第104話 裏世界の流儀
アラタたち特殊配達課、通称特配課は未開拓領域近くの森での演習を終え、通常業務に戻っていた。
特殊と名前がついていても配達は配達、物流倉庫で荷を捌くことも仕事の内だ。
レイフォード家が持つ物資の流通網、そこに何かおかしなものが紛れ込んでいないか、もしそれを見つければ捜査を行い、然るべき措置を取る、それも彼らの仕事だ。
C4、ドットが何かを見つけ、C分隊長であるシーツに報告が行ったのは、徹夜明けのフィンが居眠りをしてノイマンに絞られている時だった。
最近少し肌寒い日が続いていたが、打って変わったようにポカポカとした陽気がアトラの街を包んでいる。
戦闘任務などもなく、倉庫や事務所で貨物と向き合う日々、もちろん訓練は継続して行われているものの、空気感が弛緩している時の話だった。
7名の分隊長は全員集合、アラタを含めた平隊員は全員今行っている業務を終了し、詰め所に集合を言い渡される。
こんな時、大抵実力行使を前提とした出撃になるから気持ちを切り替えろよ、そうB2のルカはアラタに話しかける。
一度レイフォード邸に戻ったアラタは認識疎外効果のある外套と仮面を取り、戦闘に備え武装の確認をする。
防具の類は支給された特殊な黒装束でオールオッケー、刀と大ぶりのナイフ、救急キット、ポーション、ロープ、非常食、それらを持つと再び外套を羽織り部屋を出た。
廊下を音もなく歩きながら、ベルトの具合を整え、マントの位置を合わせ、そして青い植物の紋様が刻まれた仮面をつける。
最後にフードを被り、これで特配課の戦闘装備、正体不明のティンダロスの猟犬の出来上がりだ。
彼が詰め所に到着した時、集まりは半分程度と言った所、各々が武器の点検をしていたりくつろいでいたり、残るメンバーの終結を待っている段階だった。
詰め所は1階建て、に見せかけた2階建て、2階は天井裏と大差ないほどの高さの空間で、もしもの時に隠れることのできるスペースを確保している。
木製の長椅子に座り、刀を外したアラタは手甲のヒモをいじり、ほつれた部分を爪でカットしている。
特に意味はないが、暇なのだ。
平隊員が全員集合し、時間を潰すために仮眠を取ったり世間話をしたり、自由に過ごしていた所に分隊長たちが入室してきて空気が変わる。
今まで緩んでいた空気は一瞬にして引き締められ、隊員たちは分隊ごとに整列する。
ノイマンが手を上げると、一同は整列している横にある席に座り、彼の言葉を待った。
彼は手にしている書類を机の上に広げると、チョークを手にして話を始める。
「諸君、落ち込まないで聞いてくれ。人身売買だ」
「「「あぁ~」」」
落ち込まないで聞いてくれと言った所からも分かるが、ノイマンもこうなることは予測していたのだろう。
露骨にテンションの下がる部下を見て、『まあ仕方ないか』と言いつつ髭面の男は続ける。
「ま、この手の輩が消えることは無い。今回は下調べだ、今より2時間後、14:30頃取引が行われる。今日の所は情報収集までだな」
分隊長の会議前、当初は全部隊で任務に当たる予定だったが、情報収集任務、戦闘行為に発展する可能性の低さからAとB分隊のみが任務に参加し、C分隊はこのまま待機、他の隊員は通常業務に戻る運びとなった。
詰め所を出て、分隊ごとに人目を避け路地裏を歩いて行くメンバーたち。
足音も聞こえず、何の痕跡も残さない彼らの通る前と後では道の様子は少しも変わらない。
アトラの街、カナン公国の首都と言えば聞こえはいいが、その他の多くの大都市がそうであるように、光が強ければその分闇もまた力強い、そんな街だった。
先月頃、冒険者ギルドを主導とした大規模な犯罪組織の殲滅作戦はそれに対する貴族院肝いりの計画だったが、巨木が倒れた後新たな芽が芽吹き、すくすくと成長するのはごく自然なことだ。
それでは計画の意味がなく、継続的に出てきた杭を叩き潰し、抜いておく作業は特配課にも回ってきている。
クリスの手が上がる。
各員定位置に付き、複数の視線の先には綺麗な身なりをした男たち、現代風に言えばスーツに身を包んだホストの様ないで立ちだ。
彼らの側に控えているのはこれもまたごくごく普通の一般人に見えるが、良くよく観察してみるとなるほど、堅気ではない警戒心に満ちた空気を纏っている。
アラタは腰の刀の柄に手を掛け、合図を待つ。
クリスかノイマンの号令で敵を討つ、そう考えているからだ。
「こんにちは。これが受け渡しの品です」
「ご苦労。これが代金だ」
その光景は、裏社会、非合法の世界、悪意に満ちた世界、慈悲なき世界、様々な言い表し方が出来るがいずれにせよ、吐き気を催すこの世の最底辺そのものだった。
口、手、に拘束具を装着させられ、抵抗することも出来ずに物のように代金と引き換えられている人がいる。
彼女たちはきっと見た目の良い男性に騙されたのだろう、場合によっては借金をこさえたのかもしれない。
もしくは自分も犯罪の片棒を担ぐつもりが気付いたら商品になっていたのかもしれない。
特配課が目にしたのは、まごうことなき人身売買の現場だった。
