終幕-3

 熾人と呼ばれた少年は、一度、沙珱の方を振り返った。正確にはその背後にいる竜秋を見たようだった。少女めいた容貌の少年、その目が、竜秋を見て感極まったように揺れる。単なる喜びとも安堵とも名をつけるべきではない、それはとても、筆舌に尽くしがたい表情だった。


 熾人は振り返って、同級の雷使いを一瞬、剣呑な目つきで睨むと――後頭部に片手を回して、えへへっと笑った。


「ごめん、手が滑った」


 長い沈黙が、両者の間を流れる。やがて孔鳴こうめいが無言で手を振りかざすと、再び沙珱の頭上に、稲光を凝縮したような球体が顕現した。――きちんとできあがる前に、熾人が炎を飛ばして壊してしまったが。


「……」


 無言でもう一度雷球をつくる。間髪入れずに壊される。つくる、壊す、つくる、壊す――ついに孔鳴が爆発した。


「おい、いい加減にしろ!」


「ごめんごめん、ちょっと連続で手が……」


「滑るかぁ!」


 絶叫しつつ、目つきを変えて二本指を揃え、銃口のように熾人へ突きつける。


「鬼が特定の参加者を守り始めたら、ゲームにならないだろ。邪魔するならお前から先に片付ける」


「ルール説明を聞いた限り、鬼の行動に特別な制約はなかったよ」


 言って熾人も、炎の翼を大きく広げた。大量の火の粉が舞い散って、荘厳な火の雨を降らす。


「それにこのままじゃ、あっという間にゲームが終わるよ。なにせ主席の君がいるんだから。一人くらい、参加者の味方をする鬼がいた方が面白いと思わない?」


「別にボクは、一向に構わないけどね。お前とは一度やり合ってみたいと思ってたし。主席だ次席だ言われても、直接戦って優劣を決めたわけじゃない」


 竜虎りゅうこ相搏あいうつというが、もはや、神々の喧嘩のようだった。かたや雷を纏い、かたや火炎を纏い、睨み合う一触即発の空気。――その戦いは、始まる前に結末を迎えてしまった。



 校内大会の最中に、死人が出たからだ。



 それは、あまりに突然のことだった。


 熾人に向け指を伸ばし、おびただしい電流に身を包んで、雷の化身とでも言えるような荘厳な姿に変貌した孔鳴の、"のど元にいきなり穴が空いた"。


 そう大きな穴ではない。厚さ数ミリ、長さ五センチ程度の、縦に細長い、喩えるなら――刃物を突き刺したような穴。それが真っ直ぐ彼の喉仏を貫いた途端、孔鳴に異変が起きた。


 病的に目を見開き、両手で首を押さえて苦しみながら、辛抱たまらず膝を折る。異能バベルは解除され、生身の姿に戻った孔鳴は、壮絶にひん剥いた眼球であたりをぐるぐる見回して、最後には沙珱や熾人を凝視しつつ、いくらか痙攣して、事切れた。


 沙珱は最初、この炎翼えんよくの少年がなにかやったのだと思った。しかし熾人のうろたえようを見て、すぐにそれは違うと分かった。ならば、いったい誰が、どこから彼に攻撃を。先ほど孔鳴がやったように、二人してあたりをぐるぐる見回す。そのときだった。


「ぐぁ……ッ!?」


 今度は、熾人が同じように首元をおさえてうずくまった。もがき苦しむ彼の体から、金色の炎が二度、三度噴出するも、すぐに水をかけられたように鎮火してしまう。間もなく熾人も動かくなり、沙珱は一人、呆然とその場に立ち尽くした。



『緊急事態発生、緊急事態発生。すべての活動を中止してください。仮想空間内の生徒の皆さんは、一斉に強制ログアウトされます』



 けたたましいサイレンと共に、降り注ぐ口早のアナウンス。黒沼の声であった。表向き平静を装っているものの、焦燥と動揺が隠しきれていない。


 直後、沙珱の体が青白い光に包まれた。竜秋と倒れている松クラスの二人も一緒に。なに一つ状況を飲み込めぬまま、ふわっ、と意識が遠のいていく。




「――あ! 起きた! みんな、沙珱ちゃんが起きたよ!」


「………………ん」


 次に目を開けたとき、沙珱は長い夢から覚めたような感覚に戸惑った。鬱蒼とした樹海の緑、風と土の匂いは消え失せて。柔らかい材質の座席に深く腰かけている。頭をすっぽり包む黒いヘルメット。……そうだった。ずっと仮想世界にいたんだった。


