第4話 登校
冷たい空気が布団の中に入り込んできて、楓は目を覚ました。
母はもうおらず、布団な中には一人分の空間ができていた。
自分が寂しいからやってきたような口ぶりをしていた母だったが、楓の様子から不安を見抜いての行動だったのかもしれない。
母は強しということかと、楓は考えていた。
流れるように布団から出ると、カーテンを開け朝の日差しを浴びた。
「んー」
背伸びをして、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。
これまでもやってきたことのように、自然と一連の動作を済ませると楓は部屋を出た。
初めての女の子の部屋で眠れないかと思ったが、なんだかんだ母親のおかげでぐっすりと眠れていた。
二日目にして慣れたもので、自動操縦がやってくれることは堂々と任せていた。
母親との他愛無い会話も、勝手に出てくるいつものノリで済ます。
いずれ、自分でできればいいと思い、楓は少しの間体に操縦を任せた。
何も恥ずかしさだけが理由ではない。
朝は時間がない。いちいちたじろいでいては、遅刻してしまうだろう。
少し記憶を見た限り、自力で思い出しながらこなすには、ハードな内容ばかりだった。
だから、いずれなのだ。
今はとりあえず、勝手にやるに任せた。
制服に着替えるのもまた、目を瞑っていても勝手にやってくれた。
何度も言うが、恥ずかしいからではない。あれやこれやを手っ取り早く終えるためだ。
今のところ制服の着方もわからないのだ。
そうして、準備を手早く済ませると、ローファーに足を通した。
楓は行動を任せる代わりに、自分が大事を成し遂げるつもりだった。そうすればトントンどころか感謝されてもいいはずだと考えていた。
もう、自分の体なのだから、ここまでの思考は全ておかしなことかもしれないが、それでも楓は未だ折り合いがつけられずにいた。
もう一人の自分がいるかのように振る舞う方が、平常心を保っていられたのだ。
今までなら、動きに集中すれば思考を止められたが、自動化されすぎた動きは余計に思考の余力を作っていた。
「いってきまーす」
「いってらっしゃーい」
笑顔で手を振り、家を出た。
外へ出れば多少変わるかと思ったが、そんなことはなかった。
少なくともわかったことがあった。
男に体を使われる抵抗から、スカートの丈をやたらと短くしていたのかと楓は思っていたが、周りを見るとそうでもないということに気づいた。むしろ、楓の丈の方が少し長い気さえしてきた。
今までジロジロとスカートの丈など見る勇気がなかった楓にとって、女子のミニスカートは異界の代物だった。
それこそ、これを身につけていることだけでも、異世界に来てしまったと思ったほどだ。
そんな装備で大丈夫かと聴きたくなるほどの貧弱な服装だが、世間様は問題ないと答えるのだろう。
誰も自分のスカートを抑えて丈を伸ばそうなどと、おかしな行動はとっていなかった。時折風が吹いた時に、さっと手を当てている程度で自然な動作のうちだった。
これもまた受容するたびに女の子になっていくのか。とスカートを抑えながらしみじみ考えた楓だった。
周りの人間を観察しながら歩いていたが、楓には女子同士の戯れは特に見られなかった。
男子同士も男女もなかった。
キャッキャウフフは自分から行かないと得られないものだった。
記憶に違いはなく、特別、女子同士の交友が深い文化というわけではなかった。
まあ、日本だし。母が特別だったのだ。
女子校にでも行っていたら違ったのかもしれないが、楓が通っていたのは共学だった。
どうして女子が好きなのに女子校に行かなかったのだろうと思ったが、現実は変わらない。
多くの女子より、好きな子が大事だったのだ。それなら共学に行くのなら仕方がないか。
自問自答を繰り返しながら、試しにクラスメイトでも見つけたら、挨拶でもしてみようかと考えていた矢先。
「おっす」
電柱に寄りかか李、いつものように待ち伏せしていた歓太郎が話しかけてきた。
軽く手だけ上げると、素通りした。
歓太郎に用はない。
クラスメイトと言えど、女子だ。
女子を探せ。
「おい、無視はひどいじゃないか」
「よっ、って手を挙げただろう」
「あれは挨拶のうちに入らねぇよ。おっすって言ったら、おっすだろ?」
「知らないな」
「なんだよそれ」
「いつものことだろう。それに、わざわざ僕の登校ルートまでやってくるなんて、速水くんも暇だな」
だいたい言いたいことを言うとそれだけで、また素通り。
こっちの楓も僕が一人称なのか。と思いながら探す。
だが、ちょっかい出しても許されそうな相手は見当たらなかった。
先に登校しているのか、もしくはもう遅いのか。
キョロキョロと見回していることが気になったのか、歓太郎も周囲を見回した。
時々女子から黄色い声に笑顔で手を振っている。
