第7章第011話 "波"

第7章第011話 "波"


・Side:ツキシマ・レイコ


 ユルガルム領から帰還したレッドさん、行きの空路でとんでもないものを見つけてきました。北の大陸からユルガルム方面へ南下しつつある魔獣の群です。


 報告に来たアイズン伯爵邸の応接室が急遽対策会議室になりました。ユルガルム領を含むネイルコード国北部の地図を出して貰って、レッドさんから得た魔獣の情報を説明します。

 地図に書かれているのは街と街の間の街道、それにおおまかな山地や起伏に河川など。日本にいたころの地図とは比べものにならないですが。既知の海岸線と街と街道についてはそこそこ正確そうですね。


 「魔獣の群がユルガルム領へ…か」


 「時間的余裕はまだあるようなんですけど。たしかユルガルムって、元々北の大陸からの魔獣の南下を防ぐって役割もありましたよね?」


 「うむ。この地図のここ、ユルガルムの北東、この海まで続く谷がけっこう険しくなってましてな。他の北側の壁の向こうは海への絶壁、南側はそのままネイルコード国の北から東を塞ぐ山脈に連なっております。ここを押さえておけばほとんどの魔獣は防ぐことが出来る要所になっていて、関も作られています。ユルガルムが王国だった頃の遺産ですな。たまに山脈の方を乗り越えてネイルコードまでくる個体がわずかにいる程度で、ここを押さえておけばだいたいネイルコード国内は守られます。」


 ダンテ隊長が説明してくれます。

 関と言っても人が行き来する関所とかではなく、ダムという意味の関ですね。ほんと、ユルガルムはネイルコードの盾になっていたんですね。


 「あと、西側からも多少魔獣が流れてきますが、数は少ないですね。こちらは元々未踏破の地域が多く、どこからやってくるのか未だよく分かっておりません」


 「エルセニム国の北、たぶんユルガルム領のずっと西の方にも、魔獣が南下してくる地峡があるって言われているわね。そちらから来る魔獣は、大体はエルセニム国の方を目指すみたい。あいつらどうもマナを探知しながら彷徨うのではって説があったわね」


 大陸の形を記した地図の空白になっている部分を挿しながらマーリアちゃんが説明してくれます。

 ダーコラ国や正教国から見ると北に広がる広大な山地の向こう側。探索隊が出たことがあるといっても"赤井さん"赤竜神の住んでいる山地までだそうで。

 大陸東方の人類居住地の北限は今知ってる限りではユルガルム領、次点でエルセニム国といった感じのようです。

 大陸西側、砂漠の向こうでは、海岸線に沿っていろいろ探査しているようですが。そちらの情報はあまり入っていないそうです。


 「レッドさん言うには、小ユルガルム領での蟻とおぼしき群れが、たぶんこの谷に向かっているそうです。あの時より規模が一桁大きいそうですけど」


 「一桁…あれが最低でも十倍ってことか」


 エカテリンさんの眉間に皺が寄ります。

 エカテリンさんは小ユルガルムの防衛戦時には護衛に徹していて参戦はしていませんでしたが。倒された蟻はけっこう沢山見ているはずです。


 「それぞれの個体は、まぁ野犬程度の脅威ですが。ともかく数で押してきますからね、あいつら」


 「今のユルガルムで防衛できそうか?」


 アイズン伯爵がダンテ隊長に問います。


 「事前に知らせが行けば準備時間は取れるでしょうが。それで十倍の蟻を捌けるかどうかとなると… 私も谷の砦を実際に見たことが無いので」


 「関で食い止められなければ、大小ユルガルム領の盆地での籠城。それで押さえられなければ南方へ避難か… いや、今ユルガルム領を失うのは痛すぎるな」


 ユルガルム領は、金属の鉱山と硬貨鋳造の拠点ですからね。資源的にも経済的にも痛い損失となります。


 「早速王都の方へ伝令を出します。まず間違いなく王国軍も救援に出ることになるでしょうね。幸いなことにまだ時間はあります」


 「小竜神様が事前に発見してくれて良かった。もし奇襲の形になっていたら、防ぎきれるか分からんかったところだな」


 「ふむ。さしあたっての問題は、まだユルガルム側がこの情報を知らないってところだな。まずはユルガルムに連絡せねばならんな。レイコ殿、先ほど帰ってきたばかりなのに強縮なのだが、明日にでも再度小竜神様にユルガルム領に飛んで貰えないだろうか? 時間に余裕があるとは言え、一日たりとも無駄にはしたくない」


