転生したので今度こそモテたい

川野マグロ(マグローK)

第1話 失恋

 ここは東京。

 別に東京だからと、どこもかしこも街で、そこらじゅうに人がごった返しているわけでもない。

 人の通りが少なく、一応スーパーが近くにあるくらいの場所だってある。

 秋元楓がいるのはそんなところだ。

 幼少期は楓という名前だけで女子と間違われたこともあったが、彼は自分の名前を気に入っていた。

 彼は楓の木が好きだった。それだけで名前を好きになるには十分だった。

 そんな楓は、努力が報われないタイプの少年だった。

 小さい頃から時間の限り努力をしていたが、一番を取った試しがなかった。

 成績は何をやっても並より少し上で、それ以上には行けなかった。

 だが、楓が努力をやめることはなかった。

 そう言えば聞こえはいいが、結果が変わったわけではなかった。

 いつまで経っても凡庸な成績。取れても中の上程度。

 工夫をしたり、いいと言われている方法を試したりもしたが、特段の成果が出たことはなかった。

 どの分野にも天才と呼ばれる人たちがいて、一番以外は一番になれず、二番以降では勝てないことを自覚する日々だった。

 だからこそ、並程度の能力しか持たずとも、人生は生きていけるのだという考えを強くしていった。

「はあーあ」

 楓の口から今日何度目かのため息が漏れた。

 楓がここ最近力を入れていたのが、恋愛だった。

 人生で初めて、好きな人ができたのだ。

 それは、一目惚れだった。

 今まで、そんな感情を否定してきた彼にとっては、自分に対する驚愕が隠せなかった。

 まず、食卓ですぐに家族にバレ、登校中には友達にもバレた。

 楓の反応は、それだけわかりやすかった。

 それからは、恋は盲目とでも言うべきか、彼は好きになった相手の趣味嗜好を調べ、可能な限り知識を深めた。

 積極的に話しかけるようにし、記憶に残るように努めた。

 そして今日、とうとう意を決して告白したのだ。

 下準備を整えた自分に死角はないという気持ちで。

 しかし、楓の言葉を聞いた時に両手で口元を抑えた時の手応えとは裏腹に、現実は非情なもので、結果は惨敗に終わったのだった。

 目にゴミしか入ってないのではと思うほど涙が流れ、これまでの努力が水の泡となった思いで、楓はいつも以上にふらふらと歩いていた。

 何か人間関係の激変があったわけでもない。

 ただ、友達から友達(フラれた)に変わっただけだ。

 だが、楓にとってはフラれたことによる大きな衝撃が未だ胸の中で渦巻いていた。

 そんな時、ちょうど、川のゴミ拾いをしている場面を見ると、気づけば周りの人たちと笑い合いながら、ゴミを拾い始めていた。

 人の暖かさを感じたいとはよく言ったものだ。

 それほどまでに、人の温かみや、優しさを欲していたのだ。

 自分も何か、人のためになることをして、存在証明をしないと生きていけない気がしていたのだ。


 まだ、暑さの残る日々が続き、川では子供たちが遊んでいた。

 時折、遠くに行くんじゃないぞと注意されると、子供たちは元気に返事を返していた。

 誰が、告白してフラれようが、そんなこと世界は知ったこっちゃないらしい。

 当たり前だ。

 世界は楓を中心に回っているわけでも、他の誰かを中心に回っているわけでもない。

 人一人の変化なんてちっぽけなものだ。

 風が吹くたびに川の流れに目を向け、ゴミを拾ってということを繰り返していると、楓の気持ちは少しずつ晴れてきた。

 だが、初めて受けた恋の傷がすぐ完全に癒えるようなことはなかった。

 初恋は成就しないとはよく言ったものだ。

 冷静になって考えてみれば、趣味が合うから恋人になるわけではないのだ。

 それはあくまでも一つの条件であって、全てではないのだから。

 なんとなくアプローチの弱さを自覚して、次に誰かを好きになったら生かそうなどと空を見上げていた。

 少しの間、そうして反省とゴミ拾いと川を眺めるのを続けていると異変に気がついた。

 焦って川辺へ戻ろうとする少年。その後ろにはチラチラと何かが見えた。

 手が止まっていることも気にせずに、楓はよく目を凝らして見てみた。

 魚ではなさそうだ。

 だが、確かに何かがチラチラと水面から出てくる。

 こっちへ来ている少年の様子から考えると、急を要するのかもしれない。

「おい、君」

 ゴミを拾う手が止まっている楓を注意しようと、男性がやってきた。

 だが、聞く耳を持たない、楓の様子に視線の先を眺めた時、男性は息を飲んだ。

 彼も状況を察したのかもしれない。

 すぐに周りに知らせたが、誰一人として動こうとするものはいない。

 川については詳しくないが、見かけによらず深いのかもしれない。

 全員が周りをキョロキョロと見回して、誰かが動くのを待っていた。

 一応通報のかもしれないが、動くなという指示はない。

 刻一刻と時間が経つにつれ、視線は特定の人物を見るようになっていった。

 それが楓だった。

 ひそひそと、

「若いのだから、あの子が行けばいいのに」

 という、おばさんたちの声が聞こえて来たりもした。

 楓は他のことと同じく、特別泳ぎが上手ではない。ましてや、川で泳ぐことなどこれまであったかすら怪しい。

 しかし、誰かが行かないといけないということは、楓自身もわかっていた。

 人を抱えて戻って来られるかわからないという不安から動いていない自分と、フラれたばかりという状況も相まって、自己否定の念が楓の頭の中を渦巻いていた。

 膝の震えも止まらず、呼吸は浅くなっていた。

 だが、道具を預けると楓は川へ足を踏み入れていた。

 少年が戻って来て、助けを求めて来たことも理由のうちだろうが、本当のところ、楓は何故自分が動いていたのか理解していなかった。

 気づくと動いていた。

 少年の指さした方へ、少し見えるペースの落ちた腕の方へ。

 動き出す前はあれだけ不安だったにも関わらず、一歩一歩を慎重に踏み出していると意外となんとかなりそうで、行動してみると次第に思考に余裕が生まれ、笑顔さえ出てきた。

 そのまま目的地にたどり着くと、少年を抱え上げ、来た道を戻る。

 その時には、

「大丈夫だよ」

 と声をかけるだけの余裕も戻ってきていた。

 本当は救助の人を待った方ががよかったのでは、とか、ライフセーバーみたいな人がいたらよかったのに、とかいう思考を払い除けて、ただ、前に進んだ。

 そうして進んだかいあって、無事少年は陸地へ戻ることができた。

 友達と思われる子が泣きながら謝ってる姿を見て、安堵から笑みが漏れた。

 楓もまた、川から上がろうとした時、突然足に痺れが来た。

 その上、ここまできて、万事が終わったような気になっていた安心からか、足を滑らせ、世界が回った。

「あっ」

 手を伸ばした男性の腕を空振り、頭にガツンと強い衝撃が走った。

 視界がぼやけ、意識が朦朧とし、口に水やらなにやらが入り込んできた。

 体はどうやら動いているようで、ぐるぐると、かき回されている感覚があった。

 遠のく意識の中で、どういうわけか、小さい頃の記憶から徐々に流れ始めてきた。

 走馬灯というやつだろうか。

 体が言う事を聞かず、流されるままになりながら、どこか、知っているものと違う記憶のような夢を見ていた。

 ぼんやりと、何度か見た映画のように冷静さが混じりながら、見つめていた。

 そうこうしてると眠くなって来たのか。視界に暗い瞬間が入り始めた。

 徐々に徐々に暗くなる頻度が早くなっていくと、ついには真っ暗なだけの闇が現れて、なにも映らなくなった。


 そうして少し、静かな時が流れた。

 何も聞こえず、何も見えない。

 それでも不思議と体は暖かかった。

 極上の羽毛布団にでも包まれているようで、不快感が一切なかった。

 感覚の再起動からまた少しして、音が聞こえるようになった。

 鮮明ではないが、女性のような笑い声。声にはまだ幼さの残っていた。

 女性の声を聞いていると、心の底から安心感が呼び起こされた。

 ずっと聞いていたい、ハープの音色のようだった。

「努力が報われない少年よ。もう一度私を楽しませなさい」

 声はそんな自分勝手な事を言っているが、反感は抱かなかった。

 もし楓の頭が少しでも動けば、自然と首を縦に振っていただろう。

 楓は動きを見せなかったが、声は満足したように再び笑うと遠ざかっていった。

 寂しさを抱いていると、音の次にはどんどん体の感覚が戻ってきた。

 死んでなかった。

 ただそれだけで、救われた気がして、楓は目を開けた。

 どこもかしこも白く、病院らしいことがわかった。

 そして、アルコールのような匂いが鼻をついた。

 だが、気づいたことはそれだけではなかった。

「手が小さい?」

 咄嗟に口を抑える。

 声が高くなっている。

 体もおかしい。

 目を剥いて、体をぺたぺたと触れるたび、どうあがいても別物になっていることに気づかされる。

 髪は長くサラサラで、肌はすべすべで柔らかい。

 どうしていいかわからなくなった楓は、枕に顔をうずめると控えめに叫んだ。

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