ワースト・クラス-1

 林の中にありながら、教室から一歩外に出れば、木々を切り拓いたように平らな庭が広がっている。その一角を天然の闘技場と見なして、竜秋は担任の佐倉と向かい合っていた。


「いきなりなにやってんだよ〜、たっつん……」


 竜秋と佐倉を遠巻きから見守る生徒たちの中から、爽司の心配げな声が届く。軽く屈伸し、拳を打ち鳴らした竜秋の正面、五メートルほど離れた位置に、自然体で立った佐倉が笑っている。


「決闘、ってことでいいんだよね」


「お前みたいなゴミ教師に何かを教わりたくて、俺はココに来たわけじゃない。俺が勝ったら、さっさと俺を松クラスへ転入させろ」


「うん、オッケー」


 軽はずみな了承。「やってみなよ、無理だから」と、その軽薄な笑顔に書いてある。竜秋のこめかみに浮かんだ青筋が、ピキピキ音を立てた。


「なんなら、全員でかかってきたら?」


「ほざけ。俺一人で――十分だ」


 その言葉尻を吐き捨てる瞬間、既に竜秋は佐倉の目の前にいた。


「っ!?」


 爆風。竜秋が蹴った地面に、盛大な靴跡が刻まれる。全てのオーディエンスの目を置き去りに、竜秋は一歩で五メートルの間合いを食い尽くした。


「オッ――ラァッ!!!」


 体を独楽こまのように旋回させた竜秋の、渾身の上段蹴りが炸裂する。ミシッ、と軋むような硬い手応えに、獣じみた目が見開く。



「――えぐいなぁ、身体能力」



 竜秋の蹴りを苦もなく受け止めて、佐倉は笑っていた。こめかみを狙った爪先が、寸前で差し挟まれた右腕によって完璧に防がれている。


「チィッ!!」


 空中で身を翻し、返す刀で右足を繰り出す。破裂するような轟音を上げてまたも防がれる。跳ね返って一度着地し、再び猛攻を仕掛けるも、依然として佐倉の胸を貸すような態度は変わらない。


 人の枠を超えた戦いを呆然と見つめる生徒たちの輪の中で、一際背の低い少年が不意に口を開いた。


「おれ、おれ! あいつと試験おんなじグループだったんだ! 目立ってたから覚えてる、異能バベルなしのパンチングマシーンで軽く二トン超えてたぜ!」


「二トン!!?」


 驚愕する何人かを侮るように、一人の少年が眼鏡を持ち上げてかぶりを振った。


浅学せんがくだな君たち。巽竜秋といえば武術大会二十五連覇の神童だぞ、同期の有望株くらいチェックしておきたまえ。当然この学校に来ているものとは思っていたが……なぜ彼がワースト10なのか、はなはだ疑問だね」


「ほぇ〜、たっつんって有名人だったのかぁ。あんた物知りだなぁ! 名前教えて! オレは常磐爽司! あっ、連絡先交換しとく?」


「な、なんだ君は、いきなり」


 爽司にグイグイ迫られて、鉄面皮に思われた少年の眼鏡がズレる。


「もーっ、静かにして! 今イケメンとイケメンが戦ってるんだから!」


 最前列で食い入るように身を乗り出して観戦していたピンク髪の少女が、頬を膨らませて爽司たちを一喝する。


 彼女の言うとおり、依然、激闘は続いていた。


「いい戦闘センスだ、学生にしちゃ頭抜けてる。異能バベルなしで戦ったとしたら、俺と鬼瓦サン以外の教師には勝てるかもね」


 うそぶく桜髪のウィンクに、竜秋の目が血走る。


「クソが……ッ!!」


 繰り出す拳と蹴りをことごとくかわされ、いなされ、受け止められて、頭に血が上った竜秋は大振りを選ばされた。タメの大きい回し蹴りの挙動に入った瞬間、踏み込んだ佐倉の掌底が鳩尾みぞおちにクリーンヒットする。


「ぐぉ……ッ!!?」


 めり込んでくる手のひらに、内蔵が潰される。苦悶の声を唾液とともに吐き出し、竜秋は数メートルも吹き飛ばされた。雑草の生えた砂地をゴロゴロ転がって、新品の制服を砂だらけにしてうずくまる。あーんっ、と金髪少女が悲しんでいるのか喜んでいるのか分からない嬌声きょうせいを上げた。


