第17話 Dランククエスト

 初クエストを終え元大学生の身としてはかなり大きな金額を一度に手に入れたアラタだったが同時にある種焦燥感のようなものを感じていた。

 手元に銀貨4枚、今のところ銀貨1枚5000円だと考えているアラタは手元に2万円ある計算なのだがこれが全財産だとすると随分心もとない。

 今までは立て替えてもらっていたが今アラタがいる部屋も一泊銀貨1枚弱はするのだ、仕事をしなければ1週間持たない。

 そんなわけで怖い、辛い、苦しいの3K職である冒険者として今日も生きていくほかないのだが流石に反省したのかノエルが勝手にクエストを受けてくることはなかった。

 ダンジョンの第5層調査クエストの張り紙を目を輝かせて見ていたがそんなノエルを後ろからジッと見つめるリーゼの視線に屈したのか諦めてくれた。

 いや、ダンジョンって何ぞや。

 そんな当然の疑問も生まれたがそれよりも今日の仕事だ。

 そう思いアラタはリーゼの勧めたままにDランククエスト、ミノタウロスの間引きを受けることにした。


「で、ミノタウロスって何?」


「魔物ですよ」


「いや、そうなんだけど……他には?」


「そうですね、縄張り意識が強く個体数が増えるとケンカします。無傷の角は人気があるのでたまに間引いて縄張り争いで角が傷つかないようにコントロールします。これでいいですか?」


「ばっちり分かった。ありがとう、って言いたいところだけどそれ化け物じゃない? 俺じゃ無理だろ」


 リーゼの話を聞く限り熊でも相手にするのかという様子で元の世界なら経験豊富なプロの方が猟銃片手に駆除するみたいなイメージだったのだがどうにもおかしい。

 普段ならこんなクエスト受けないけど俺がいるから仕方なく難易度を下げている感じがしてならないのだ。

 昨日俺が野菜相手にダウンしたことを知っていてこのクエストにしているんだ、ミノタウロスって言ってもきっと犬くらいの奴に違いない、そう自身を納得させて仕事に向かうことにした。


 クエストに向かう道中、目的地である森に向かっている間ノエルとリーゼは適当な会話をしていたのだがアラタはその会話に混ざることが出来なかった。

 2人がアラタには分からない話題について語っていたとかではなく、単にアラタに言葉を発するだけの余裕がなかったのだ。

 それもそのはず、アトラの中心にほど近い冒険者ギルドから10km程の道のり、3人は馬にも馬車にも乗らず走っていたのだ。

 ノエルは所々に金属板を用いた防具を、リーゼもある程度重量のある武器と防具を装着したまま走り続けていた。

 アラタはと言うと装備と言えるものは刀一振りのみで残りは何もなし、予備の武器はおろか防具の類も一切身に着けていない。

 だがアラタは談笑しながら移動する2人についていくだけで精いっぱいだった。

 1時間で10km、1kmを6分で移動し文字通り10km/hの速度で走ったわけだが鉄の棒を持ちながらの移動は堪えた。

 これが何も持たずただ走ればいいだけなら、アラタもそれなりに元気なまま到着できたのだが、結果としてはより重い装備を身に着けそれでも自分より余裕な女性2人という異次元の存在が身近にいることを体感しただけだった。

