第10話 3-3

 目を開けるとまぶしい青空で、耳元で波の音が聞こえた。

 僕は波打ち際に横になっていた。

 どうやら、流されたようだ。

 ゆっくりと身を起こす。


「おはようさん、若いの……」

 振り返ると、大きな石の上に一人の老人があぐらをかいていた。

 老人は貧弱な身体で、白髪のボサボサとした長い髪に、長髭。

 そして、ボロ衣。浮浪者みたいな格好をしている。


「あ、あの、ここは?」

「ここか、儂にも分からんわい……無人島には間違いないと思うが、まあ、あの衝撃から助かったのだから奇跡じゃな」

「そうだ! 海峡は、みんなは、くるみはどうなったんだ!」

 老人は首を横に振った。


「残念じゃが、あの光りに当たったら、助かっとらんな」

 僕はうなだれて、地面に膝をついた。

「……んな……そんなバカなことあってたまるか!」

 僕は思いっきり、砂を叩いた。


「だって、そうだろ! あ、あの、くるみが死んだって言うのか? 嘘だろ? いつも僕に可愛い笑顔を見せてくれるくるみが……。まだ、九歳なんだぞ! ふざけるな!」

 僕は名も知らない老人に、どうしようもない怒りをぶちまけた。

 老人は黙って僕の話に耳を傾けている。


「あいつだ……あの化け物が、僕のくるみを」

 唇を噛みしめる。

「……殺してやる……殺してやるぞ! 一生かけても殺してやる。必ず、自分の手で息の根を止めてやるからな!」

 僕の中にはもう、化け物に対する憎しみと復讐という言葉しか残っていなかった。

 それだけが今、僕を支えている。

 この憎しみを忘れれば、もう立っている事も出来そうにない。


 僕が怒りで身を震わせていると、老人が石から下りて立ち上がった。


「ふう……な~んで、儂んとこだけ、こんな奴が集まるかな……。よかろう、お前さんに選択を与えてやる。二つに一つだ」

「え……」

「だから、その化け物を殺したいのだろう? それを生身の人間が出来ると思うか? 無理無理」

「あんたは知っているのか……」

 ため息をついたあと、僕の目をしっかり見つめた。


 老人の目には計り知れない邪悪な闇が映っていた。

 僕はその恐ろしい目を見て、背中をブルッと震わせた。


「簡単なことじゃ……化け物を倒す方法はただ、一つ……自分自身が化け物になればいい」

 老人は僕から目を離さない。

 しっかりと見つめている。僕を試しているようにも見える。

「どうする? 儂は、拒みはしない。お前さんが望むなら、その化け物になれる方法を教えてやろう」

 僕は一瞬ためらった。

 だが頭の中にくるみの笑顔が浮ぶと、憎しみが僕をかりたてた。

「やります! 僕に教えてください。化け物になる方法を!」

「そうか……」

 老人は少し悲しそうな顔をして、僕の肩を優しく叩いた。

 それが老人に出来る精一杯の慰めだったのかもしれない……。



 厳しい修行の毎日だった。

 午前は無人島を百周は走り、午後は武術、符術、気術の基本練習。

 師匠に与えられた修行が終わっても、自分から進んで修行を絶えず続けた。


 朝から晩までつらい修行の連続。

 でも、修行をしている間は、くるみのことを思い出すことも、悲しむこともなかった。


 僕の師匠となった老人は樹・葉喰じゅ・ばくらい先生。

 元々、海峡の近くにあった丘の上で静かに暮らしていた仙人様だったのだが、この前の化け物の光りで住む所がなくなったそうだ。

 師匠の御歳はだいたい、五百歳くらいと聞いた。

 暗黒術、月花流げっかりゅうの六代目にして、たった一人の師範である。


「青山よ。儂が教える月花流は暗黒術、正道から外れた邪道にあたるものじゃ。言わば、はぐれもんだ。月花流の元祖は五星流にあった。五星流とは、土、水、炎、陽、そして陰。この五つの力を己の身体にのせることによって、初めて強大な力を使えるようになるのだ。じゃが……月花流は陰、闇の部分だけしか使わぬ。よって使う者自身が呪われていき、朽ち果てる。さて、お前さんはどうなるのかの?」