「うん。巽竜秋、おとめ座のB型。身体能力◎。しかーし、協調性×、社交性×、冷静さも×。何よりも、異能バベルが使えないのは論外。赤点だぜ、少年」


 苛立ちでおこりのように震えながら立ち上がる竜秋に、先ほどの教師の発言を聞き過ごすことができなかった生徒たちの視線が一斉に集まる。


異能バベルが、使えない……?」


「どういうことだ、それは……?」


「えーっ、待って、おとめ座!? あたしと相性バッチリじゃーん!!」


 動揺する生徒たちを一瞥して、佐倉は戦闘態勢を解く。


「隠し通せるもんでもない、言って構わなかったろ?」


「あぁ……手間が省けて、助かったぜ……」


 よろりと立ち上がり、鋭く地面につばを吐いて、剣呑な眼差しで睨む竜秋に、佐倉は愉快げに口元を緩める。


胆力たんりょく◎。塔伐者候補生としては落第だけど、人間としては、嫌いじゃないよ、お前のこと」


「俺を知ったふうに、言うんじゃねえ……!」


 懲りずに突っ込もうとする竜秋に、たまらず爽司が待ったをかける。


「もうやめとけって、たっつん!」


「黙ってみてろ」目もくれずに一蹴して、竜秋は呟いた。


「――ちゃんと、"修正"する」



 空気が変わった。鋭く息を吐いた竜秋から、迸るような殺気が消失する。


「お」


 佐倉は蒼い目をかすかに見開いた。静かな構えだ。あれほど燃え滾るようだった闘志が、凪いだ。そのまま鋭い目つきで、ずんずん距離を詰めてくる。


「ずいぶん無造作に、間合いに入ってくるね!」


 竜秋が間合いを侵した刹那、佐倉の長い脚が鞭のように疾走はしった。不可避のタイミングで放った足払い――が、空を切る。


「あれっ」


「――ラァッ!!」


 両足を揃えた竜秋の蹴りが胴を撃ち抜く。寸前でガードした佐倉だが、ダンプカーの直撃を受けたような威力に、たまらず土を削って後方へ飛ばされる。


「関係ねぇんだ、俺より多少強い相手だろうとなァ……――今ここで、お前を超えるだけだからよ」


 気合一声、追撃するべく猛接近する竜秋に、吹き飛ばされながら佐倉は迎撃体勢をとった。直線的な軌道で突っ込む竜秋が、二メートル手前で踏み切って、跳躍。旋風つむじかぜが低空を吹き荒れる。


 飛び蹴りの挙動、竜秋の右膝が僅かに上がる。これはフェイントだ。釣られることなく目線を切る。本命は、左の下段蹴り――


「――死ね」


 空中で身をよじった竜秋の左足が高速で閃いた刹那、衝撃音が"三重に重なった"。


「……っ!?」


 頬に鋭い痛みを感じて、佐倉は真横へ蹴り飛ばされた。久方ぶりの痛みに、一瞬言葉を忘れる。


 何をされたのかは、佐倉にも見えた。左足で、下段、中段、上段の順に"三連続"で蹴られたのだ。


 ただしあまりに速すぎて、"同時に三か所蹴られた"ように感じた。だから二本の腕では、三発目の上段を防げなかった。


「当たった!?」生徒たちが驚愕の声を漏らす。吹き飛ばされながら地面に手をつき、くるりと後転して体勢を立て直した佐倉は、切れた口の端を指でさすった。


「……驚いたな、今の技。誰に教わった?」


「俺のオリジナルだ」


「へぇ、すごい練度だ。相当練習したんだろ」


「なんだそりゃ、嫌味か? "今考えた技"だ、文句あるか」


 真顔で言い放った竜秋に、今度こそ言葉を失った。


「はは……その心意気には花丸をやるよ、たつみ。お前ってプライドの塊に見えるけど、それでいて、自分の失敗や相手の実力を認めることには躊躇ちゅうちょがない。面白いな」


「別に、矛盾しねぇだろ」


 竜秋はわずらわしそうに佐倉を睨んだ。


「負けるたびに修正すんのは、『俺なら勝つだろ』って思うからだ」


 あぁ、本当に――"お前を取って正解だった"。佐倉はかすかに口角を上げた。


 無能力者の身で塔伐者を志し、塔棲生物に異能バベル以外の攻撃が無効と知れば、それに代わる武器を自ら開発すると言ってのけるような男だ。この少年は、よく分かっている。


 不可能を可能にするために、変えるべきは"自分"ではなく"手段"であると。


 だから、長年磨いてきたかただろうと簡単に捨てて、どんどん新しいことを試してくる。その、変化を恐れない心が、異常な速度で彼を成長させる。戦いの最中さなかでさえ――


「ボーッとしてんじゃねえ」


 視界から消えた竜秋の低い声が、頭上から降り注ぐ。佐倉が見上げたときには、もう彼のかかとが脳天に落ちてくる瞬間だった。



「――【施錠ロック】」



 和太鼓を打ち鳴らしたような爆音が、轟く。岩をも砕きそうな踵落としが――頭上を笑顔で見上げる佐倉のひたいスレスレで、見えない壁に受け止められたみたいに、ピタリと止まっていた。


「なぁ……っ!?」


「じゃあこっからは、異能バベルアリでやろうか。問題児」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る