第30話 愛と夢と



 マサトは目を覚ます頃には私は小説を読み終わり、鉛筆で訂正箇所に印を付けておいた。そして、目を覚ますまでに朝食の支度を済ませて座卓の上に並べてマサトが起きるのを待っていた。


「エリって大人しい癖にお酒強いよな。」


マサトはTシャツに短パン姿であくびをしながら起きてきた。


「マーくんとしか飲んだ事ないから判んないわよ。ご飯作っているから。」


「そうか。そうだよな。ありがとう。」


マサトは寝起きで頭が回らずに片言で言葉を交わすと、そのままユニットバスへ行き暫くするとタオルで顔をワシャワシャと拭きながら出てきて座卓の前へと座わり。


「パンか。」


と呟くと、エリは眉間にシワを寄せ口を尖らせて


「『パンか。』は無いでしょ。そもそもマーくんの冷蔵庫には何も入って無かったんだから。カチカチになった食パンと卵と玉ねぎとジャガイモとベーコンだけ。でも、玉ねぎが有ったから助かったわ。玉ねぎって何にでも使えるから。」


マサトはそう説明する私の話なんて聞かずに、右手にフォークを持ってカップに入ったスープを飲み始めた。


「染みるな~。オイシっ。」


「お酒飲んだ次の日のオニオンスープって美味しいでしょ?」


「うん。良いよね。」


私はマサトの『美味しい』の言葉を貰って上機嫌で話し続けた。


「そっちのフレンチトーストも食べてよ。」


「何でフレンチトーストなんだよ。」


「あんなカチカチの食パン。フレンチトーストにでもしないと食べられないでしょ。溶いた卵に牛乳と塩コショウとコンソメを混ぜてそこにパンを漬け込んでね。結構長い時間漬け込んだわよ。カチカチだったから。」


「へぇー。じゃあ甘くないんだ。玉子とベーコン乗ってるからどうしようかと思ったよ。」


「そう、甘くないの。それを表面を焼いた後でブラックペッパーとバジルをかけて。ベーコンとスクランブルエッグを乗せたの。手で持てないからフォークとナイフ使ってね。」


「ああこれね。」


マサトはフレンチトーストを一口より少し大きめに切り、溢れた半熟のスクランブルエッグをトーストの切れ端に乗せると一口で頬張った。


「ほへふはいほ。」


「ありがと。でも、ちゃんと飲み込んでから話してよ。」


私はマサトが、フレンチトーストを飲み込むより前に私に『美味しいよ』と伝えたかったのが嬉しくて笑った。私はマサトが食べている間にコーヒーを淹れてマサトへ渡した。マサトは口をモゴモゴとさせながらコーヒーを受取り口の中のフレンチトーストをコーヒーで流し込むと


「ありがとう。」


そう言って微笑んだマサトの笑顔が愛しかった。そして私もコーヒーを飲みながら


「マーくんの書いた小説読んだよ。文章本体には触れずに、誤字脱字の所だけ校正入れて置いたから、ちゃんと訂正してね。」


「えっ?あれ読んだの?どうせ素人の書いた物なんて面白く無かったろ?」


「いつも自信家なのに珍しく弱気ね。でもダメよ。」


「あ~。やっぱり面白く無かったか。読書家のエリには俺の文章なんてやっぱりダメだよな。」


「それがダメ。人に読んでもらおうと思って作品を作ったんでしょ?面白くない何て思っちゃダメなの。百歩譲って思ったとしても、それを口に出してはいけないの。例えば料理店に入って料理人の人が『美味しく無いけど食べてください。』何て言ってきたら。私は食べずに帰るわ。その自分すら美味しく無いと思った物を人様に食べさせようとする精神が嫌い。どんなに美味しく無い料理だったとしても、作った人は『美味しい』と思って出しては欲しいわ。その後で食べた人が、美味しいと思うか、美味しく無いと思うかは別の話で。」


いつになく本に対しての想いの強い私は、マサトへと強い口調になり。マサトは呆気に取られポカンと口を開けたままだった。マサトはコーヒーを飲み。


「ありがとう。エリ。ほんとお前は強くなったよな。僕は完全に君に追い越されちまった。でもそんなエリが僕には必要で大切なんだと思ったよ。ありがとう。」


そう言って、マサトは立ち上り『ごちそうさま』も言わずに小説の原稿を広げて私の付けた訂正箇所に目を通して、うんうんと頷いていた。私は食器を片付けながら。


「『ごちそうさま』は?それは小説家の前に人としての事よ。」


と笑いながら言うとマサトは頭を掻きながら


「ごめんごめん。ごちそうさま。めっちゃ美味しかったよ。ほんと強くなり過ぎだよ。」


と私の顔を見て笑ったので、私もマサトへ笑い返し。


「マーくんのせいよ。」


そう言いながら私はマサトの胸に抱き付いた。マサトからはいつも太陽のような優しい匂いがした。マサトはそんな私の顔を上げさせて、付き合いはじめて何度目なのか判らない口付けをしたが。私はこの日の口付けを印象的に覚えていた。情熱に燃える人の体温ほど私の心を擽るものはなかった。


 マサトは原稿を座卓の上に置いてノートパソコンを取り出し。原稿のデータを訂正し始めた。私はそんなマサトの姿を見て、この人は本気なんなんだな。と、覚悟を決めてマサトの背中を少し触った。


 私になんかお構いなしで、執筆を続けるマサトに私は何だか嬉しくなって、邪魔をしてはいけないと。マサトの部屋の冷蔵庫へ入れる食材を買いに出掛ける事にした。その途中に拠る本屋さんは私の1ヶ月頑張ったご褒美だ。


 私は自分の目標に頑張るマサトも嬉しいが、これから行く本屋にも心が躍り浮き浮きとしていた。本の中の物語も好きなのだが私は本そのものが好きで装丁、デザイン、帯び書き、紙質、紙の匂い、インクの匂い。どれもが心をときめかせて私にとっては一番のアトラクションである。


 マサトのアパートを出る時に私は静かにドアを開け閉めして音を立てずに外出した。心の中では本の事を考えてソワソワとしながらも。アパートを出て右に曲り大通りに出た所で交差点を渡り、左へ進むと私の背丈ほどの大きな郵便ポストが在り。その横から商店街のアーケード通りが在り。その中に私の好きな古書店が在った。


 本は古くから私達の色んな物事を書き記されていて。例えば歴史書に置いても様々な視点から書かれていて同じ時代の同じ人物の話しでも沢山の本が有った。私はその一冊一冊を手にとっては広げ、読み、戻し、と繰り返しながら本屋の中を少しずつ蟹の様に横に歩いて行った。やはりこの空間が私は落ち着くのである。





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