 「承知しました。レッドさんいける?」


 「クーックククッ!」


 「任せとけだそうです」


 「ははは、頼もしいな。あと、レイコ殿にもこの度は参戦してもらいたいのだが…」


 「わかりました。行きますよ。せっかく色々作ってもらっている街ですしね。守らないと」


 「レイコ、私も行くわよ」


 ユルガルム防衛戦ですか。これが戦争ならともかく、災害のようなものですからね。見て見ぬフリは出来ません。


 「あなた。私もユルガルムに参ります。ターナンシュの側にいてやりたいのです」


 マーディア様が心配されています。


 「ターナンシュはユルガルムから避難させたいと思っていたのだが…」


 「レイコ殿と小竜神様が行かれるのなら、ユルガルム領都に危険は少ないと見ます。それに、領主夫人の親族がわざわざ訪れるということで、向こうの領民の動揺も抑えられるでしょうし」


 「…分かった。ただしわしも行くぞ」


 「僕も行きますっ!」


 マーリアちゃんも行くということで、クラウヤートも参加になりました。バール君も大きくなりましたので、蟻くらいなら対処できるかな? 試すようなことはさせませんが。


 「私はまた留守番ですか? 妹とは結構長いこと会っていないのですが… 私も甥の顔くらい見たいですよ」


 「万が一に備えるのも領主の役目じゃ。あきらめろ」


 居残り決定のブライン様がぼやきました。伯爵が動き回る分、いつもエイゼル市に居残りですね。


 影のクッフさんが緊急会議の後、日が暮れかけていたにも関わらず馬で王都に向かいました。向こうでもすぐに対応の検討が始まるでしょう。




 次の日。レッドさんが再度ユルガルム領に連絡に飛び立ちます。今回は先触れはありませんのでレッドさん自身で知っている人をユルガル城で捕まえる必要がありますが。昨日の今日ですし、たぶん問題は無いでしょう。


 「間に合いましたっ? 間に合いましたかっ! よかった…」


 ファルリード亭で待機しているところに、影のクッフさんが飛び込んできました。私が抱っこしているレッドさんを見つけてホッとしています。

 王都からの書簡を届けに来てくれたんですね。昨日の今日って事は、王都の方々も夜通しで対処してくれたようです。

 書簡が来ると分かっていたのなら、普通に待っていたんですけどね。この辺イレギュラーで致し方なし。王都との電信の開通が待たれます。


 「ご苦労さまです、クックさん…まず馬を休ませてあげて下さいね」


 「ありがとうございます。こちらがカステラード殿下からユルガルム辺境候への書状になります。よろしくお願いします」


 クックさんが、馬留に行く前に王都側での決定事項を簡単に説明してくれます。

 まず、王都からはカステラード様が千の兵員を引き連れて先発することになりました。ただ、行軍と馬車とは速度が違いますので、カステラード様と騎乗の護衛騎士部隊が別行動で先行します。

 千名はあくまで先発隊で。食料や武具資材などの輜重輸送も続きますし、更なる増援も検討中です。まんま戦争の準備ですが、ユルガルムはネイルコードの同盟国として今までも連携して事に当たってきた歴史がありまして、この辺の事情がネイルコード国に従属することになった大きな要因でだそうです。



 ちなみに、今回のような魔獣の大量発生は今までにも何度かあったそうで。この国ではシンプルに"波"と呼んでいます。

 過去に東の海の向こうから渡ってきた人々によって作られた聖王国。そこから陸伝いに東へ、ダーコラ国、ネイルコード国、そしてユルガルム国と版図を広げてきた人類ですが。これは魔獣を討伐して人の住む領域を広げてきた歴史でもあります。

 まぁ大陸の南側は魔獣の密度はさほど高くなかったと言うことでここまで版図を広げられましたが。エルセニム国やユルガルムの北に魔獣を封じ込めているという状態が、定期的に魔獣が"波"として溢れるという状況を生み出してしまったようです。北にあるらしい大陸、そこで増えすぎた魔獣が糧を求めて南下するというだけの話ですが。文字通り波のように押し寄せるのです。


 人間をマナの餌としか見ない魔獣が相手です。ユルガルム領を抜けられたら、テオーガル領や王都周辺が矢面に立つことになりますので、同盟を組んで協力して封じ込めてきたという歴史があるそうです。どうりで決定が早いですね、普段から想定されている事態ってことですか。


 少ないときはせいぜい数百程度の"波"だったそうですが、今回は文字通り桁違いの"波"。正教国の事件の後に公開された情報では、前回の蟻は正教国で"作られ"、ユルガルムに試験的に放たれた…ということですが。今回は小ユルガルムから逃げ出した蟻が北の大陸で他の魔獣を淘汰して増えたというところでしょうか? または別口? こちらがオリジナルかも?

 まぁその辺の調査は専門の人に任せましょう。


 それではレッドさん、再度ユルガルムへのお使いをお願いしますね。いざっ! レイコカタパルトッ!



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