003.失われた記憶


「あぁそんなお茶だなんていいのに。 ありがとね」

「ぁ……ぁりがとう……ございます……」


 …………さて、どういうことだろう。

 今目の前のベッドに腰掛けているのは昨日も会った銀髪の少女が二人。

 もしかしたら寝ぼけた俺の幻想かと片付けつつあったが、まさか現実での出来事だったとは。


 まるでお人形さんみたいに可愛い少女が二人、こうして俺の部屋にいる、それがどうも現実味の無い話であった。

 もしかして過去の俺は毎日こうして二人を家に上げていたのだろうか。

 なんだか自分といえども記憶のない自分。なぜか称えるよりも許せない心のほうが大きい気がする。


 ……お茶、未開封のが冷蔵庫にあってよかった。ちゃんと期限も大丈夫だったし、そこだけは昔の俺グッジョブ。


「連絡も無しに突然ゴメンね? 退院したって聞いてどうしても様子見たくなっちゃって」

「いや、それはいいけど……」

「……それにしてもあなたの部屋、だいぶ片付いてるのね。男の部屋って初めてだから掃除する気でもいたけど、ちょっと拍子抜けしちゃったわ」

「……えっ?」


 周りを見渡す少女……怜衣の言葉に俺は思わず聞き返してしまう。

 なんて言った?男の部屋が初めて?付き合ってるというのに?


「お、おねぇちゃん」

「あら、なぁに? 溜奈」

「ほら、泉……さんっ!は覚えてないんだから……説明しないと……」

「……あぁ、そうだったわね。 あなた、本当に覚えてないの?私達のことも?」


 彼女の蒼い瞳がこちらを射抜く。

 それは瞼の中で小刻みに揺れており、手は姉妹同士で固く握っている。それはきっと不安という名の感情だろう。

 ……無理もない。付き合っているはずなのに一切合切覚えていないのだから。


 ここで嘘をついて彼女らを安心させることなど造作もないが、きっと直ぐにボロが出る。

 そうして更に深く失望させるくらいなら今真実を伝えたほうが遥かにマシだろう。俺はゆっくりと首を縦に振る。


「…………そう」


 彼女らは小さく言葉を紡いで顔を伏せってしまう。

 そうだよね。今はもう付き合っていたという俺じゃないんだ。


 場には静寂が全てを占める。

 なんて声をかけようかと言葉を探すもなにも浮かんでこない。俺が言ったところで逆効果なだけだ。

 むしろここに居ることすら適さないかもしれない。俺は自分の家にも関わらず貴重品のみを手に部屋を出ようとすると、クイッと服を引っ張られる感覚が。


「いっちゃ……イヤ……です」


 ――――服を掴んでいたのは溜奈さんだった。

 彼女は見下ろす関係で髪の毛に遮られてほとんど目が見えない状態だが、それでもしっかりとこちらを見上げてきていた。


「記憶なくても……大丈夫、なの?」

「~~~~!!」


 恐る恐る問いかけるとブンブンと首を縦に振る。そのお陰でポニーテールが勢いよく暴れているのが目に入って少し頬が緩んだが、すぐに顔を引き締めてもとの位置に戻った。


 そうだよな。彼女らにとっては辛いかもしれないけどまずはしっかりと現状を伝えないと。叩かれるとしてもそこからだ。


「その……知ってるのかもしれないけど、俺は高校入学前から全く記憶がない。 だからその……2人のことも全く…………ごめん…………」

「私は……いい、です。 その……誤魔化さない優しさ、泉……さんっ……同じですから……。 おねぇちゃんも……。ね……?」


 途切れ途切れになりながらも励ましてもう1人の怜衣さんへと視線を移すと、顔をうつむかせる彼女は2、3度大きく深呼吸するかのように肩を上下させる。

 そうして気持ちを落ち着かせたのかゆっくりと顔を上げてその瞼が開いていった。


「……ふぅっ。 ううん、私も大丈夫よ。色々と言いたいことはあるけど……まずは私の知ってることを教えなきゃね。いい?それで」

「うん。……ありがとう」

「よしっ、まず私たちの名前ね。私は星野 怜衣ほしの れいでこっちが――――」

「――――星野 溜奈ほしの るな、です」

「ってことで私達は双子の姉妹よ。私、怜衣が姉ね」


 双子。

 それ自体は少し珍しいがなんらおかしくない。髪や目は珍しい色を二人とも持っているが、目元や雰囲気が違うことから一卵性だろうか。

 そして目元が上がって積極的っぽい怜衣さんのほうが姉と。それはわかりやすい。

 

 星野さん…………なんだったかな、聞き覚えがあるようなないような。

 何処で聞いたんだっけなぁ……俺の記憶は事故以前は無いから、あるとしたら病院かまでの道のりか…………あっ――――。


「星野さん? それって介抱して救急車呼んでくれたっていう……」

「そう……ね、私達だわ。 でも順を追うからその話はもうちょっと後で」

「あ、うん」

「話を戻すと私たち3人は同じクラスで時々話してたのよ。 それで、春休みに入ったタイミングで私たちがあなたに告白して……ね」


 なるほど。付き合ったといえどもこの春休みからだったか。つまり一週間程度しか経っていないと。

 ならば家に上がったことがなくとも不思議じゃ無いだろう。


「……ん? 一個いい?」

「どうぞ?」

「俺、2人と付き合ってるだよね? 告白した時の俺ってその……なんで、アレなのに…………」

「アレ……? 二股みたいってこと?」

「そうそれ!」


 気になったのはその一点だ。

 ここは一夫多妻婚なんて出来る社会ではない。それなのに2人に告白されて両方と付き合うということになるのだろうか。 いくら双子といえども俺が了承するとは…………多分考えにくい。


 …………嫌なわけじゃないんだけどね。ただほら、その……世間体的に?


