喫茶店
相田のマンションから出た二人は、住宅街のそばにある喫茶店に入った。
モダンな感じの店内は、年季が入っている。
座り心地の良い椅子で、テーブル数はそれほど多くない。ホール係は、女性一人。
どうやらカウンターの中にいる男性と夫婦で経営している店なのだろう。
閉店は十九時。現在は十七時だ。名古屋の住宅街の喫茶店は、朝に客が集中することが多いので、ここもそういった店なのかもしれない。客は二人の他に一組いただけだった。
健司たちはカウンターから離れた窓際の席に座る。
「ご注文は?」
女性がメニュー表と水とおしぼりを持ってきてくれた。
「アイスコーヒーをひとつ」
「私は、紅茶で」
「アイスコーヒーと紅茶ですね」
女性は復唱すると、そのまま席を離れた。
「あの女、神崎が脱獄したことは知っていたな」
何が起こったか、知らないはずはないのだ。怪我をした弁護人は彼女と連絡を取り合っていただろうから。
知らないならば、なぜ健司たちが来たか疑問に思うはずだ。あそこまで『何も知らない』反応ならば、なおさら『何があったのか』疑念を抱いてもおかしくない。
「したたかですね。前に会った時と別人のようでした」
「そうなのか?」
「ええ。今回は意図的に色気や甘えを出さないようにしていました。自衛のためでしょうね」
美紀は水の入ったコップに手をのばした。
「自衛?」
「はい。犯罪者の恋人なんて色眼鏡で見られがちです。男に騙された不幸な女性に見えたほうが、印象はよくなります。全部が演技だとは思いませんが、あそこまですっぴんの普段着で事情徴収に応じたのは、ある程度計算してのことでしょう」
「なるほどな。作っている印象はあったが」
もちろん刑事の印象を良くしようと思うのは、普通のことだろう。
店員が注文の品を運んできたので、健司は口をつぐむ。
美紀は、指を額に当て軽く目を閉じた。そっと術を行使しているのだ。
「とりあえず、あの部屋には今のところ神崎はいません」
美紀は答えた。
「新しい符は、能力者が近づけば私にわかるように作りましたから、神崎がいればすぐにわかります」
「さすがだね」
符はそんなことにも使えるのか、と健司は感心する。
「あれ?」
美紀はテーブルの上を見て目を丸くした。
テーブルの上には、アイスコーヒーと紅茶のカップの他に、ドーナツが二つ置かれている。
「ドーナツ?」
「ん? サービスだろ?」
「サービス?」
美紀は不思議そうだ。
「このへんの喫茶店は競争が激しくてね。モーニングは全国的に有名だけど、昼間だって、ちょっとしたお菓子のサービスがあることは珍しくない」
健司は苦笑した。もちろん店によるが、住宅街にある個人経営の店ほどその傾向が高い。
「チェーン店だって、豆菓子くらいつくからな。別段不思議じゃないよ」
「そうですか……」
美紀は紅茶に手をのばしながらも、まだ得心がいかないようだ。
「神崎と来たときは、こういう店に入らなかったの?」
「ええ」
美紀は頷く。
「私も神崎も土地勘はありませんし」
「八坂は、東京のひとだっけ」
「はい」
「そっか」
健司は頷く。地方出身者の健司にとって、東京出身というとそれだけで眩しく感じる。
「相田に会いに来たわけじゃないとしたら、やっぱり『雷の欠片』が目的でしょうか」
「うーん。どうかな。あそこにアレがあるとは知らないと思うけれど」
健司は首をかしげる。
押収した『雷の欠片』を熱田の宮に隠したのはトップシークレットだ。神崎がそれを調べるすべはないし、外部の人間が知ることは無理だろう。
「ただ、あれだけの呪具を隠せる場所はそんなにはない。予想することはできるかもしれないが」
健司はアイスコーヒーのストローをくるりと回した。
「あいつは天才だからな。本当、勘弁してほしい」
「神崎は、確かに天才ですけれど、そこまで思慮深い男ではないと思います」
美紀は慎重に口を開く。
「そもそも、道を外した理由もよくわからん男だしな」
「そんなことはないですよ」
美紀は苦笑する。
「神崎が道を踏み外した原因は、たぶん、彼の劣等感です」
「劣等感?」
健司は目を見開く。それこそ無縁のものだと思っていた。
「あれほどの力を持っていても、彼一人での事件解決率はそれほど高くありませんでした。気づいておられませんでしたか? 彼は草野さんをライバルだと思っていたのです」
「俺を? いや、俺は奴に比べたら全然だめだろう?」
謙遜でもなんでもなく、健司は首を振る。
神崎は二枚目で、街を歩けば常に女性の視線を集めた。攻守にバランスがよく、しかも呪具などを器用に扱い、自分で作ることもした。攻撃一辺倒な健司とは違うのだ。
「神崎があんなことにならなかったとしても、『退魔課』のエースは草野さんです。それは誰が見ても明らかですから」
美紀は真顔で断言する。
「第一に、個人での事件解決率はダントツに草野さんです。第二に、熱田の宮の神宝に連なる呪具を使うことができます」
「……事件解決率は、事件の難易度にもよると思うけれどな」
「最高難度の事件ですよ。少なくとも草野さんと組んでからした仕事はほとんど」
美紀は苦笑した。
「神崎と組んでいた時と難度はそれほど変わらないかもしれませんが、解決までの速度と被害の小ささ、周囲へのフォローなどが圧倒的に草野さんの方が上です。それは三人で仕事した時から肌身に感じていました。神崎もそう思ったと思います」
素直でなくて、しかもプライドの高い神崎は、素直に健司を認めることは出来なかったらしい。
表面上にそれを出すことはなかったらしいが、草野と組んだ仕事の後は、美紀に八つ当たりすることが多かった、と美紀は話す。
「神崎は、私が草野さんと三人で仕事する時より、自分と二人だと手を抜いていると信じていました。実際、手は抜いていませんでしたけれど、草野さんが一緒の時の方が、私はやりやすいと感じていましたから、あながち被害妄想ではないのかもしれませんけれど」
美紀はため息をついた。
「つまりそうした劣等感から、彼はいろいろ焦っていました。あそこまでのことをしたのは、
「心当たりはないか?」
「スナック『輝』でしょうか。おそらく『雷の欠片』を手に入れたのは、あの店で得た知己からではないかと私は思っています」
もちろん捜査は行われ、聞き込みもされている。だが神崎本人の自供もなく、はっきりとした動機らしきものはまだ見つかっていない。
「ま。調査をしたのは『退魔課』とは限らないからな。行ってみる価値はある」
一般人への聞き込みや捜査は、たいていは普通の警察の管轄で、『退魔課』の人間は、捜査よりも実戦に駆り出されることの方が多い。一番の理由は『退魔課』の人間の人数はわずかで、万年人手不足なのだ。
事情を知っている警察が担当はするものの、ポイントのずれは否めない。
今回の神崎の捜査も、人海戦術の部分はどうしても、一般警察官の力も借りている。
とはいえ、一般警察官に神崎を捕まえることは不可能だ。
「そうですね」
頷く美紀に笑みを返すと、健司はドーナツに手をのばす。
アイスコーヒーの中の氷が、カランと小さく音を立てた。
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