 

 僕は鍛練を続け、次第にいくつかの術も使えるようになった。

 そこで、僕は師匠に訊ねてみた。

「先生、僕は奴に、あの化け物に勝てるでしょうか?」

 師匠は何も入っていないキセルを銜えて言った。

「まあ、無理じゃろうな」

 師匠の言葉を聞いて、愕然とした。


「そ、そんな!」

「そう恐い顔をするな……。お前さんはこの半年ほど、真面目に儂の修行をこなしてきたし、術もいくつか使えるようになった。じゃが、はっきり言ってお前にはジンが足りん。いや、これは生まれつきのものじゃ。素質じゃよ。じゃから、いくらお前が頑張っても限界があるだろう。その限界があの化け物の力を超えていればいいのじゃが……もちろん、儂は最後までみっちり教えるがな。どうじゃ? 今からでも遅くないぞ。修行をやめんか?」


 師匠の話を聞いて、少し落ち込んだけど、それでも修行をやめる気はなかった。

 僕の頭には今でも、くるみの笑顔が焼きついている。


 あの化け物を殺さなければ、僕は死ねない……。

 鬼になってでも、奴を、あの真っ黒な巨人を殺さなければ。

 だから、僕は何としてでも、月花流の力が必要だった。


 くるみ、見ていてくれ。

 お兄ちゃん、必ず仇をとってやるからな。


「先生、僕に精が足りないと言うのなら、修行の量を二倍、いや三倍の量にしてください」

 僕がそう言うと、師匠は頭を左右に振って、ため息をついた。

「バカもんが……」



 そんなことがあってから、更に四ヶ月が経った。

 僕は師匠から月花流の全てを教わり、どうにか自分のものにすることが出来た。

 島を出る支度をしていると、師匠が別れのあいさつに来た。


「先生、本当にありがとうございました。このご恩は決して……」

 僕がそう言い掛けると、師匠がとめさせた。

「あ~、やめんか、やめんか。虫唾が走るわい。それより、これは餞別だ。持って行け」

 師匠から渡されたのは黒いスーツだった。

 喪服と言うのが正確かもしれない。


「まあ、縁起の悪い色ではあるが、夜の戦いも多くなるだろうし、それに通気性もいいしな」

 僕は師匠に対して、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます! 先生」

「だ~、もう、やめろっちゅうに!」

 師匠は信じられないよう事に顔を赤くして、そっぽを向いた。


「それから付け足すようだが、お前さんは今日から、月花流、八十九代目を名乗るがよい」

「な、何故です? なぜ、僕のような未熟者が……」

 そう言うと、師匠は僅かに目を潤ませた。

「月花流は本当に呪われた流派なんじゃよ。儂の所へ来て修行する者達はお前さんのような仇やら復讐やらを生きがいにしとる。儂はつくづく、迷う。お前さんがたに化け物を倒す術を教えても、皆、いずれは見知らぬ土地で敵討ちもできないまま、朽ち果てていく。果たして、それが本当に幸せなのかどうか……。じゃが、お前さん達は放っておけば自殺をしかねん。かと言って、術を教えれば、早死にするしな……じゃから、儂は術を教えた者には必ず、月花流の名を与えているんじゃ。その人間が生きていたということ証明するためにな」


 師匠は僕の目を見つめ直して言った。

「青山よ、一つだけ言っておきたいことがある……決して、命の安売りのようなことはしないでくれ。ワシはお前のような人間に幾度も出会い、別れた。そして誰一人として、二度会うことはなかった……」

 気がつくと、師匠の目には涙が浮んでいた。

 師匠は僕の目をしっかり見つめて、一番最初に出会った日のように肩を優しく叩いてくれた。


青山 翔太あおやま しょうた! お前が今日から月花流、八十九代目だ」

「……先生」

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