ある天使の肖像(4)

 話を終えると、悪魔はふうん、と、肖像画を見つめた。

「その画家は、かなり変わった奴だな」

「そうなんだ。普通、そこまで私という存在に思い入れを抱く人間はいないんだが‥‥‥。こうして絵を見るまではすっかり忘れてしまっていたけれど、見たら鮮明に思い出せるものだな。やはり、処分なんて出来ないよ」

 再び、絵に圧縮を掛けようとしたとき、悪魔がそれを止めた。

「ちょっと待ってくれ。確認したいことがある」

「‥‥‥?」

 悪魔は絵の裏側に回り、キャンバスが木枠に留められている辺りをじっくりと調べた。鑑定家のような物腰だ。やがて彼はひとつ、大きく息を吐いて、私の隣に戻って来た。

「何かあったのか」

「ああ。天使サマは天使サマの癖に、随分と罪作りだってことが確信できたよ」

 まあ、確認するまでもなく、話を聞いただけで分かってたけどな、と呟く彼の言葉の意味が、私にはよく分からない。疑問符を浮かべる私に、悪魔はもうひとつため息をつき、キャンバスの裏側を指で示した。小さな、小さな文字で、画家のサインの下に、アルファベットが並んでいる。

『My angel in love.』

「dearじゃない、loveだぜ。その画家は、お前に恋してたってことだ。いや、恋なんて通り越してたのかもしれん」

「な‥‥‥」

 もう一度よく見直すが、文面は変わらない。肖像と同じだけの年月を感じさせる絵具の具合は、この文が画家の手によって書かれたものだと示している。言葉の出ない私に、黒髪の悪魔は面白そうに笑った。

「お前の魂の輝きは、人間にまで恋情を抱かせるものなんだな。流石は俺の愛するエンジェルだ」

 何と言っていいのか、さっぱり分からない。あまりに思いがけない事実に、頭がついて行かない。そんな風に思われていたなんて、当時も、そして今の今までも、まったく思わなかった。

 ‥‥‥ただ。こうして絵を前にして、当時のやり取りを思い返してみると、そこには穏やかな魂の交流があったのだと分かる。私にとっては人間に近づけるよい機会だったあの日々が、彼の魂に深く根ざし、少しでも彼を幸福に出来たのだとすれば。

 それは、間違いなく天使としての幸福だ。

 絵を圧縮し、掌に載せる。彼と過ごした幸福な時間も、またいつでも開けるように、圧縮する。元の場所にそれを仕舞い直し、私は現在に戻る。今、目の前にいる悪魔に、手を差し出す。

「昔話はここまでにしよう。さあ、コーヒーを温め直すから、居間に戻ろう」

「ああ、そうしようか」

 私の手を握るのは、あの日握った画家の手とはまったく違う、冷たく、すらりとした手だ。いつか、こうして過ごす時間を、ふたりで思い返して笑い合う日も来るのだろうか。

 また会いに行きますね、と心の中で呟いて、寝室の戸を閉めた。

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