「えっと……もちろん最初は戸惑ってたけど私たちが無理言ったのよ。 随分と粘って了承してくれた時は本当に嬉しかったわ」

「そっか……」


 そんなことがつい最近あったのか。

 嬉しいような申し訳ないような……。世間体とか無視するとすっごく嬉しい。


 だって通行く人全てが振り向くような美貌に加え、その美しいプラチナブロンドの髪。

 性格自体はまだなんとも言えないが、告白を了承した俺を信じるならばきっと優しい人なのだろう。

 そんな女の子が2人ともなんて!嬉しい以外何の感情を持とうか!!


「それでえっと……介抱の件だったわね。 あの時は私たち3人で初めてのデートだったわ。 告白以来会うからってことで私たちは早めに来てあなたを待ってたのだけれど、その姿が見えた頃には…………」

「事故ってたと」


 怜衣さんはゆっくりと頷く。

 そうか。デート初日、それは随分と俺も浮かれただろう。なのに事故って目が覚めたら綺麗サッパリ忘れたとなれば辛いに決まっている。


「でもま、記憶が無くったってあなたがあなたには変わりないもの。生きていただけで凄く嬉しいわ」

「……ありがとう」


 すぐに顔を上げて明るい笑顔を見せてくれる彼女に、記憶の無い自分のどこかが救われた気がした。

 記憶がなくったって助けてくれる人がいる。そんな過去の自分が誇らしくなると同時に、どうしてそこまでと疑問も浮かんだ。


「なんで俺を好きになったの?」

「…………」

「えっ!?な、なに!?」


 ふとした疑問を投げかけると笑顔から一点、大きな目が半目になりジト目で見られてしまった。

 え、そんなに変なこと言った?


「泉……さん、それはさすがに……デリカシーがない、です」

「え、嘘!?」

「確かに好きになったのは私たちだけどそのきっかけを今言うのは恥ずかしいわ。大したこと無いし……。だから、また今度話すわね」

「そっか……ごめん」


 話したくないのなら仕方ない。これ以上詰め寄っても引かれるだけだし大人しく引き下がろう。

 じゃあ、あと聞きたいことは……。


「ならさ、個室まで用意してくれたって母さんに聞いたんだけど……その領収書とか……」


 俺が退院する頃には『お金は事前に払われてるからいい』と言われた。

 母さんがどうにかしたならそう言って来るはずだし、ありえるなら部屋を用意してくれたと言った彼女たちだろう。

 なかなか懐が痛いが自らの災難なのだから自分で払うしかない。個室の宿泊に加えてMRIだかの検査費用を考えたら中々の額になるはずだ。


「いいのよそれくらい。一泊だったし私たちの手持ちでどうにかなったから」

「でも、さすがに安くはなかったんじゃ…………」

「一人暮らしの苦学生に比べたらなんてこと無いわよ。ほら、幸いにもこっちはお金に余裕があるし」

「でも――――!!」


 俺がなおも食い下がろうとしたところでその言葉が遮られた。

 怜衣さん……と思ったが溜奈さんだった。彼女はそれ以上言わせないよう手をこちらに掲げて首を横にふる。


「大丈夫、です。私たちの家、見ました……よね?」

「家って……そんなの知らないし……」

「ほら、目の前の……おっきぃ家、です」

「っ――――! あの…………!」


 目の前の大きな家。

 そんなの忘れようの無いほど大きな家だった。

 1エーカー程の敷地に向こう側が見えないほどの塀。あの家の住民は誰かと気になってはいたがまさか目の前にいる二人だとは。


「あんまり家のことを持ち出すのは自慢になりそうで嫌なんだけど……そういうことだから気にしなくていいわ」

「それは……。じゃあ、今度菓子折りでも……」

「お菓子…………ううん、それよりも……昨日のデートのやり直し……して欲しい、です」

「デートの……?」


 溜奈さんの提案に二人は大きくうなずく。

 まぁそれくらいなら……。俺も了承の意思を示すと彼女たちはわっと喜んでくれた。


「よかったぁ。じゃあデートは学校始まってからね」

「え? 俺は明日でも明後日でもいいんだけど……」

「いえ、あなたは頭を怪我してるんだからしばらく大人しくしてなさい。始業式前日にお医者様にかかるのでしょう?それで大丈夫ならまた考えましょ?」


 ぐうの音も出ない正論。

 いくら今平気でもデート中に倒れてしまったらそれこそ心配させるし怒られるだろう。

 その言葉に従うと、彼女たちは「よしっ!」と声を上げる。


「それじゃ、もうだいぶ暗いし私たちは帰るわね。 すぐ目の前だけど」

「あ、うん。 おやすみ……」

「おやすみなさい……っ! 泉……さんっ!」

「またね。 お大事にね?」


 そう言ってドアを空けると暗い空から冷たい風が室内に舞い込んでくる。

 彼女たちが居なくなって1人きりになった部屋、俺は未だに2人が彼女だと信じきれないでいた――――。

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