 少し狭まったヘルメット越しの視界に、ぎゅうぎゅう押し合いながら沙珱を覗き込む少年少女たちの顔が映る。ひばり。ヒュー。小町。閃。幸永。一査。恋。爽司。仮想のものとはいえ、一度死別した仲間たちの元気な顔――うっかり泣きそうになって、慌てて歯を食いしばった。


 頭の《DIVER》を慎重に外すと、なんだか肩の力が抜けて、沙珱は小さく息を吐いた。帰ってきたのだ。校内大会開始当初は薄暗かった講堂ホールには、今はオレンジ色の照明が点灯していた。何やらがやがやと騒がしい。


「おいおい、たっつんがまだ目覚めねえよ! 《DIVER》はログアウト状態になってんのに!」


「沙珱ちゃん! 大変なことになってるの……!」


 半泣きで抱きついてきたひばりに、沙珱はどぎまぎしながら尋ねた。


「どうしたの、いったい……」


 ひばりを遠慮がちに抱いたまま立ち上がって、目線の高さが上がると、前の座席に隠れていた向こう側が広く見渡せた。それでようやく、騒ぎに気づいた。五つほど前列の座席の一角に、人だかりができているのだ。


 あのあたりは松クラスの座る列だ。三十人以上もの群衆に囲まれて、座り込んだまま動かない二人の生徒を、養護教諭の赤羽ら数名の教師が決死の形相で介抱している。


 後方のこちら側からは、角度的によく見えない。ぐいっと身を乗り出して、目を凝らして――呼吸が止まりかけた。


 金髪ブロンドのパーマヘアの少年と、黒髪の少年。つい先ほど接触した松クラスの生徒二人。神谷孔鳴といぬい熾人。


 その二人が、座席に深く座ったまま、首から大量の血を流して――死んでいる。


 講堂ホールはパニック状態だった。既にこの場所で目を覚ましており、沙珱たちよりは状況に多少詳しい脱落組が、今しがた強制ログアウトされて目を覚ました生徒たちに殺到して、口々にこの事態を説明して、騒ぎが、恐慌が伝染していく。


『落ち着いてください! 生徒の皆さんは自分の座席に座って! 絶対にこの部屋から出ないでください! 落ち着いて……』


 ステージに立つ黒沼の声も、生徒たちを落ち着かせるには至らない。もう思い切り張り上げなければすぐ目の前のひばりにすら声が届かないくらいにあちこちで大声が飛び交って、講堂ホールは収集がつかなくなっていた。



「――うるせーよ」



 全ての音が、消えた。


 沙珱は、己の聴力が失われたのかと疑った。それくらいの静寂、凪が、講堂ホールの時さえ止めてしまった。全員が同じように驚き、反射的に閉口する。


 なに、何が起きたの。口に出して、いよいよ驚愕した。"声が、音にならない"のだ。いま自分は確かに喋ったはずなのに、音が鼓膜を震わせない。完璧な無音空間。心がざわつくほどの静寂の中で、一人の男の澄んだ美声だけが、神の御言葉みことばのように反響する。


「黙れって言ってんだよ。塔伐者候補生ともあろう奴らが、軒並み烏合の衆ですか? さっさと座れ、クソガキども。仲間が死んでんだぞ」


 ステージにいつの間にか現れ、黒沼の前の大きな演台に座って長い脚をぶら下げ、珍しく剣呑な顔つきでそう言い放ったのは、桜色の髪の美青年だった。


 佐倉先生!? と爽司の口が動いたが、やはり音にはならない。


「この講堂ホール全体の"空気"を、振動しないように【施錠ロック】した。俺の声以外のあらゆる音は、音にならない。こうまでしないと黙れないなんて、やっぱ中坊レベルだね、お前ら」

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