三 奉天の出会い
やがて、一人の兵隊さんがぼくに、
「君はなんという名前だい?」
といった。ぼくは、
「木下マナブといいます」
といった。兵隊さんは、
「俺は野村キロウっていうんだ。ちょっと雑談にまぜてもらってもいいかい?」
といった。マルタは黙ってうなずいた。僕は言った。
「いいですよ」
それを聞いた兵隊さんは、
「あそこの丘を知つているかい?あれは
と、元気よく話しながら、浅く日にやけた顔で笑った。ぼくは、
「そうだ兵隊さん、」
と話しかけた。兵隊さんは、
「キロウさんと言っていいんだぜ」
といった。僕は、
「キロウさん、この列車に乗るのは何回目ですか?僕は初めてなんですけど」
とたずねた。キロウさんは、
「俺も初めてだよ。休みがもらえたんで、乗りたいと思ってた「あじあ」の切符を買ったのさ」
と言ってから、
「君は、いい目をしている」
と、半ば独り言のように言った。
むこうの農家に、満州国の国旗がひらめいている。そばで、満州の人たちが、耕作の手を休めて、こちらを眺めている。
「汽車の影が長くなったね。日暮れが近いのかな」
と、マルタが言う。汽車の影だけではない。電柱の影も木の影も、ずっと伸びた。兵隊さんたちが、
「おお、君は?」
と聞く。マルタが、
「私はマルタといいます。よくもじって木材だとか言う人がいるけど、それすっごく嫌なんで、やめてくださいね」
といった。
「そんなこと俺たちが言うわけないだろ。ところでマルタちゃん、どこで降りるんだい?」
「新京です」
兵隊さんたちは、
「俺たちも同じだよ。俺たちの部隊の隊長がいるんでな。休みは今日で終わりなんだ。明日から俺たちはまた激務に戻るのさ」
といって笑ったが、その笑いは妙に悲しげだった。そして、ついに新京が見えてきた。
「あじあ」は、一気に満州国の首都、新京へせまって行く。遠く国務院や、関東軍司令部の建物が夕日にはえ、新しい住宅が鮮やかに見える。兵隊さんたちは新京で下車した。ぼくがおじぎをすると、みんな元気よく挙手の礼を返してくれた。マルタも、おかあさんと一緒に降りて行った。急に車内が寂しくなる。
「さようなら」「さようなら」
マルタは、とびあがりながら手を振った。ぼくは、扉の外まで出て、姿が見えなくなるまで見送った。僕が席に戻ったとたんに、客車の扉が閉まった。「あじあ」はすべるように動き出した。
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