第112話

 それから僕は少し仕事をした。

 

 

 里見がしてって言ったから。

 

 

 だから少しだけ、途中になっいたページの続きを描いた。

 

 




 里見は僕を見ているようだった。

 

 

 時々棚の天球儀を動かしながら、飽きることなく僕を見ているようだった。

 

 

 そして僕は、僕を見ているだろう里見を見るのがこわくて、描くことに集中しているフリをして見なかった。






 きっと里見は、とても幸せそうな顔をしている。



 嬉しそうに笑みを浮かべて僕を見ている。






 ひとつまたやりたかったことをやって、ひとつ、心残りを減らして、里見は。

 





 ………またひとつ、一歩、死へと、心を向けるんだ。











 夕飯はカレーうどん。

 

 

 すぐにできるからと、日が沈んで少しして、食べるより先に美浜公園に行った。

 

 

 昼間暑かった分、日のない夜は寒く感じた。

 

 

 

 

 

 里見は大丈夫なのか。体調は。

 

 

 

 

 

 そういうことを口にしない里見が気になって、心配で、空を見上げる里見を僕は盗み見た。

 

 

 いつもと変わらないように見えては、いる。



 でも僕には、実際どの程度大丈夫なのかは分からない。どれぐらい以前と違うのか。

 

 




 最初に里見が薬を飲んでいるのを見た僕を見て、里見は何か感じたのだろう。

 

 

 僕がそれを見たのは、里見が薬を飲むところを見たのは、その最初の1回だけだった。

 

 

 飲んでいないのではなく、里見は僕に見せないように飲んでいる。

 

 

 

 

 

 ありがたかった。

 

 

 僕は、見たくない、から。

 

 

 でも、見ないから、見ていないから『ない』もの、『なくなった』ものではない。

 

 

 『ある』。

 

 

  病気は、死は。






 そこに。里見、に。

 

 

 

 

 

「書けた?」

「書けた」

「じゃあ行こう」

「もう?少し散歩でもしようと思ったけど」

 

 

 

 

 

 里見がしたいなら、散歩はするべきなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 一瞬悩んで。

 

 

 

 

 

「寒い」

 

 

 

 

 

 お前の身体が心配だから帰ろう、とは、言えなかったし、言いたくなかった。

 

 

 だから、一言だけ。

 

 

 

 

 

「寒い?」

「寒い。あったまりたい。コーヒー飲みたい。カレーうどん食べたい」

「………お前」

 

 

 

 

 

 くすくすくす。

 

 

 

 

 

 里見が笑う。

 

 

 しょうがないやつだなって、笑う。

 

 

 

 

 

「明日あったかかったらしてあげるから帰ろ」

「してあげるかよ」

「してあげるだよ」

 

 

 

 

 

 行こうって、僕は里見に手を差し出した。

 

 

 

 

 

 早く。早く早く早く。

 

 

 

 

 

 里見を見ると、里見の内側の病気を、死を見ると、不安になる。不安が大きくなる。

 

 

 真冬のような寒さではない。少し散歩したって少し寒いぐらい。なのに。

 

 

 

 

 

 早く。

 

 

 里見の体温を奪わないで。里見からぬくもりを奪わないで。里見から命を、その残り時間を。

 

 

 

 

 

 なんて。

 

 

 

 

 

 里見の手が、僕の差し出した手に触れる。

 

 

 やっぱり冷たくて、いつもより冷たくて、僕は里見を引っ張って、車に向かった。

 

 

 

 

 

「そんなに寒い?」

「そんなに寒い。あ、里見。教えてあげるからコーヒーいれてよ」

「………え?」

「僕、里見がいれてくれたコーヒー飲みたい」

 

 

 

 

 

 僕の言葉に。

 

 

 里見の繋いでいた手が、指が、位置を変えた。

 

 

 

 

 

 恋人繋ぎ。

 

 

 

 

 

 絡められた指。

 

 

 ぎゅっと握られて、僕もぎゅっと、握った。

 

 

 

 

 

「お前ってそんなだったっけ?」

「何が?」

「雑で上から目線のくせに、時々かわいいこと言う」

 

 

 

 

 

 くすくすくす。

 

 

 くすくすくす。

 

 

 

 

 

「そう思う俺も俺だな」

 

 

 

 

 

 隣で。すぐ隣で。

 

 

 里見が笑う姿を見て思う。願う。

 

 

 

 

 

 その笑いが、笑みが、僕との時間を終えた後も続くように。続きますように。

 

 

 

 

 

 里見。

 

 

 お前の家で、お前を待ってる人がいる。

 

 

 お前の側で、お前を想ってる人がいる。

 

 

 



 僕との有限の今を見るのではなく、里見。そこを。ずっとあって、これからもずっとある今を見て欲しい。

 

 




 ふと。

 

 

 そんなことを思いながら、願いながらふと後ろを見た。何となく、視線をやった。

 

 

 

 

 

 少し離れたそこに、何故か、七星が居た。

 

 

 七星が、僕と里見を見ていた。手を繋いで歩いているところを。

 

 

 足元には豆太。

 

 

 

 

 

 豆太の散歩に来てたの、七星。

 

 

 

 

 

 行きたい。

 

 

 七星のところに行きたい。走って行きたい。

 

 

 七星に抱き締めてもらいたい。豆太を抱っこしたい。

 

 

 

 

 

 でも。

 

 

 でも、僕は。

 

 

 

 

 

 繋いでいない方の手で、僕は胸元の小さな天球儀を握った。

 

 

 

 

 

 そしてそのまま、気づかず歩く里見と車に歩いた。

 

 

 

 

 

 土曜日まで。

 

 

 土曜日までは、僕は、七星の僕じゃない。

 

 

 土曜日までは。僕は。

 

 

 

 

 

 もう一度振り向いた僕を、やっぱり七星は見ていた。そして、昨日と同じように、僕に向かって小さくガッツポーズをしてくれた。

 

 

 頑張れって、聞こえた気がした。待ってるって。

 

 

 

 


 七星。



 ………七星。


 




 涙が滲んで、視界が揺れた。

 

 

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