今年16歳になる幼馴染が婚姻届を持って僕の隣に引っ越してきた件~来年から結婚できる年齢が変わるからって慌てないでください~

白石 幸知

第1話 今年で結婚できる年齢になるので、悠乃くんと結婚しに来ましたっ

「あの……えっと……こ、これは?」

「はい、婚姻届ですっ。あとは悠乃はるのくんが、ここに名前を書いてくれたらそれで完成ですっ」


 一般的な引っ越しの挨拶に持ってくるお品物と言えば、無難なところでタオルとかだと思う。けど、ご近所付き合いが減ってきている最近において、わざわざ引っ越しの挨拶に来る人は、かれこれこのアパートに一年住んでいるけど、ひとりもいなかった。まあ、かくいう僕も、去年引っ越してきたとき、挨拶しなかったけども。


「……いや、そ、そういうことを聞いているんじゃなくて……」

「あっ、まだ十六歳じゃないから結婚できないじゃないかってことですねっ。大丈夫です、ちゃんと七月の誕生日を迎えてから区役所に提出するので」

 ただ、引っ越しの挨拶で自分の名前を記入した婚姻届を持ってくる人は初めて見た。っていうか聞いたこともないし、今後もないと思いたい。


「あ、あと遅れました、これ、お母さんが悠乃くんにって。これからお世話になるからよろしくねって言ってました」

 しかも普通のお土産もあるんですね。ご丁寧に、地元銘菓の菓子折りまで用意していただいて。


「あ、は、はい、こ、こちらこそ……。そ、それで……。なんで東京に来てるの? 伊吹いぶき

「はいっ。今年で結婚できる年齢になるので、悠乃くんと結婚しに来ましたっ」


 僕の部屋の玄関先、進学先の高校の制服のタイとスカートを揺らして、目の前に立つ彼女──松江まつえ伊吹いぶき──はそう言って朗らかに微笑んだ。


 サラサラとした艶らかな黒色の髪は、水色のシュシュでポニーテールにまとめられていて、僕が高校を卒業してから一年間見ることのなかった、雪みたいに白い肌にふんわりと浮かぶように微かにピンク色に染まっている頬と、楕円形の透き通った瞳。小さく整った顔立ちは相変わらずで、そして、


「だって、私が幼稚園のときに約束しましたもんね。結婚できる年になったら、悠乃くんと結婚するって。ほら、これ、覚えてますか? そのとき私が書いた、『はるにいとけっこんするとどけ』」

 四つ年の離れた幼馴染の僕にベッタリなのも今も変わらずで。


「……お、覚えているけど、覚えているけどさ……? え、ええ?」

「悠乃くんのいいお嫁さんになるために、私、色々と頑張ってきたんです。お料理も掃除も、他にも、悠乃くんが満足してくれるようにって……」


 いや、ね? めちゃくちゃいじらしくモジモジと両手の人差し指をつんつんとさせて話しているところ悪いんだけどね?

 世のなか、ほぼ守られることのない約束ってものがあると思うんだ、僕。


 ひとつは行けたら行く。これ絶対行かない。なんだったら約束にカウントするのもいけないまであると思う。


 ふたつめは将来はプロ野球(サッカー)選手になる。何故か知らないけど大抵の男子小学生はそんな夢を描くけど、僕の周りでそれを叶えそうな奴はひとりもいない。ガチで野球やってる奴もこの間の成人式で会ったらパチンコに堕ちてたし。


 それで、三つ目がこの大きくなったら結婚する、の類だ。いや、それ自体を否定するつもりはないよ、人間いつだって誰かを好きになってしまう生き物だからさ、結婚するとかそういう約束定番だっていうのは理解できるよ。


 でも……、まさかそれを本当に叶えるとは思わないじゃん……。今伊吹が持ってる「けっこんするとどけ」も、書いたのは伊吹が五歳のとき。つまり僕は十歳のとき、ってことになるんだけど、まさか十年後の春、こんなことになると思わないしさ……。


「……そ、その……夜のほうも、悠乃くんのために……い、色々と……」

 ちょっと待ってそれどういう意味かな。年長者として年下の暴走は止めないといけないしたった今伊吹のお母さんによろしくお願いされた立場なんだいきなり変なこと言いださないで貰えるかなあうん。


「ごめんわかった、わかったから、とりあえず今日のところは一度帰らない? そうしない? そうしよう? 僕も色々ちょっと考えたいことがあるからさ」

「えっ、でっ、でも、せっかくだし悠乃くんのお部屋綺麗にするつもりで──」


「学校終わりで疲れてるでしょ? そこまで気回さなくていいからさ、うん。ね? ね?」

「──う、うう……。そ、そこまで悠乃くんが言うんだったら……わ、わかりました。とりあえず今は帰ります」

 僕がそう言うと、伊吹は少しだけ悲しそうな表情を浮かべては、名残惜しそうにチラチラと後ろを振り返りつつ隣の部屋のドアの鍵を開けていた。


 ……本当にお隣に引っ越してきたんですね。

「それじゃあ、お邪魔しました、悠乃くん」

 別れ際、閉まりかけたドアの隙間から顔を覗かせて、伊吹はそう口にしてガチャリと扉を閉じた。


「はぁ……。これから、どうなるんだろ……僕」

 僕も、それに合わせて玄関を閉めて、部屋に戻ってベッドに寝転がる。


 石原いさ悠乃はるの、十九歳。大学二年の春。

 地元を出て東京の大学に進学し、ひとり暮らしを悠々としていたのだけど、隣に幼馴染が僕を追って引っ越してきたんですけど、これ、夢とかじゃないんだよね?

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