊子を手に取った。

 彼はそれをパラパラとめくり、『これではない』と足元の箱に投げ入れた。

 箱の中身は既にパンパンだが、目の前に広がる紙の海よりはかなり少ない。


「1年ですよ1年。そんな長い期間この国で隠密なんて、自分には自信ないですよ」


 先ほどから愚痴を零している男の手はそれなりに動いているが、モチベーションが低いのは如何ともし難く隊長よりは遅い。

 なんでこんなことになったんだろう、そう言いながら作業に取り組む姿は八咫烏のリーダーで第1小隊の隊長に近いものを感じるが、彼は平の隊員だ。

 彼らは今行っている作業の結果に関わらず、この国に、コラリス・キングストンに1年レンタルされることが決まっている。

 言い換えれば期間限定で身売りされたのだ。

 部隊の隊長に頼むと頭を下げられたらそれ以上は何も言えなかったが、平隊員の彼は今も不服なままだった。

 八咫烏の構成員が全員アラタやクリスのように全てを捨てているような人間ではない。

 彼らには彼らの生活があって、交友があって、家族がいて、仕事があって、人生があるのだ。

 今の仕事はこうして目を皿のようにして書類に怪しい点がないか探し出すことだが、それが本業ではない。

 しかも急な出張、中には満足に別れを告げぬままカナンに家族を置いてきた者もいる。


「お前はまだましさ。俺なんて子供が生まれたばかりだっつうのに、隊長も勝手すぎる」


 第4小隊の隊長補佐は大きなため息をついた。

 数カ月の子供と妻を置いていつ帰れるか分からない任務へ。

 その心労は計り知れない。


「まあそう言うな。かしらからこんなものを貰った」


「なんですそれ」


「これはキングストン商会の信用カードだ」


 なんだそれは、と一同は手が止まった。


「商会の伝手があればこのカードで買い物が出来る。契約も可能だ。しかも支払いは商会持ちの特別製」


 全員の眼の色が変わった。


「あとは分かるな?」


「さて、仕事頑張りますか!」


「今日飲みに行きましょうよ!」


 単純な彼らだが、これくらいの人参がぶら下げられていたほうが働き甲斐もあるというものだ。

 こうして第4、第7小隊はコラリス・キングストンの権限の範囲内という条件で、ウル帝国の財務情報に触れる機会を得て捜査を開始したのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※


 彼らが仕事に精を出している、その少し前に時は遡る。

 第7小隊のウル帝国入りを手引きし、その上で2人の小隊長とクリス、アラタはコラリス・キングストンの元を訪ねていた。

 手引きの協力感謝と、小隊長の挨拶だ。

 今は少し忙しいのか、コラリスは礼服に着替えている真っ最中だ。

 高齢特有の抗いようのない肌のしわなどは見えるが、気を抜けばすぐに落ちてしまう筋肉がこれだけ身についているのだから、彼の健康に対する意識の高さはちょっとしたものと言えよう。