わざわざこっち来なくていいんじゃないか。といらだったが振り払う方が労力がいる。体力は劣っているのだ。
「なあ、誰探してるんだ? 俺か?」
「いいだろう。誰でも。少なくとも速水くんじゃない」
気長に待つか、とまたボケーっと歩き出した。
スカートの守備力の低さも冬なら耐えられなかったかもしれないが、今は夏で助かったと思った。
いずれやってくる頃にはイメージトレーニングで鍛えておこう。
楓に今後の課題ができた。
たびたび、かまってくれという信号を送ってくる歓太郎をいなして、ただひたすらに歩いた。
学校までの道のりは今までの動作と違い、遠く感じた。
それもそうだろう。
家を出るまでは任せていたが、今は楓が記憶を頼りに自力で歩いている。
少し背が低くなり、筋肉量も落ちたが、それはそれ。元から持っていた体のように動くため、さして問題はなかった。
身体能力のスペックをはじめ、他の能力も元の楓と大差ないようだった。
並程度の能力。それが新しい秋元楓の能力だった。
ここでも、転生者特典のようなものはなかったわけだ。努力次第なのかもしれないが。
だが、スペックの確認は今の楓にとってそれほど問題ではない。
それ以上に大事なのは、目標の相手を早々見つけることだった。
朝のキャッキャウフフを諦めた楓にはそれが先決だった。
できれば人が集まる前にそそくさと済ませてしまいたかった。
そのために、準備を任せ、早く家を出ていたのだ。
にも関わらず、運悪く歓太郎に遭遇してしまった。
一番面倒な人物だったが、いるならいるでいいだろう。
記憶の中で嫌なジンクスに関わっているようだが、楓はジンクスを信じていなかった。
成功とは関係ないとたかをくくり、見逃さないように周りを意識して歩いた。
校庭まで着いて、ようやく意中の人物を見つけた。
始業のチャイムまでは時間もあり、ゆったりとした足取りで下駄箱を目指している。
予定通り下駄箱に着く前に、小走りで駆け出した。
「あ、おい! 急に走り出してどうしたんだよ」
後ろから歓太郎が追ってくるが、楓はお構いなしだ。
「冬広さん」
「はい!?」
突然話しかけられ、声がうわずった冬広さん。
今の楓がただの友達でいられればいいと思っていた相手。だが、できることならと望んでもいた相手。冬広椿。
「おはよう。秋元さんと、えーと速水くん」
「おう。おはよう」
「あの、冬広さん」
「なあに?」
純粋な疑問符を浮かべるように小首を傾げて聞いてくる椿。
楓は椿の顔を見るだけでドキドキしていた。
どことなく、前世でフラれた彼女に似ている気がした。
肩の長さの綺麗な髪。
白く透き通った肌。
気品にあふれ、人徳も持ち合わせ、男女ともに好かれている冬広椿。
秋元楓の意中の相手。
「好きです。付き合ってください」
歓太郎や他の生徒に聞かれない程度に大きな声で、楓はストレートに思いを伝えた。
顔を見ることはできなかった。
伝えるだけで精一杯だった。
一度フラれたからと、ラクになるようなものでもなかった。
ただ、一度伝えたからこそ、動かない方が怖かった。
人は簡単に死ぬ。
歯車が少しでもズレていたら、楓は思いを伝えることなく死んでいたかもしれないのだ。
告らなかったことで、フラれなかったとポジティブには考えられなかっただろう。
転生後も一生伝えられなかったことを引きずり、ぐずぐずしていたはずだ。
やっとのことで目を開いた楓だったが、結論は出ていなかった。
椿は目を開いて固まっていた。
告白されたことのない楓と違って、椿は月一以上の頻度で気持ちを伝えられていただろう。
そのうちたった一人なだけだ。
あしらい方も知っているはずだ。
しかし、楓には今の椿の反応が何を示しているのか理解できなかった。
YESの前兆だと思いたかった。
「う」
何か、言葉を出そうとして、椿は突然飲み込んだ。
疑問と不安で楓の眉尻が下がる。
「ううん。ごめんなさい。私たち、女の子同士でしょ。もう少し考えた方がいいと思うわ」
顔面蒼白になった椿は最後に優しく微笑むと、そそくさと下駄箱へかけて行った。
こうなることも考えていた。
一度フラれた程度で、コツがわかるものでもないこともわかっていた。
行動してよかったという気持ちと、フラれた悲しみが同時に押し寄せてきたが、少し、ほんの少しだけ以前よりも余裕が残っていた。
また、川で溺れて死ぬほど余裕がなくなることはなさそうだ。
だが、もし、元に戻るようなことがあればよくも告ってくれたなと言われるのだろうか。
楓は天を見上げた。
「どんまい」
声の方を見ると晴わたる笑顔の歓太郎がいた。
椿の返事に何を言ったかわかったようだ。
人の不幸を喜ぶような態度に一撃必殺をくらわせたくなった楓だったが、形だけの笑顔で、
「うるせぇ」
と答えた。
転生後一敗。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます