第9話です アナログチック
私は布団にもぐって、本とにらめっこしていました。
文面を目で追っていますが、全然違うことを考えています。
王道で攻めていましたが、よくよく考えてみますと別に本を借りる必要はないのですよ。
本を借りずとも書き込みはできるではないですか。
読書コーナーの一番端で、勉強するふりをしながら本に書き込めばいいのです。
そうですよ、世紀の大発見をした気分です!
それか、貸出許可を取らずに黙って借りて帰るとか。
それでしたら、貸出名簿に名前が残ることもありません。
ツッコミどころが満載ですが、そう考えるのが一番妥当だと思います。
どれだけ非合法まがいのことをやりのけているのでしょう。
恐ろしい子です……(私が言うのもおかしな話ですが)。
そこに痺れる、憧れるのでしょうか。
まだ在学中であれば、見つけることができる可能性もあります。
ですが、卒業していればもう宇宙の彼方の人です。
何度も言いますが、私は筆跡鑑定のプロではありませんから、筆跡を見るだけで書かれた年代はわかりません。
こういうとき漫画なんかで見る名探偵のように警察に知り合いがいたら、どれだけ便利か。
警察に知り合いを作るにはどうしたらいいのでしょう。
まずは殺人事件の現場に遭遇して、犯人を何度も当てて、挙句には警察から死神呼ばわりされるようになれば、自然と知り合いができるのでしょうけれど、そこら辺に殺人事件が転がっているはずもありません。
ごめんなさい、不謹慎過ぎましたね……。
私は書き込みを指でなぞりながら、無意識に言葉が漏れていました。
「あなたはどこの誰なのですか」
インターネットで文章のやり取りができる時代になっているのに、私は随分とアナログチックなことをやっていますね。
綺麗なフォントの字が手書きよりも早く入力できる時代なのに、手書きで文字を書く意味はあるのでしょうか。
それは当然あります。
手書きの文字には手書きの文字の温かみがあります。
字が下手だとか上手いだとかを気にする人がいますが、そんなの気にする必要はありません。
文字は書いた人、そのものなのです。
誰にも真似ることのできない、顔のようなものだからです。
世界中に何十億という人がいますが、みんな顔が違うように、文字とは顔や、指紋、DNAのようなもの。
だから筆跡鑑定があるのです。
一人たりたりとも同じ人がいないように、文字も同じです。
一人一人違う個性がある。
それに優劣を付ける必要などない。
人は他者と自分を比べる生き物です。
人と自分を比べることは悪いことばかりではありませんが、比べることで苦しみを生み出しているのも確かなようですね。
他人の立場に立って自分の駄目なところを見ることができるから、人は成長できる。
ある本に書かれていました「他人の視点から自分を眺められないと、人間的に成長できない」と。
人間の凄いところは自己観察できるところにあります。
それは他者との共感力などとも結びついて、人間にとってとても大切な機能なのです。
私はよく、相手の立場に立って物事を考えるようにしています。
例えば本を読んでいても、これを書いた人は何を考えながら書いたのだろう? と。
作者の意図を理解するなど不毛なことですが。
だって今は亡き昔の人が何を考えて、その文章を書いたかなんてどうやって答え合わせをするのですか?
祈祷師にでも魂を呼び出してもらいますか?
スピリチュアルが嫌なら、科学的に文豪の思考パターンをプログラムしたAIでも作り出して、「吾輩はこういうことを考えながら、『吾輩は猫である』と綴ったのだ」とでも言わせるつもりですか?
例え思考パターンが百パーセント同じでも、もうそれは別人格だと私は思います。
テセウスの船です。
体のパーツをすべて取り替えてしまっても、その人の存在は何者にも変わることはなく、その人自身だと私は思います。
それとは逆にAIなどにすべての思考パターンや、その人個人の記憶を植え付けて、百パーセントその人物にしてしまおうと、それはその人ではなく、やはり違う存在だと思うのです。
同じ思考パターンを持とうと、同じ人など一人もいないと私は考えます。
だから私はその人が何を考えていたかを、自分なりの解釈で落とし込みます。
それでいいのですよ。
相対主義の足し算方式で、新たな考えを生み出していけばいいのです。
今までは否定の哲学から色々な学問が生まれてきましたが、これからは否定の引き算ではなく、肯定の足し算で物事を考えることも必要になります。
あれから時が流れ、高校に入学してから、無事に三度めの桜の花びら舞う季節を迎えることができ、私は三年生になりました。
時が経つのは早いですね、と思うようになっている私はババくさいでしょうか?
懲りずに書き込みされた本を読み続けています。
不思議なことに書き込みされている本を見つける才能があるみたいで、探す手間はかかりません。
中古本屋の中を歩いていても、書き込みされた本はわかりませんが、この学校の図書室で、それも限定的な人物の書き込みされた本だけを探し当てられるという超能力があるのです。
以前にも言いましたが、書き込みのある本が私を呼んでいる気がするのです。
決して不思議ちゃんではありません。
あれからも書き込みをする人物がいないか、図書室を張り込み続けていましたが、まったく現れませんでした。
きっと、卒業生の仕業だったのでしょう、と思い始めたのは今から一年前のことです。
そう思い始めて間もなくのことでした。
書き込みされている文字が少しずつ、崩れていくことに気が付きました。
いつもは寸分狂わぬ几帳面な文字なのに、少し崩れています。
些細な変化なのですが、何十万文字という書き込みを読んで来た私にはわかったのです。
デジタルではない、手書きだからこそ些細な感情の変化が伝わってくる。
それから数冊読むにつれて、冊数を追うごとに手書きの文字に力がなくなっていくのです……。
ある一冊の本の余白ページに、名も知らぬ書き込み主の、感想でもツッコミでもない生の文章が書かれている本に出合い、私はその原因を知ったのです――。
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