第95話

 何かあると黙るのが里見だった。

 

 

 

 

 

 里見は何も言わない。

 

 

 口を閉ざして心に蓋をする。

 

 

 だから僕も言えなくなって。言えなくて。いつも黙っていた。

 

 

 

 

 

 でも、黙っていたところで何も変わらない。

 

 

 黙っていればその何かが消えるわけではない。

 

 

 むしろ黙って、蓋をすることによって未消化になって、結果未昇華のままいつまでもある。

 

 

 いつまでもいつまでも。

 

 

 

 

 

 こんな風に。

 

 

 

 

 

 だから来たんじゃないの。

 

 

 それを消化させたくて、昇華させたくて、僕に会いに来たんじゃないの。

 

 

 

 

 

 あるものはあって、ないものにも、なかったことにもできないんだよ。

 

 

 

 

 

 僕のことが好きだったんでしょ?

 

 

 僕とずっと一緒に居たかったんでしょ?

 

 

 それをずっと願っていたんでしょ?

 

 

 強制的に離れさせられて、悲しかったんでしょ?

 

 

 好きなのに何でって思ったんでしょ?言いたかったんでしょ?

 

 

 

 

 

 ないものには。

 




 

 里見。



 どんなに僕を好きと思うことを罪だと思って、思う心に口を閉ざして蓋をしたって。

 

 

 ないものにはできないんだよ。

 

 

 なかってことには、できないんだ。

 

 

 



 だってあるから。そこに。胸に。心に。里見に。

 

 




 僕は、寝室にこもった。

 

 

 

 

 

 

 




 時計が7時を指したところで、僕は下におりた。

 

 

 静かだった。

 

 

 何の物音もしていなかった。

 

 

 

 

 

 台所を覗いた。

 

 

 流しのお皿が洗われて、ふきんの上に伏せてあった。ふたり分。


 



 

 居間を覗いた。

 

  

 里見がひとり、テレビもつけず、ソファーに座ってぼんやりとしていた。

 

 

 

 

 

 何を見て、何を思っているのか。

 

 

 

 

 

 静かな部屋。

 

 

 里見と暮らすことを夢見て買ったこの家の、こんな部屋で里見と過ごしたいと夢見て作った部屋に。居間に。僕ではなく、里見が、ひとり。

 

 

 

 

 

 それはひどく、不思議な光景だった。

 

 

 

 

 

「美浜公園に、行こう」

 

 

 

 

 

 声を掛けたら、びくんって里見の身体が跳ねた。

 

 

 僕を見る顔が、泣いているみたいだった。

 

 

 

 

 

「夏目」

「トイレいい?もう行ける?」

「夏目」

「………何?」

「………」

 

 

 

 

 

 何かを言おうとして、躊躇う。

 

 

 そしてやめる。黙る。俯く。

 

 

 

 

 

「………時間、ないんだけど」

 

 

 

 

 

 特にイレギュラーがなければ、七星は7時半過ぎに仕事を終えて美浜公園に来る。着く。

 

 

 同じぐらいの時間に落ち合いたい。






 ………僕ひとりで。

 




 

 七星にはできれば里見と居るところを見せたくない。見られたくない。

 

 

 

 

 

「ここに居たい」

「………え?」

「夏目が怒るのも分かる。でも、どうしていいのか、何を言ったらいいのか、どこから言っていいのか、分からない。分からないけど、今日は………。土曜日までは、ここに居たい。居させて欲しい」

 

 

 

 

 

 頼む。

 

 

 

 

 

 里見は立ち上がって、僕に頭を下げた。

 

 

 

 

 

「………全部話してくれるならね」

「全部?」

「全部だよ。何もかも」

 

 

 

 

 

 僕にも、分からなかった。

 

 

 どこからどこまでが全部なんだろう。

 

 

 どこからどこまでが、何もかも?

 

 

 

 

 

「………ほら、行くよ」

 

 

 

 

 

 やっぱり泣きそうな顔で立ち尽くす里見に、僕は手を差し出した。

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