第18話 過去と未来の落とし物


 私は、マサトと貯水タンクへ登った日から毎日マサトの事を思い出した。あの時に私が竹下公園へ行かなければ、マサトは転校せずに今でもこの教室に居たかもしれない。あの日がマサトと最後の日だとしたら、もっとマサトに触れれば良かった。やらの後悔と、マサトがくれた人と話す楽しみや、人と話せば新しい発見が有り成長に繋がる事などの大切な心と。


 気付けば、それらを毎日心の中で反復していた。


 小学校を卒業までの間。夏が来て体育の授業中に汗だくになりながらも。秋が来て色付いた葉が落ちるのを眺めながらも冬が来てストーブの上で温めたスープを口にしても。また春が来て新しい人や物に出会っても。私の中でマサトのあの笑顔が写り。チクチクと痛むと同時に前に進む力強さも繰り返し。


 そして中学生になり、様々な行事の中でそれなりの青春を過ごし卒業するまでの間と。高校生になり、目標を持ち勉学に励み進路へ向けて努力を重ね卒業するまでの間。


 それらの日々の中にまで頑なにマサトの事を思い続けてしまった。


 高校生の頃に男子生徒から、何度か異性交遊の申請をされたが。私の中のマサトは友人を作る一歩はくれたが、その一歩には足留めにしか成らなかった。私の中でマサトへの想いは降り積もり続け。


 そんな想いが8年も降り積もった心の中には、もう他の人間が入り込める隙間なんて最早無くなっていた。


 どうやらマサトはもう一つ大切な事を教えてくれていたみたいだ。人間は本当に大切なものは失ってからでしか気付けない。


 私はその事からも、もう一つの私の大切なもの。本に携わって生きて行きたいと思い、家から一番近い大学の文学部を目指して勉強に励んだ。それだけしかやる事が無かったと言われれば返す言葉も無いが。それしか無かったのだ。


 その甲斐もあって私は無事に大学へと合格した。一番近くの大学と言えど実家からは、70km程離れており。通学には向かず私は大学の在る町でその春から一人暮らしを始めた。


(なんだか星を渡った王子さまの気分だった)


 口に出してしまえば、子供の様だと言われかねないのでは有るが。私はこの新しい所で、キツネや薔薇の花に出会うかも知れない。私が人生の最後の日が訪れる時に思い出して幸せな気持ちに成れる様な出会いに。桜の花弁が風に揺れ、枝から離れて踊り出す中で新しい出会いによる成長を期待し、静かに胸躍った。


 しかし馴れない土地での新しい生活は私に忙しさをくれただけで、なかなか想い描いた様なキャンパスライフとは行かなかった。食事の準備一つ取っても、想い描いたものとは違い。如何に今まで両親の作り上げた家庭の中で、私が両親の愛情に守られて生きてきたかを感じさせられ。感心と同時に今までの自分の無関心さを謝りたい気持ち、つまりは感謝する日々だった。


 私は忙しさで、マサトの事を考える時間は次第に減っていき。幽かにずつ忘れていっていた。私はその事が嫌では無かった。その事でマサトとの想い出を思い返す度に胸の奥で感じる。カミソリよりも薄い刃で幾度も切りつけられる様な弱く鋭い痛みを感じずに済むからだ。


 そう言ったどうにも成らない過去に縛られて、前に進めなく為らない様に人は『忘れる』と言う機能を持ったのだと私は納得しながらコーヒーを飲んでいた。


 しかし、頭でそんな事を考えても私の心は納得出来ずに。失われていく想いを失わない様に、いつしか私は心の中のマサトに話し掛ける様になり。それは繰り返され癖になっていた。そんな私の中のマサトはいつも私に前向きな言葉をくれた。


 高校なんかとは、違い大学のキャンパスはだだっ広くて次の受講科目の教室まで15分は掛かる距離で有ったりした為に20分後の講義開始に向けて早歩きで向かっている時でも。


「ヤバい遅れそうだ。」


「水本なら大丈夫だよ。」


と、あの日のマサトは私の背中を押すような言葉を掛けてくれる。人と話す時も、今でも時折声が詰まるのだがそんな時も


「俺、水本の大きな声を聞けて嬉しかった。」


そう、あの日の言葉を私の胸にくれて。私の話をする時に現れる不安をいつも消し去ってくれた。私は会えなくなってからも、ずっとマサトと一緒に歩んで来たのだ。



 ―――そんな大学での日々も一日、一日と過ぎて行き、通学路の桜も葉桜に成り。私は次第に上を見なくなっていた。そして梅雨に入り雨の続く中で空は、大して不幸事も無く平坦に生きる私の心すら暗い気持ちにさせる。どんよりとした姿を続けるのであった。



 ―――やがてその様な梅雨も抜けて。晴々とした夏が訪れた。



 梅雨のモノトーンな色調と違い。色鮮やかに映る町並みを歩き抜けて、私は今日も学校へと通った。特に通学路も見慣れてきて私は進路方向か下しか見なくなっていた。特に周りを見ても目新しい物も無かったからだ。私は大学の私の学部の在る校舎へと向かう途中に下を見ながら歩いていると。


「トサッ...」


と音が鳴り。隣を男の人が風の様に走り抜けて行った。私は音の鳴った方へ目を向けるその動作は1秒にも満たなかったが、まるでスローモーションの様に映った。それはそこには目を疑う物が落ちていたからであった。


 その固まった数秒はとても長いものに感じた。小さい頃からの私の記憶の一枚、一枚の写真が私の頭の中で大量に溢れ出して色んな記憶を思い出させて徐々に現在へと近付き。キャンパスの通路の真ん中で座り込んだ私が最後の一枚として写り、私は我に返った。


 我に返った私は鳥肌に包まれて、更に自分の身体が泡粒になってバラバラに消えてしまいそうな程に。驚きの余りに声が出ないのだが、声が溢れて落ちて自分の意識していない物になった。


「えっ...アウッ...何...イヤッ...イヤッ...嫌!」


そんな言葉に為らない声が溢れ。落とした物を見るために見開いた目からは大粒の涙が、ボタボタと溢れて地面へと落ちた。


 私のこの平坦だった人生は、一気に激流へと切り替わり私の物語は加速していくのであった。


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