第2話です ロマンが無くなりましたね

「ただいま帰りました」


 私の祖先はこの辺り一帯を支配していた地主だったそうです。

 今はそんな権力も財力も残ってはいませんが、家だけ立派な和風建築です。

 母と祖母は税金だけが掛かると言って嘆いているのですが……。

 

「おかえり」


 母は居間でせんべいを食べながら、再放送のサスペンスドラマを観ていました。

 丁度、断崖絶壁で刑事が真犯人の、悲しい犯行動機を聞いている場面です。

 

 どうしてサスペンスの終幕になると断崖絶壁に集うのでしょう?

 謎です。

 一説には犯人の心情を表しているとかいないとか。


「今日も早いわね」


 醤油味のせんべいをぼりぼり嚙み砕きながら母は言いましたが、目線はテレビの画面に全集中です。


「せんべい食べる?」


「食べます」


 甘いお菓子も好きですが、しょっぱいお菓子も大好きです。

 私はせんべいを受け取って長方形のテーブルにつきました。

 ボリボリボリボリ。

 

 十畳間の部屋中に香ばしい焼き醤油の匂いと、せんべいを砕く音でサスペンスドラマのシリアスな雰囲気が台無しではありませんか。


「たまには遊んで帰ってくれば」


 目線はテレビの画面に向けたままですが、子を心配する母の声でした。

 ズズズズ、せんべいで乾いた喉を渋いお茶で潤す母。

 シュール。


「あんたくらいの女の子だったら、暗くなるまで帰って来ないもんよ。ふーちゃんと遊んで帰ってくればいいのに」


 私は湯呑にお茶を注ぎ、ズズズズ。


「ふーちゃんは部活の練習があって時間が合いません」


「じゃあ、付き合っている彼氏とかいないの?」


「いませんね」


 そういうと母は熱いお茶をすすったついでにため息を一つ。


「母親が言うのもおかしいかもしんないけど、すーちゃんモテると思うけどね。高嶺の花過ぎて近寄りずらいのかしら? なら、すーちゃんの方から積極的に狼のように攻めるのよ。女は度胸、男は愛嬌なんだから」


「それを言うなら、男は度胸、女は愛嬌では?」


「違う違う。今の時代の男は草食系なんだから。待っていたって駄目。こっちから狩らないと。ハントよ、ハント。女は捕食者、度胸が必要なの。うちの小っちゃいおっさんを見なさい。あの人、草食系の日本代表よ。私がアタックしなかったら、きっと結婚できていなかったんだから」


 小っちゃいおっさんとは私の父のことです。

 決してどこかのゆるキャラのことを言っているのではありません。


「はあ……男女の駆け引きって難しいですね」


 難しいことを考えるとお菓子を食べたくなります。

 ズズズズ。

 渋いお茶としょっぱいせんべいはよく合いますね。

 私のその姿を見て、母はあきれたようなため息をまた一つ。


「いや、あなたがモテない理由がわかったわ。ババくさいからよ……。もっと女子力を磨かなきゃ駄目。やっぱり基本に立ち返って家事ができる女子はモテるのよ」


「まあできないより、できる方がモテますよね。ですが、そういうのは親密になって、家に招待したり、されたりしてから役立つのでは?」


「甘い! 生クリームより甘い! 男の前だけ、女子力アピールする女はすぐ粗が出るんだから。日常のちょっとした所作に女子力は出るものなの」


「はあ~……。でしたら、何か手伝えることはありますか?」


 待っていましたとばかりに母は間髪入れず答えました。


「庭に干してる洗濯物たたんどいて」


 ババくさくなっているのは母の方です。


「わかりました。あとは?」


「そんだけ」


 私は庭に向かって洗濯物を取り込みました。

 洗濯ものをたたむのと、女子力アップには繋がりがあるのかは不明ですが。

 

 母方の祖父、つまり私のおじちゃんは数年前に亡くなり、父母と母方の祖母、そして私を含む四人家族の家庭で、二日くらい溜めて洗濯しますから、洗濯物は山のようにありました。

 

 庭も日本庭園のようにししおどしや竹の柵、庭石、石灯篭などがあり、無駄に広くて、一か所だけある洗濯物干し台と竿が浮いています。

 縁側で取り込んだ洗濯物をたたんで自分の服だけ私室に持って帰ります。


 八畳間の和室が私の部屋。

 部屋の角に勉強机と本棚がある以外は何もありません。

 和室と言うのは洋室と違って模様替えというものがしづらいのですよ。


 襖があって四隅にしか物を置けませんし、壁紙を張り替えるということもできません。

 とまあ、そんな乙女チックでも何でもない、普通の和室が私の部屋です。


 夕食までまだ時間があるので、図書室で借りた本の続きを読むことにしました。

 高校に上がって真っ先に確かめたのは図書室でした。

 中学の図書室はそれほど大きくなかったので、中学の図書室の本は三年間で殆ど読んでしまったのです。


 だから高校の図書室を見たときは、テーマパークに訪れた子供のようにはしゃいだものですよ。

 中学の図書室など問題にならないくらい大きかったのです。


 本棚が迷路のように並べられた本のラビリンス、ジャンル分けされた本が一面に敷き詰められているアカシックレコード。

 興奮しませんか!