「すまないな、呼びつけておいてこのざまだ」


「いえ、こちらこそお邪魔をして申し訳ない」


 ものの数分で面会は終了した。

 小隊長2名は何をしに行ったのかと言った様子でアラタの方を見ていたが、その彼は面会の後使用人に呼ばれて別室へと連れていかれた。

 小隊長はどちらも警邏の一構成員。

 アラタの事は知っていても、クリスのことは全く知らない。

 彼の隣に常にいる、無表情な女性。

 ほとんど仮面を着けているのだから表情もくそもないが、外したとき2人はなぜか安心した。

 それは多分、イメージ通りの顔をしていたからだろう。

 短めの、先が少しはねた黒髪。

 茶色がかった瞳。

 横一直線の口。

 不愛想にも近いクールな表情。

 これで自分にだけ甘えてくれたら完璧なんだがな、と同じ妄想を垂れ流す小隊長たち。

 しかも片方は既婚者だ。

 アラタが帰って来るまでの間、そこまでお互い良く知らない間柄の2組は無言の中にいた。

 気まずいわけではないが、出来れば何か話したい。

 そんなことを考えている間にアラタは用を終えて外に出てきた。


「ご苦労様。2人にはこれ渡しておくから」


 そう言って彼が2人に手渡したのは件の信用カードだ。

 説明を聞いた彼らは慣れないクレジットカードに戸惑いながらも、そのすごさは理解できたようで大層な喜びようだった。


「あと、2人の小隊には別の任務の頼みたい」


「なんすか?」


 無限に金が出てくるカードを手にした彼らは敵なしだ。

 今なら割と何でも言うことを聞くだろう。

 多分アラタがこの順番で任務を開示したのにはそう言う理由があるだろう。


「コラリス・キングストンを監視しろ」


 小隊長たちはカードを丁寧に懐に仕舞った。


「それはまた……理由は?」


「見たら分かるだろ。あの爺さんはやばい。帝国で何かあるならまずあそこからだ、それに……」


「それに?」


「帝国とのパイプは持っておきたい」


 アラタは仮面を着けた。


「頼むぞ。期間が1年あるのはそう言う理由だ」


 それだけ言うと、アラタとクリスはその場から去った。

 残された2人はこれから部下を引き連れて商会の方に向かわなくてはならない。


「あの人は戦争でも起きると思っているのかねぇ」


 第4小隊の隊長はそう言うと、懐に仕舞ったVIPカードを取り出して掲げてみる。

 金があしらわれている金属製のプレート。

 恐らく魔術的な機構が組み込まれている。

 それだけの物を与えてくれた男が味方に付いてくれたような気がして、彼らの気持ちは楽観的そのものだ。

 そして元の時間軸に戻る。

 警備もしっかりとした商会の敷地内で、彼らは彼らの仕事をする。

 それが終われば人の金で飯が食える。

 1年は少し長いが、こんな生活も悪くは無いと彼らは思い始めていた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「あのカード、私の分は無いのか?」


「俺が持ってるからいいだろ」


「お前がいなければ買い物もできないじゃないか」


「それでいいだろ」


「むぅ、欲しいものがあるから貸してくれ」


 クリスは手を出してカードを催促する。


「俺が買ってこようか?」


「黙って貸せ」


 アラタは内心面倒くさいなと思いつつ、これ以上の詮索を避けてカードを渡した。

 それを受け取るとクリスはすぐに部屋を出ようとする。


「待て、1人で行動するな」


「だが…………」


「そうだな、キィと一緒に行け。それならいいだろ」


「……分かった」


 アラタとリャンの借りている部屋から2人が出ていくと、宿泊客だけが部屋に残る。


「何が欲しいんですかね」


 プカプカと煙草をふかしているリャンは見当がついてなさそうだ。


「多分生理用品だな」


「なるほど」


 数カ月の付き合いになるアラタは彼女が月に一度体調を崩していることを把握していた。

 男には無いデバフには一定の理解を示しつつ、これなら始めから男だけの方が楽だとも思っている。

 だがそれを差し引いても彼女を重宝するだけの価値がクリスにはあった。

 悩ましい話だが、人手不足であることも事実。

 アラタはそれ以上その話をすることは無く、代わりにリャンをあるところに誘った。


 どこに行くのかはお楽しみ。

 そう言って2人は私服姿で街を歩く。

 食べ物や日用品の類は概ねカナンと同じ内容だが、種類も量も規模が違う。

 単純に人口も、人口密度も高いのでこういう光景が見られるのだが、帝都にはそんなことよりも更に珍しい場所があった。


「なるほど、これは見たいですよね」


「ああ、今日のカードはやばいらしい」


 元の世界では古代ローマで行われてきた興行であり、趣味の悪い見世物。

 円形闘技場で剣闘士や猛獣を戦わせる娯楽。

 どうやって発生したのかは知らないが、それは異世界でも行われている。

 帝都にある闘技場はただ一つ。

 歴史は隣の迷宮都市エドモンズにあるそれに及ばないが、世界最大の大きさとハイレベルな出場者を擁する人殺しの楽園。


「大人2人で」


 小太りした受付の男は、『完売した』と言って門前払いしようとしたが、金貨を数枚握らせて席は無いが入場することは出来た。

 クリスに貸した信用カードがあればもう少しスマートに入れたのに、と早速後悔したアラタだが、観客席に入った彼はそんなこと5秒後には忘れていた。


「すっげえな」


「えぇ」


 試合前だというのにガヤガヤと騒がしい観客席。

 それだけ多くの人間が収容されているということだ。


「甲子園と同じくらいかな」


 アラタは甲子園球場では観客席から試合を見たことが無いのでこの感覚が合っているのか不明だが、もしそうなら5万人近くの収容人数を誇ることになる。

 イタリアのコロッセオが5万人以上の収容人数を誇ると推定されるのだから、それに近い規模のマリーナ闘技場が凄いのかコロッセオが凄いのかよく分からないが、とにかくたくさんの人間が試合観戦を楽しむことが出来る。


「来たぞ」


「何人いるんですか」


「30人」


 割れんばかりの歓声は円形の闘技場内で反響して外にまで響き渡る。

 ちょっとした音楽フェスに来ている気分だ。


「相手は何人ですか?」


「1人」


「あぁ、そう言う趣旨ですね」


「「うわっ」」


 本命の登場に大地を震わす歓声がこだました。

 そのあまりの音量に2人は思わずビクッと体を震わせた。

 ビリビリと衝撃が伝わってくる。

 そして何より、入場してきた選手の圧に、この距離でも気圧される。


「あれって、まさか」


「ああ」


 身の丈ほどもある大剣。

 人間であることを疑うほどの巨躯。

 防具の類はほとんどなにもなく、代わりに鋼の筋肉が彼を守っている。


「剣聖、オーウェン・ブラックの試合だ」

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