緑の丘で青くなる
西野 夏葉
1
どうあがいたところで、失われた日々を今更取り戻せるわけじゃない。それはわかっていても、時には過去の自分の足跡をたどることだって、別に悪いことじゃないはずだ。
わたしはたったそれだけの気持ちで、かつて自分が大学四年間を過ごした街へ、久々に足を運んでみることにした。幼稚園から小、中、高、大……ときて、大学生の時の自分が一番輝いていたというか、生き生きしていたという自覚があるから。
生き生き……なんてヨーグルトの中で生きる乳酸菌みたいな言い方をしているけど、ぶっちゃけた話をすれば、大学生の頃のわたしは、勉学的な意味で言えば決して生き生きとなんてしていなくて、いつも白波の立つ水面ぎりぎりを飛ぶ鳥のような感じだった。授業はよく寝坊したし、レポートは期限の数十分前に慌てて提出するとか、まあ世間一般の認識的には有り体な大学生活を送っていたと思う。
ただし、そうでなければ、わたしが大学生活に対してノスタルジックな感情を覚えることも、きっとなかったに違いない。それだけわたしは周りの人に恵まれたし、のびのび過ごせる環境に身を置いていた。素直に楽しかった。
それだけに、大学を卒業してすぐに放り込まれた一般社会という魔窟の居心地があまりにも悪くて、急に天国から地獄に堕とされたような毎日を送ることになったのだけど。
機械的に同じ毎日を過ごす中で、じわり、と胸の中で忍び寄ってくる「絶望」という感情の音が聞こえた。イラつくことこそあれど仕事はちゃんとやれているが、もうすぐ三十路という人生の交差点に差し掛かろうとしているわたしへの風当たりは、時折ひどく凍えそうなほど冷たい。
けれど、わたしには隣を歩いて共に交差点を通ってくれる異性の姿は、今のところないのである。
そこで、気分転換がてら、数年ぶりにあの街を訪れて、母校の門をくぐってみることにしたのだ。暦は卯月を半分ほど過ぎている。まだ緊張感の抜けない新入生たちがひしめくキャンパスを歩いてみたり、空き教室の椅子に座って、しばし思い出に浸るというのも悪くない。あとは、一応はまだキャンパス内を歩いていても奇異な目では見られない外見を維持できているはずだ……という、なんとも薄っぺらな自信があったのも事実だった。
車窓を楽しもうと思ったらごく普通に眠りに落ちていた。学生の頃のわたしはたいてい夜更かしをしていて、起きたら即座に消防士のように跳ね起きなければ、授業に間に合わないことが日常だった。
わたしの大学の最寄り駅は列車の終点で、そのままだまっていると列車はすぐに折り返していく。一度、折り返して三駅ほどいったところで起きたときには、さすがに自分を呪い殺してやりたくなったのを思い出した。
列車は、日本海沿いに懸命にへばりつくような線路を辿ってゆく。やがて海岸線を離れて数駅行くと、掘割の中に敷かれた線路を走る列車の速度がゆるやかになってゆく。
いくら時が経っても、感覚がそれを覚えている。
車内放送が流れた。
<この先、揺れることがありますのでお気を付けください。
終着、
ほらね。
>>>>>2
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