 3人が到着した場所はアトラの西10km地点、つまりレイテ村からアトラへの道中の街道である。


「ここに魔物がいるのか?」


「そうだ。ほら、あそこにいるぞ」


 そう言いながらノエルの指さす方向を見てもアラタには何も見えない、俺も視力1.0あるんだけどな、と見えない敵を必死に探そうとしている。

 探しながらだがアラタは一つ、重要な疑問を2人にぶつけた。


「なあ、こんなところに魔物がいたら危なくないか」


「え?」


「いえ、別に」


 そっけないというよりそんなこと微塵も思っていないという反応にアラタもどう返したらいいか迷い静寂が訪れた。

 繰り返すがここは街道、レイテ村だけでなく西方の街や都市に繋がる重要な道であり間違っても動物や魔物の襲撃があっていいような場所ではない。

 そう言う意味でアラタは質問したわけだがどうやらその問いは的外れなものだったみたいだ。


「この辺りに生息する魔物はむやみに人を襲いませんから。こちらが何もしなければ大丈夫ですよ」


「そうなの?」


「そうです。ミノタウロスだって何もなければおとなしい魔物ですから」


 つくづく人間という生き物は他の生き物からしたら迷惑極まりない生物だとアラタは呆れたが、それを仕方ないと思う自分もいてどちらの立場につこうか迷う。

 まあ肉や魚を食べているわけだし、それらも植物やら何やらを摂取して生きているわけだし、これも生存競争や食物連鎖的なあれなのかな、そう納得することにした。

 ノエルはミノタウロスの姿がはっきりと見えると言っていたがそれは剣聖やスキルの効果ありきの話なのでリーゼにも魔物の姿は捉えられていなかった。

 ノエルを先頭として森に入った一行だが慎重に辺りを警戒しつつ極力物音を立てないように努めるアラタに対し2人の無警戒さは賞賛に値するレベルのものだった。

 ペラペラしゃべりながら森を進む2人は下校中の女子高生かと思えるほど周囲に対し大きな音を振りまき続ける。


「おい、流石にしゃべり過ぎじゃ――」


 アラタが注意しようとした直前、2人の声が消えた。

 人差し指を口の前で立ててアラタに静かにするようにジェスチャーするリーゼ、その隣で静かに剣を抜くノエル。

 リーゼが指さす先にアラタが見たものは……馬や牛のような蹄、水牛のようなねじ曲がった角、だがその大きさはアラタが想像していたようなそれではなく、


「熊よりデカいぞ」


「しっ。アラタはここで待機、常に一定の距離を保って私たちの戦いを見ていてください」


 うわ……かっこいい。

 アラタがそんな感想を抱いたのも束の間、2人は化け物に向かって走り出す。


「今日はステーキだな!」


「食べ過ぎは太りますからね」


 そう言いながらどんどんと距離を詰める2人にミノタウロスは当然気付いている。

 と言うより2人が騒いでいた時から気付いていた。

 ゴブリンを狩れと言われれば多少の罪悪感や嫌悪感はあるものの多分勝てる、多分。

 盗賊を相手にしろと言われれば後ろめたい気持ちや後味の悪さを飲み込めば条件次第で生き残ることは可能だ。

 でも、これは、こいつはいくら何でも無理がある。

 パッと見ただけでも2m以上は余裕である化け物が2足歩行で歩いている。

 あんなの人を襲わないと言っても絶対に信用できない。

 一応刀に手をかけるアラタだったが両手の震えが止まらない。

 もしあればこちらに来れば、もし2人がやられそうになったら、俺は戦えるのか?

 あんな化け物、攻撃が掠っただけで即死する自信がある。

 アラタとミノタウロスの距離は約60m、アラタが思考している間に前足を振り上げた魔物はリーゼに攻撃しようとその丸太みたいな腕を振り下ろした。

 メイスのような武器で受けるか避ける、脳内シミュレーションでリーゼの行動を予測したアラタは自分の目を疑った。


「…………は? す、素手?」


 なんとリーゼはミノタウロスの攻撃を左手で押さえている。

 その手に秘められた握力はミノタウロスの前足首がひしゃげるほどに強大で心なしかミノタウロスも苦しんでいるように見えた。


「ノエル」


「いっくぞーっ! むん!」


 いつの間にか木の上に上がり木から木へと飛び移りながらミノタウロスの頭上に移動していたノエルは飛び降り落下する力を剣に乗せて振り切る。

 刃渡りはミノタウロスの体の厚さよりも短いと思われたが魔物の体は物理法則を無視するように縦に両断され倒れた。


「は……ははは。……すっげえ」


 刀に手をかけたまま立ち尽くすしかなかった。

 こいつらを元の世界に連れて行けばスポーツの世界記録はすべて書き換わる。

 自分がこうなるイメージが全く湧かないまま2人に呼ばれてアラタは可哀想な魔物の死体のそばに行く。

 真っ二つの兜割にされたミノタウロスの角は傷ついており、この個体が縄張り争いをしていたことは明白だった。

 だからこそ好戦的で向かってくる人から逃げない個体を探そうと2人が騒いでいたのだと少し遅くなったが2人の行動の意味を理解する。

 それにしてもこれが戦い、と言うより狩りか。

 ノエルが先ほどからミノタウロスの美味な部位がどこにあるなどと言いながら血抜き解体を進めている。

 アラタはスプラッタ映画などは好きではないが全く見れないわけではない。

 しかし戦闘中思い出した盗賊との一戦、手に残る肉の感触、延々続くノエルのミノタウロス料理情報、様々な原因があったが結果は一つ、アラタから吐き出された。

 バラバラに解体されあとは持ち運ぶのみとなった肉塊、骨、角などのパーツ、その上にまんべんなく降り注いだ祝福の雨はアラタが朝食として食べた食材をふんだんに含んでいたのだ。

 …………端的に言うと、アラタは嘔吐した。

 しかもミノタウロスの上に。

 生き物に対する最大級の冒涜やらあれこれは置いておくとして、この場で重要なのはただ一つ、ノエルの楽しみにしていたミノタウロス料理はお預けになったということだ。


「うぇっぷ、うう。……その、ごめんね?」


「貴様を解体してやる!」


「落ち着いてください! 魔物はまた狩ればいいでしょう!」


 このためにわざわざミノタウロス解体用の大きな牛刀のような解体包丁を持ち込んでいたノエル、その落胆ぶりはすさまじかったがリーゼのとりなしでなんとかアラタは一命をとりとめることが出来た。

 青年は誓う。


「食べ物のことでノエルの邪魔をするのはやめよう」

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