第14話 遠方交錯



 僕は美空が怒って居なかったのか。それとも会話の記憶が消えているのか。それを悟られずに確かめる返答を考えた。が、それ程考える必要は無かった。普通の会話で十分に判る事であった。


「いや。何かさっき僕が言った言葉で、美空を悲しませたんじゃないかと思って。それで怒ってんじゃないかと思ってさ。」


「あたしがマサトさんに怒るはずが無いじゃないですか。」


(どうやら記憶を失った訳では無さそうだ)


「そうなんだ。なら良かった。」


そんなやり取りをしている間に、僕達はアパートへと辿り着いた。ドアを開けて部屋に入ると美空は僕の首から離れてスーッと消えた。


 僕は風呂場へと入りシャワーを浴び直した。そして歯磨きをしながら、タオルで身体を拭いて部屋着へと着替え。座卓の上の食器やグラスや缶を洗って片付けると美空はパジャマへと着替えてまた目の前へと姿を現した。


 美空は僕が座卓を拭いて片付けて、布団を敷く姿をジッと見ていた。僕はそんな事は気にもせずに布団を敷き終わると、また風呂場へ行き洗面台で口を濯いだ。


 そして部屋へと戻ると美空の姿が見えなかったので、また姿を消しているのだろうと思い蛍光灯を消して、布団へ入ると中に美空が隠れて僕が慌てていると、美空は笑いながら僕の鼻の頭を人差指で押した。


「明日からエリさん帰って来ちゃうし。今日だけ、こうさせてください。」


そう言って来る美空へ図々しさや。寂しさや。儚さや。可愛気の混ざり合った感情を感じながら僕は美空の頭をギュッと抱き寄せた。


 そのまま目を閉じた僕はいつの間にか寝てしまっていた。幽霊の美空が寝たかどうかは、僕の中では定かでは無い。




 ―――次の朝。花火大会の有る土曜日。



 僕がそんな状態に有ることも知らずに、エリは出張先から次の出張先への移動の準備をしていた。


 何処にでも在るビジネスホテルの一室でシャワーとメイクを終えて。鞄に書類をチェックし詰め込み、着替えなどをキャリーバッグへと入れて。トントンとヒールで二回足踏みすると気合いを入れて部屋を出た。この二回の足踏みは私のルーティーンであった。


 私は7時32分の電車に乗る為に駅まで徒歩15分のビジネスホテルから6時55分に出る事にして。フロントのポマードをビッチリ塗った夏の週末には必ず海に出かけてそうな程に陽に焼けた男性に6時46分に鍵を返却して会計を済ませると6時54分にはこのビジネスホテルから出発する事が出来た。


 駅までは私は歩いて行く事にした。タクシー料金は経費で落とせるのでは有るが。私はこの初夏の朝のボヤけた空気に淡い景色の中を歩くのが好きだった。大通りから左へ曲がり歩くと駅付近のアーケード商店街へと入った。


 商店街はまだ何処も開いてはおらず、シャッターが降りて看板の電気も消えており。まるで奇譚の異世界へと迷いこんだ様な様子だった。タイル張りの道を歩く私のヒールの音だけが、カツカツとアーケードの中で鳴り響いた。


 シャッター通りと、閉店の多い商店街を揶揄して呼ばれているが。早朝だと主にシャッターが閉まっているので判りそうにないものだが。意外にずっと閉まっているシャッターとの違いは目に見えて理解出来た。


 今のペースで歩けば駅には7時10分には駅に到着出来ると思った。案の定、私は駅に7時10分に到着した。20分の余裕を考慮して私は正確に行動する事で時間に余裕を生み、それが心に余裕を生むことになり私の人生を豊かにするものだと幼い頃から信じていた。そして私はその余裕の20分間の中で無香料の缶コーヒーを飲みながら駅のベンチでひと息ついた。


 私は缶コーヒーを飲みながら、バッグへ付けている椎茸のキャラクターのキーホルダーを眺めた。これは何気なく付き合い始めた頃にマサトが買ってくれた物だった。私は必ず大切な商談が有る時にはこのキーホルダーを眺める。


 私の中でマサトに出会った事が掛け替えの無い思い出で私にいつも力をくれるからだ。私が缶コーヒーを飲み終えてごみ箱へ缶を捨てると同時に電車は到着した。これより一時間以上は電車に揺られて次の出張先へと向かうので、私は景色の見える窓際の座席へと向かった。二人掛けの並列に並ぶ座席だったので私は少し得をした気分になった。


 特に乗客も多くは無く。私の隣へ座る必要は無い程に座席は空いていた。私はバッグのキーホルダーを眺めながら窓に映る景色に目を向けた。




 ―――小学校四年生の時に私はマサトに恋をした。



 成績はいつもクラスで一番であったが、私はクラスで目立たない存在だった。もし、うちのクラスで成績一番の人は誰?となれば誰も判らない程に私は影が薄かった。それも、私は人と目を合わせると緊張して声が出なくなり、話そうと思えば思うほど喉がつっかえた様になり余計に話せなくなる質だった。


 今でも案件や目的を持った会話であれば話す事は出来るが、自分の気持ちを話そうと思えば何も言えなくなってしまう。


 そんな小学校四年生の私は、友達を作る事も無く教室の隅でずっと一人で教科書を読んだり、本を読んだりして授業が始まるまでの時間を潰していた。たまに机に落書きをしたり。


 一方マサトは人気者でスポーツも得意で、クラスマッチ等ではいつも活躍する姿に自分に無い魅力を持ち合わせた人間に始めて興味を持たされた。私はそんな姿を眺めるばかり。クラスの他の女子達の集り等も見はするが、私にとっては最早関わる事の無い世界の様に写った。ただ本を読んで教科書を見て時間を潰すだけの場所。それが私の中での学校だった。


 そんな時間潰している私にとっていつもと違う日が現れた。この36人居るはずの教室に私と、もう一人。マサトだけしか居ない日が有った。私はこの日を神様のくれた奇跡の日だと思っていた。


 この日はインフルエンザの流行の為に休校になったのだが、通学時間の早い私とマサトは。その連絡網が回ってくる前に登校していたので、その事を知らずに教室にまで辿り着いていたのだ。


「なあ、えーっと...」


「え、え、エリです...み、『水本みずもとエリ』です。」




私は精一杯の気持ちでマサトへ自己紹介したのだ。




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