公爵令嬢は逃げ出した!

百目鬼笑太

第一章 逆行した公爵令嬢

第1話 処刑されまして、逆行 ★

 薄暗い牢の中。

 湿った空気が重く肩にのしかかってくる。


 あまりの息苦しさに身じろぎをする。

 繋がれた鎖がガシャガシャと耳障りな音で響かせた。

 手首に嵌められているのは魔封じの加工がされた特殊な手枷である。


 投獄生活で、いつにも増して細くなってしまった手首ではあまりに重い。

 最早一人で持ち上げることも難しい。



「ジョゼフィナ様。最後に言い残すことはありますか」



 白いローブを纏うのは教会の神官だった。

 最後の告解をしに、手のひらを合わせて牢の前に立っている。

 力なく伏せていた顔を上げて、神官を見上げるけれど……。


「……いいえ、ありませんわ」

「では、参りましょう……皇帝陛下が皇后陛下と共にお待ちです」


 

 ただ首を振るうに留めた。

 兵士に体を支えられて、どうにか立ち上がる。

 顔に布を被せられる。

 そうして、わたくしは牢から連れ出されていった。



 一歩。一歩と覚束ない足どりで、けれど確実に死刑台が近づいてくる。



「それでは、ジョゼフィナ・ロベリン・ゼノ──忌まわしき先代皇后への刑を執行せよ」



 玉座に座る皇帝が命令を下す。

 その隣に寄り添うのは、黒髪に黒い瞳の幼さを残した少女だ。


 帝国ではあまり見かけない髪と瞳の色を持つ彼女は異世界からやって来た聖女だという。



「前皇后、ジョゼフィナ・ロベリン・ゼノは先代皇帝を暗殺した。兄をよくも殺してくれたな……さらに宮中での聖女への虐待。恐らくは自分の地位が危ぶまれるとでも思ったのだろうな。権力欲に溺れた哀れな女よ。もちろん、どちらも許されて良いことではない」



 形だけ開かれた裁判ではわたくしが聖女へと行ったという暴行と、皇帝暗殺などという想像もしていなかった悪行が付け加えられていた。

 もちろん、そのどちらもが覚えのないものであった。

 もちろん、そのどれもが覚えのないものである。


 そもそも先代皇帝は、即位式に現れた龍の呪いで衰弱して……というのが宮廷魔術師たちの見解だったはず。

 それを現皇帝が知らないはずもない。

 つまりは処刑するための正当な理由を欲していただけなのだろうと察せられた。


 彼の統治に先代皇帝の置き土産であるわたくしが邪魔だったのだ。



 執行人により顔布が外され真っ黒な布で目隠しをされた。

 


 ギロチン台へと首を乗せ、これまで過ごしてきたたった27年の人生を思い返す。



 産まれたときから、皇太子の婚約者とされ皇后になることが決まっていた。

 夫である先代皇帝との間に確かな愛があったわけでも、それを望んだことだって一度としてない。



 決して自ら皇后になりたいのだと望んだこともなければ、この地位に執着だってない。

 それでも皇后として相応しくあるために、わたくしは多くのものを犠牲に支払ってきた。



 やりたくもない仕事と責任を負わされて、やってもいない罪で異世界から現れたポッと出の女とギリとはいえ弟に処刑されるだなんて。



 なんと呪わしいことなのかしら。



 でも終わる。

 龍の呪いで、夫だった先代皇帝が死んで宮中にわたくしの居場所はなくなっていた。

 その最期の仕事がこれなのはお笑い草だけど、それでもそんな風に考えれば幾分か気分が変わった。



 呪われた皇帝の遺した元皇后。

 異世界より召喚された聖女。


 どちらを擁するかで、今後の進退が決まるのならば選択肢は一つしかない。


 この処刑が、わたくしの皇后としての最期の仕事となる。

 これでようやく終われる。



 けれど、もしも、もしも次があるのなら、わたくしは今度こそ、自分のために自由に生きてみたいのよ。

 ああ、やっとおわ──。




 自ら思い返すのとは別に走馬灯のように脳裏を駆ける記憶があった。

 黒い髪に黒い瞳。

 よく似た制服を身につけて山手線の満員電車で揺られる、かつての自分。


 それは聖女が召喚された時に身につけていた衣服とよく似ていて──、思い出す。




「あっ、あの聖女、日本人じゃん」




 ぷつん。




 ▲▽▲▽



 目が覚めた。

 何とも縁起の悪い夢を見た。衰弱する苦しさとか、牢の湿っぽさとか妙にリアリティがあって何とも言えない嫌な気分になる。

 目覚めは最悪だった。


 ふわふわとしたベッドから体を起こす。ベッドのそばにドレッサーに自分の姿が映り込んだ。


 水色の髪に灰色の目。口元と目元にあるホクロが幼さの中に色気を感じさせる美少女だ。

 今の私だ。

 公爵令嬢ジョゼフィナ・ロベリンだ。


 ……、なるほどつまり私は、いわゆる異世界転生というものをしていたんだな。

 ついさっき見たばかりの、生々しい夢を思い返す。

 夢の中で、皇后となった私は異世界からやって来た聖女と次代皇帝によって処刑される。

 そのきっかけは龍の呪いで夫だった先代皇帝が亡くなったことで私自身も呪われていると貶められたからだ。

 夢であるのに驚くほどの精度と細かさで思い出せる。



 と、なるとだ。

 前世で読んだ令嬢もの漫画や小説を思い浮かべた。

 それが全て自分に当てはまるとは思わない。

 けど、あの夢も実際に自分が体験したことだと考えるのが私の中では自然になってくる。



 異世界転生×公爵令嬢×逆行



 つまりこういうことなのではなかろうか。

 おう、流行りの属性詰め込んだじゃんか。

 でもそれだけじゃ読者はついてこないよ?



 自分の現状が受け入れられずに、つまらない現実逃避をしてしまう。

 ひとまずは、



「いーーっ」



 自分の頰をつねってみた。

 頰に鈍い痛みが生じ、鏡の中の私も頰の引っ張られている。


 痛みは本物でらどうも夢ではないらしい。

 やっぱり私こそが間違いなくジョゼフィナみたいだ。



「ジョゼフィナお嬢様。お目覚めでしょうか」



 メイドのデイジーが部屋にやって来た。

 デイジーと会うのは久しぶりだ。

 平民のデイジーを宮中にまで連れていくことが出来なくて、私が皇后になるため宮中に移り住んでからは、ぱったり会えなくなって……。

 うん、やっぱりあの夢も夢ではないんだな。



「お嬢様? どうかされましたか」

「ううん、何でもない。ねえ、今日は貴女が髪をしてくれる?」

「はいっ、お任せください!」



 花が綻ぶようにデイジーが頰を染める。

 デイジーは元々髪結を志していた子でオシャレに関することが好きだった。


「お食事の準備ができておりますよ」

「ええ、楽しみね」


 朝身支度を整えて、家族の待つ食卓へ向かう。


 まず、今が何年なのかを調べる。

 それから今後の方針を決めよう。


 そうだな。最終的な目標は皇后にならない。


 そして──自由に生きる、だ。

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