 私はクッションを顎おきにして、本を読み進めました。

 女子力のある人は庭で、紅茶やコーヒー片手に、パラソルの下で優雅に本を読むのでしょうが、私は寝転んで漫画を読むようにして読みます。

 

 きっと他人が抱く私へのイメージを崩してしまうことを、私はしてしまっているのでしょうね……。

 何だか……ごめんなさい。

 

 読んでるのは有名な海外文学の翻訳書です。

 小学生のころに一度チャレンジしましたが、長いのと、時代背景、登場人物の名前などなど色々な要因で読み通すことができずに断念した作品です。


 今なら時代背景も頭に入っていますし、予備知識も仕入れています。

 文字から風景が想起され頭の中に世界が広がります。

 登場人物たちが私と同化しているかのような感覚。


 登場人物たちが感じる視覚が、聴覚が、味覚が、嗅覚が、触覚が私の五感となって全身を刺激する。

 ような気がします。

 

 物語を読むときは演劇のように、自分が物語の登場人物になり切ってしまいます。

 だから登場人物の誰かが死んだり酷い目にあったときは、寿命を削られたような気分になります。


 誤ってバイオレンスな物語を読んでしまったらショック死してしまうかもしれません。

 危険です。

 まあ、冗談ですが、かなり精神をやられるのは間違いありません。


 中でもいじめとか、陰湿な物語は苦手ですね……。

 そんなふうに完全に物語の世界に没入したときでした。

 私は文字に眼を奪われました。


「これは……」


 本を読んでいるのだから文字に眼を奪われるのは当然だと思うでしょうけれど、違うのです。

 そうではないのです。

 文字は文字でもプリントされた文字ではなく手書きの文字なのです。

 

 つまり何が言いたいかと言いますと、書き込みがしてありました。

 本の余白部分に几帳面な柔らかい文字で感想のような文章が書かれているのです。

 

 うむうむ、その場面に関するツッコミのようですね。

 登場人物が卑屈過ぎるとか、あのキャラクターが好きだとか、そういう感じの感想が口語体で書かれていました。


 私もその登場人物に好感が持てたので“うんうん„納得です。

 数多くの本を読んできましたが、今まで書き込みがある本に出くわしたのは数冊ほどしかありません。

 

 大抵は図書館や学校で借りるか、たまに本屋で気になる本を買うかの二択で、中古書店を回ることがないからです。

 中には中古本は嫌という人もいますが、別に私は中古本でも全然気になりません。

 

 中古書だろうと今は新品と変わらないほどの綺麗な本を売っているので、書き込みに出くわすこともほぼないでしょう。

 人の頭の中が覗けたようで書き込みのある本は面白いですけどね。


 それからも読み進めると書き込みに出くわしました。

 物語を読むのも面白いですが、書き込みを読むために物語を読み進めている感じになってしまっています。


 自分にはない発想や捉え方が書き込まれているので、また違った本の楽しみ方ができるでしょう。

 まるでネット掲示板でレビューや感想を見ながら、読んでいる感じでしょうか?


 難しい本ですが書き込みに解釈や要約、あとツッコミなどが書かれていたので、飽きずにページが進みます。

 活字を白ごはんだとすると、書き込みはおかずですね。

 

 以前この本を読んだ人はそんなことを考えながら読んでいたのですね、と感慨深い気持ちになります。

 それにしても学校の本に書き込みをするなんて根性のある人ですね?

 

 だれが書き込みしたのか興味はありますが、昔のように個人の名前が図書カードに書かれているようなニューアーク式や、ブラウン式ではなく、私の通う学校はバーコード式でパソコンで貸出人を管理しているようなので、誰が読んでいたのかを知ることはできないようになっています。


 本の趣向は読む人の内面を結構表している場合があるので、読んでいる本を知られるのを嫌がる人がいますからね。

 だから誰が読んだのかバレないことで、喜ぶ人もいるでしょう。


 けれど人間は秘密を知りたがる生き物ですから、誰が読んでいるのかを知るというのも借り本の楽しみの一つであったはずです。

 中には読む本の趣味趣向があって、恋愛に発展するなんていうロマンティックな物語があったはずです(たぶん)。


 古き良き時代の話です。

 というわけで、誰が書き込みをしたのか知る手立てはありません。

 かなり速いペースで内容の三分の一ほど読んだ辺りで、一端しおりを挟み、私は家族が待つ食卓に向かうことにしました――。

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