第104話

 電気を消した居間。

 

 

 布団は並べて敷いた。

 

 

 でも、ごく自然に、ごく不自然に、布団と布団の間が30センチほどあいていた。

 

 

 

 

 

 以前なら、こんな間をあけることなく布団は敷かれただろう。敷いただろう。

 

 

 すぐ横に隙間なく並べて、並べたのにひとつの布団しか使わなかっただろう。

 

 

 

 

 

 おやすみって言って、おやすみって聞いて、僕は目を閉じた。

 

 




 いつもと違うから、寝心地が、隣に居る相手が。だから落ち着かない。

 

 

 僕はごそごそと動いて、少しでも身体が、気持ちが楽になる位置を探した。

 

 

 

 

 

「………て」

 

 

 

 

 

 暗い部屋に、里見の声が聞こえた気がした。

 

 

 その声は小さくて、ごそごそと動いていた僕の耳には、うまく聞き取れなかった。

 

 

 

 

 

「何?」

「………手、繋がせて」

 

 

 

 

 

 一瞬の、逡巡。

 

 

 

 

 

 いいのか。

 

 

 

 

 

 自分から手を差し出して、手を繋いでいたのに、迷った。

 

 




 夜。布団。で、手を。

 

 

 

 

 

 それ以上を求められるとは、あまり思わない。

 

 

 里見は僕が七星に抱かれて来たことを察したはずだ。

 

 

 里見が七星に抱かれた僕を抱こうとは、里見に気持ちがない僕を抱こうとは。

 

 

 

 

 

 思わない、よね?

 

 

 

 

 

「手、だけ」

「こわいのかな?里見くんは」

 

 

 

 

 

 そんな理由ではないことぐらい分かっているのに、わざと聞く。わざと茶化す。笑う。

 

 

 でも、里見は答えなくて。………黙った。

 

 

 

 

 

 僕は里見の方に身体を向けて、暗い部屋の中、目を凝らして里見を見た。

 

 

 

 

 

 里見は仰向けで、じっとしていた。

 

 

 身動きもしないで。微動だにしないで。

 

 

 

 

 

 どきん。

 

 

 

 

 

 心臓が、変に脈打った。

 

 

 思わず身体を起こした。里見?って。

 

 

 

 

 

 じっと天井を仰ぐその姿が、どうしようもないぐらい、僕は。

 

 

 

 

 

 ………こわかった。

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 

 

 里見が返事をしてこっちを向いて、だから大丈夫なのに。生きている、のに。

 

 


 どくどくと心臓は煩くて、手には汗。

 

 

 

 

 

 死。

 

 

 暗くて見えない。でも見えた。痩せてやつれたその顔に、死、が。

 

 

 

 

 

「夏目?」

「………しょうがないから、繋いであげるよ」

 

 

 

 

 

 起こした身体を横にする。

 

 

 布団に寝る。

 

 

 里見の方に少し、身体をずらして。

 

 

 

 

 

 そして手を伸ばした。里見の布団の中に。

 

 

 

 

 

「だからその上から目線な」

「いいでしょ、里見なんだから」

 

 

 

 

 

 握られる手。

 

 

 握る手。

 

 

 

 

 

 冷たい、手。

 

 

 

 

 

 くすって、里見は笑った。

 

 

 

 

 

「そうだな。俺だからな」

 

 

 

 

 

 眠いはずなのに、身体が怠くて疲れていて、瞼が重いのに。

 

 

 その日僕は、なかなか眠ることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特にアラームはセットしなかった。

 

 

 それがまずかったと言えばまずかったんだと思う。なかなか寝つけなかったし、七星と………だし。

 

 

 でも、普通に里見より先に起きられると思っていた。

 

 

 ずっとそうだったから。ふたりでホテルに泊まった翌朝は、いつも僕の方が先に起きていたから。なのに。

 

 

 

 

 

「夏目、俺ヒマなんだけど」

「………ん?」

「そろそろ起きろよ、さすがにお腹すいた」

「え?」

 

 

 

 

 

 里見に起こされて見た時計は、10時を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の朝ご飯は和食にしようと思ったんだけどなあ」

 

 

 

 

 

 水を一口飲んで、僕はぼやいた。

 

 

 里見はトーストをかじりながら笑った。

 

 

 

 

 

「爆睡してたな」

「もっと早く起こしてくれれば良かったのに」

 

 

 

 

 

 この家は、里見と住むことを夢見て買った家。

 

 

 叶うはずのなかった夢が、遅かったとはいえ、数日とはいえ、叶ったのだから、叶うのだから、里見としようと思っていた日常をしようって、思ったのに。思っていたのに。里見だってそれを望んでいるのに。

 

 

 だから和食を。いつか里見が言っていた朝ご飯を。






 ………なのに。




 

 

「こういうのもしたかった。だからいい」

「………」

 

 

 

 

 

 こういうの、も。

 

 

 つまりは、寝坊、も。






 確かにこれも日常の一コマ。何でもない一コマ。

 

 

 

 

 

「………なら、いいけど」

「しかしお前、朝から大盛りカレーなんて、よく食べられるな」

「お腹すいたんだってば」

「まあ、それは昨夜お前が………」

「里見の作ったカレーにひどいことをしたからです。ごめんなさい」

「棒読みだな」

「だからお詫びに大盛りを食べてるでしょ」

「詫びなんだ?」

「………違う。お腹すいただけ」

 

 

 

 

 

 くすくすくす。

 

 

 くすくすくす。

 

 

 

 

 

 笑う。

 

 

 里見が、僕の前で。

 

 

 

 

 

「うまい?」

「うん。美味しい」

「それを聞いて安心したよ」

 

 

 

 

 

 笑う里見を見て、思った。






 今日は、何をしようか。

 

 

 残された僅かな時間で。里見と。

 

 

 

 

 

 里見が作ったカレーは、何で昨日は味が分からなかったのか分からないぐらい………美味しかった。

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