買い手と売り手、買い手は代金を、売り手は商品をそれぞれ差し出すと商品もとい人間たちは荷車に乗せられ、カモフラージュの為に上からゴザや藁をかぶせられ、身動きできなくなる。
買い手の作業が終わる頃、代金を数え終えた人攫いは満足げに笑いその場を後にしようとした。
「ではこれで。今後ともよろしくお願いしますね」
「あぁ、あんたらの商品は質がいい。これからもよろしく」
両者らは元来た道を引き返し、それぞれの距離は開いていく。
……もうここが限界だ、合図を待つまでもない。
アラタが柄に手を掛けたまま、持ち場を離れようと一歩、足を動かした時だった。
B分隊のルカが刀に手を掛けたアラタの右手を掴み、オレティスが前面に立ちゆく手を塞ぐ。
背後から短剣を喉元に突き付けたクリスは小声で話しかける。
「殺されたいのか?」
「…………っ」
※※※※※※※※※※※※※※※
結局、アラタは目の前で女性たちがどこかに連れていかれるところをただ見ていることしかしなかった。
声を出せば、音を立てれば情報収集任務は失敗し、自分の命に関わらず仕方なく特配課は女性たちを助けただろう。
だがアラタはそうできなかった。
自分の命、任務、損得勘定と女性たちの自由を秤にかけて前者を取ったのだ。
当然と言えば当然、しかし自分可愛さに人を見捨てた、そう言えなくもない今回の任務はアラタにとって気持ちの良いものではなかった。
その後分隊は二手に分かれ、人身売買に関わった両勢力の身元や根城などを調べ上げ、そして帰還した。
収穫は多く、人2人を助けなかったことで得られた利益は人命数十個になるだろう、それだけの価値が得られた情報にはあった。
これからその情報を基にして警邏が動き、場合によっては冒険者が動き、人命が助けられるのだ。
詰め所に戻ると、いの一番に発せられた音は乾いたものだった。
カランと仮面が地面に落ち、その白いベースの上には植物の紋様が青く描かれている。
殴られた拍子に仮面が取れ、露になった表情は納得のいっていない顔、そんな様子だ。
「言いたいことは分かるな? 俺もお前の言いたいことは分かる」
ノイマンの顔、様子は子供を叱る父親の様で、生徒を叱責する教師の様で、前時代的企業で部下の失態を詰める上司の様だった。
殴られ横を向いたアラタの目は相手を見据えており、その態勢のまま吐き捨てるように言葉を発する。
「割り切れと言いたいのでしょう?」
「そうだ、割り切れ」
任務組は解散し、詰め所の大部屋にはアラタとノイマンだけが残る。
時を刻む秒針の音が異常にうるさく聞こえ、夕暮れの明かりは不気味なまでに赤い。
アラタの初対面時の時と比べて、ノイマンはまるで別人だった。
気のよさそうな明るい性格は見る影もなく、そこにいるのは組織の長としての厳しい顔を前面に押し出した髭面の強面だ。
割り切れ、囮捜査のパラドックスともいえばいいのか、一般市民を守るために一般市民を見捨てる。
彼ら彼女らの身に降りかかる災いをあえて放置し、見過ごすことで次に起こるより大きな被害を押さえる。
ちまちまと末端の作業員を捕まえても意味がない、そんな輩は世の中溢れるほど存在していて、いつでもどこでも補充が利いてしまうのが人間社会というものなのだ。
だから胴元に辿り着くまで、捜査利益が最大化される時まで眼前で繰り広げられる無警戒で無計画で無軌道な犯罪の数々を見逃す。
最終的な収支を見ればおそらくそれが最も効率的で、最も嫌悪感溢れるやり方なのだろう。
しかし、アラタや普通の人間がこの手法に感じる嫌悪感など特配課のメンバーは初めから持ち合わせていないのだろう。
ノイマンの言葉に歯を食いしばるが、反論することも出来ずにアラタはただその場に立ち尽くすことしかできない。
彼の口がもう少し達者なら、普段から善悪とは何か、治安を維持するとはどういうことか真剣に考えて日々を生きていたのなら何か変わったのだろうか。
答えはノーである。
仮に今日犯罪に巻き込まれたあの女性たちをアラタが助けることが人道的に正解だったとしても、彼がそれをすることが正しいわけではない。
冒険者が犯罪者を取り締まることが出来ていたのは、事前に犯罪者の情報を知ることが出来ていたのは、彼ら特殊配達課がこの手法を用いて情報を集めていたからである。
アラタが今までしてきた世間一般における善行は、猟犬が行ってきた世間一般における悪行の元で成立していただけでしかないのだから。
立ち尽くすしかない彼を見て、ノイマンは肩をポンと叩き横を通り抜け、詰め所を後にしようとする。
「今回のことは不問に処す。アラタ……いや、B5。感情を表に出すな、鎧で覆い隠せ。お前の心は正直すぎる。正直さは美徳だが、美徳で人は救えない」
「……………………」
アラタはその日、日課の素振りをすることなく寝た。
正直さは美徳だが、美徳で人は救えない。
その言葉は見ず知らずの人間たちによる誹謗中傷で野球を辞めたアラタにとって、心に穴が開くほどよく響いた。
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