少女と悪魔(3)

 別の仕事についてあれこれと考えている間に、朝になっていた。コウモリに取って来させた新聞の、隅々まで目を凝らしたが、昨日の事件については何ひとつ載っていない。これであの悪魔たちがどういう計画のもとに動いているのかは大体想像がついたが、一応、確認はしておいた方がいいだろう。

『お出かけですか。あの少女は……?』

 俺が支度を始めると、コウモリがぱたぱたと翼をはためかせた。

「まだ眠っている筈だ。ゆっくり寝かせてやれ。どうせ魔法も効かないから、目覚めて何か始めても、基本的には放っておけ。ただし、外には出ないように気をつけておいてくれよ」

『はあ……、かしこまりました』

 コウモリは少し困ったようにその場で体をぐるりと回転させた。その小さな頭を撫でてやると、気持ちよさそうに、目を細めた。

「いつも俺のわがままにつき合わせて、悪いな。ただでさえ疲れてるところ、訳の分からない仕事を押し付けて、すまないな」

 今度、ちゃんと休みをくれてやるから、と付け加えると、コウモリはつぶらな瞳で俺を見つめて、慌てたように旋回した。

『わがままだなんて、滅相もございません。私どもはご主人様の命令に従うことで生存を保証していただけているのですから』

「ありがとう。本当に、いつも助かるよ」

 ジャケットを羽織って廊下に出て、そこでひとつ、思い出す。

「そうだ、あの少女には魔法の類は効かないが、直接本人に作用する訳ではない物なら、きっと身に付けることが出来る筈だ。もし、目を覚まして制止を振り切って出かけようとしたら、護身の役に立ちそうな物を持たせてやってくれ」

「はい、ご主人様。……ですが、そこまでする必要がありますか? 確かに、あの少女は、あの天使によく似ています。でも」

「いいんだよ。乗り掛かった舟だしな」

 それに、人間の少女なら、いくらあいつに似ていると言っても、助けられなかったときに、さほど気にもなるまい。

 俺の答えに、コウモリは分かったような分からないような相槌を打った。

 世間はまだ起き出していないようで、新聞配達の自転車が走って行く音ばかりが耳につく。念のために勤め人を装って、俺はゆっくりクラーク邸へと向かった。二人の人間が毒殺されたにもかかわらず、それが報道されていないということは、考えられる可能性は二つだ。

 まずひとつは、単純に事件が発覚していないということ。だがダイアナの話では、その場には「お手伝いさん」がいたということだ。ある程度の社会的地位にある家庭がそういう仕事を頼むなら、多くの場合、斡旋所に仲介を頼むものだろう。となれば、家政婦たちは、通いにしろ住み込みにしろ、斡旋所に日々の業務報告をしている筈だ。しかし一家惨殺の巻き添えとして「お手伝いさん」が死んでいるのだとすれば、斡旋所への業務報告は出来ない。そうなれば斡旋所はクラーク家へ連絡を取るだろうし、そこで事件が発覚するのが普通だろう。

 だから、濃厚なのは、もうひとつの可能性。

 クラーク邸の数メートル手前で、俺はカラスに姿を変えた。上空に舞い上がり、定時連絡を交わす他の群れにひと声掛けてから、クラーク邸の庭木に留まる。大きな屋敷の、ちょうどダイニングに当たる部分が、よく見下ろせた。広々とした空間に、温かみのある家具や調度品が見える。テーブルを囲んで、談笑している家族らしき人影があった。男と女と、年端の行かないひとりの少女。家政婦らしき人間が、キッチンとの往復をしている。一見して、何の違和も感じない、ごく普通の、朝の光景。

 やはり、そうか。

 こうして目の前にして、予想は確信に変わった。残されていたもうひとつの可能性、それが今、眼前に繰り広げられている。クラーク一家のすり替えだ。あの眼鏡の悪魔は、これでひとつの外交駒を手に入れたという訳だ。使える駒は多ければ多いほどいい。ダミーのクラーク一家を用意しておき、本物を皆殺しにして、すり替える。手間数が多くて面倒ではあるが、確実に動かせる駒がどうしても必要になれば、悪魔なら誰でも一度はやるような手法だ。俺も昔、ご主人サマの命令を受けて、やったことがある。と言っても、手間に比して実入りが少なく、あまり効率的ではないという印象を持ったため、その類の仕事はもう受け付けていないのだが。

 俺の目の前で、髪型や瞳の色がダイアナそっくりのダミーダイアナは、ダミーの両親と幸せそうに話をしている。しかし、外見はそっくりでも、本質はダイアナとは全く違う。何せ悪魔が用意したダミーだ。魂の質が、似ても似つかない。このダミーダイアナに助けを求められたとしても、俺はきっと、指を鳴らす気にはならないだろう。

 さて、ダイアナには何と伝えるべきだろうか。

 俺は、家で待っているであろう、本物のダイアナの顔を思い浮かべた。昨晩はじっと堪えていたようだった涙が、赤い頬を青く飾るさまを想像した。くそ、やはり面倒ごとを拾うべきではなかった。愛する天使に似た顔が、暗く沈む様子など、見たくはないのだ。

 そんな逡巡をしているときだった。俺がカラスとして留まっている木の下で、ぱきりと、落枝らくしを踏む音がした。さっと見ると、そこには見覚えのある金色のツインテールがあった。

 ダイアナだ。

 コウモリの制止を振り切り、追いかけて来たのだろう。しかし、間が悪かった。もう少し遅れて来てくれれば、こんな光景を目の当たりにさせず済んだものを。

「う、そ……なんで、え……あれ、私? それに、パパと……」

 どんどんと青ざめていく顔を覆うようにして、ダイアナは後ずさる。すぐにでもその目を塞いでやりたかったが、こんな所で出て行くわけにもいかない。邸宅の門、庭の出口の方へ後ずさっていくダイアナの体が、そこへ行き着くことなく、大きく傾いだ。クラッカーのような音と共に放たれた銃弾に貫かれた彼女は、叫ぶこともなく、茂みの中に倒れた。

 死体は後で回収すればいいという判断なのだろう。スナイパーの気配は既に消え、偽物の一家は窓ガラスの向こうで起きていることに気が付いた素振りすら見せない。周りに魔性の気配がまったくないことを確認して、俺は屋敷から離れてダイアナの傍へ舞い降り、元の姿に戻った。

「ダイアナ……」

 胎児のように丸まった少女は、浅い呼吸を繰り返している。目元を覆い隠してしまっている乱れた金髪を整えてやると、見開いたままのスカイブルーが、急速に光を失っていくのが分かった。その、僅かに残った光が俺を捉え、揺れた。

「お兄、さ……」

 銃弾は正確に胸元を打ち抜いたらしい。しかし、それでも即死しなかったのは、スカートのポケットから転がり落ちた、懐中時計のお蔭だろう。因果律を弄って、所持者に向けられた悪意をほんの少し緩和してくれる道具だ。コウモリの機転に感謝しながら、俺はダイアナの顔を覗き込む。

「ダイアナ、喋らなくていい。分かるだろうが、お前に残された時間は、あと僅かだ。お前は昨日、まだ生きていたいと言ったな。幸運なことに、俺は、それを叶えてやれる」

 ダイアナの呼吸が、弱まっていく。力の抜けた小さな手を握ってやると、虫の息にもかかわらず、少女が少し微笑んだような気がした。

「ダイアナ、俺と契約しないか」

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