中傷 〈異世界ファンタジー 転生 転移 憑依〉
元亀三年(1573年) 12月22日 浜松城下町
───暗い。狭い。痛い。寒い。なんかいい匂い。
目を開けるとそこは五つの〇〇いで表せる場所だった。着物を着たジジイが目の前にいて、大きな鍋をかき回している。ここは何処? 私は誰? 一生こんな言葉を言うシチュエーションなんてないと思っていたが、私は大声で言った。
「ババア、何を言っとるだがね? そんなとこで突っ立ってないで早く手伝え」
バッ、ババア? 誰がババアですか? 確かにもうすぐ五十ですがまだババアって言われる年じゃないんですけど。私はジジイに言い返そうとして、はっと気が付いた。
───仁美部長、憑依選んじゃったみたいです!
確かさっきまで、新企画の説明受けていて、白尾君が試しにって言って、それで陽気な神様が出てきて、松平支店長に仕返ししたいってお願いして。
私、ババアに憑依しちゃったんですか? 憑依したって事は死んでるの? それじゃなきゃ無理よね。ぎゃー! パニックです、混乱です。
「おい、ババア、わしの団子はまだかね」「こっちの甘酒の方が先だよ!」
私、呼ばれてる? どいつもこいつも私をババア扱いして怒れるわね。
暖簾をくぐって声のする方へ行くと、五人くらいのオッさんとオバサンが座っていた。どうしてみんな着物着てるの? 時代劇で見た事がある赤い布が掛けてある長椅子だ。まるで茶店のようだ。
「すっ、すいまへん。ここは何処ですか。みなさんどうひて、きもにょを」
ババア、歯がないよね? 質問が通じていない。みんな一瞬、私を見たが無視した。ジジイが使えないババアだなと舌打ちして、手際良く団子や甘酒を出す。
私は恐る恐る手を見る。しわくちゃだ。両手で顔を擦る。ババアじゃん。半泣きで垂れた乳を触っていると、客がべちゃくちゃと話しだした。
「とんだ事になったな、また戦が始まっただ。信長包囲網に参加した武田軍が二俣城を兵糧攻めにしてるらしいぞ」
「家康様はどうするつもりじゃろ。わしゃ、武田の大将が病で長くないって聞いた。きっと撤退するから信長様が城を出るなって言ってるらしいで」
「ワシもその噂を聞いた。実は罠だったりして。家康様は
みんな何を言ってるのかな。一度整理しよう。うん、この会話から考えると、戦国時代に来ちゃったよね。で、歯のないババアに憑依してるんだよね、私。
「家康軍は
「信長様が出るなって言っただに。本田様もついてるだで大丈夫かと思っただら」
だら、だで、だにって何の三段活用? 方言きついよね。私は意を決して会話に加わろうとした。その時、汚ったないオヤジが店の中に倒れ込むように入ってきた。
「おい、ババア、餅をくれ。餅じゃ、餅。腹が減っては戦が出来ん」顔のデカイその男は、私を見るなり、餅をよこせと騒ぎだした。
「おお、お侍様だら。ババア、早く餅を食べさせてあげんといかんだに」客の一人が、その顔のデカ男を担いで椅子に座らせた。
───どこか見覚えのある顔だ。私は汚ったないオヤジの顔をまじまじと見る。
「ひっ、ひっえー! まっ、松平支店長にそっくり。なんでここにいるんでしゅか?」歯のない口元を隠して顔のデカイ男に聞いた。
「ババア、何でおっ、俺が松平支店長って知っている? 違う! 俺、いやワシは徳川家康だ。いや嘘だ。ただの旗本の三男坊、松平慎之助だ。そんな事より早く餅を出せ」
松平慎之助と名乗る顔デカ男は態度もデカい。間違いない。松平支店長だ。
「お侍さま、お疲れでございましょう。こちら小豆餅でございます。是非」
ジジイが皿にてんこ盛りの小豆餅を乗せて、顔デカ男に差し出した。やっぱり士農工商なんだね。歴史の授業で習ったよ。商売人は侍に媚びへつらうんだ。
「ジジイ、美味い。この店はきっと繁盛してるな。看板娘を雇ったらもっと客が入るだに。そこの歯なしババアの代わりにキレイな町娘を雇え。それじゃ」
顔デカ男はそういうと、汚れた膝をパンパンとはたき、店を出ようとした。
「ちょっと待った! 一言多いそこのオヤジ、許すまじ。あんたやっぱり、松平支店長だね。あんた転生してるでしょ! 私はババアに憑依してるだに。いや憑依してるだで。憑依してるだら。何が正解? いや、そんな事よりお金払いなさいよ! 小豆餅三つ分、払いなさいよ!」
逃がすまじ。私は曲がった腰を伸ばして、松平支店長を睨みつけた。
「うるさいぞ、ババア。いや仁美君、細かくてケチなオバサンは嫌われるよ!」
顔デカ男は私が誰か分かったようだ。それはちょうどいい。願ってもない。もうスモールG商事の上司と部下という関係じゃない。餅屋のババアと徳川家康。
侍だろうと関係ない。ちゃんと頂く物は頂く。茶店のババア舐めんなよ。
「ババア、悪く思うなよ。こちとら三方ヶ原の戦いで疲れてるんだから失礼致す。では!」顔デカ松平支店長はさらに大きい顔をしてドヤる。
「あんた、信長様の言いつけ守らなかったんですって? 城から出るなよって言われてたくせに勝手な判断で進軍したんでしょ! もしかして今回もでしょ?」
私はジジイに渡された入れ歯をはめてしっかりと問いただす。
「ふんっ。お前に何が分かる? 信長様の書状には出るなよ、出るなよ!出るなよ! って三度書いてあったんだ! つまりは出ろって事だ。それに武田信玄は重病だと噂で聞いた。今、奇襲攻撃しないでいつするんだ!」
「そういうとこだぞ、松平。あんたワタル部長の命令無視した事あるよね。社長が重病だっていう女子社員の噂話を信じてさ、自分が社長代理になれるって思ったんでしょうね。その厚顔無恥が禍いして左遷されたくせに。……あっ、それで分かったわ。あの天下とった徳川家康が三方ヶ原の戦いで負けたのは、あんたのせいよ! 城下町での噂話を信じて奇襲攻撃したんでしょ! 罠だっ」
松平支店長、もとい、徳川家康は私の話を聞き終わらないうちに、黙れと叫んで馬をほどき、駆けていく。案の定敗走中らしい。武田軍に追われている最中に腹が減って、小豆餅を所望したのだ。
───絶対に逃がさない。私は草履を外履きに替えて、馬を追いかける。転ぶ。
やばい。無理じゃん。ババアの体じゃね?! 腰曲がってるよね。伸ばしたけどすぐ曲がるよね?! もう、こんな時は異世界ではどうするの?
「仁美さん、空間操作だ! 今、松平支店長、もとい徳川家康はここから二キロ先にいる。ワープ、ワープしろ! チート能力だっ。行けー!」
耳元で声がする。誰?
赤いジャージの男。リーゼント。黒いサングラス。竹刀。
───小さいオジさん マサルだー。もっ、もしかして転移してきたの!
『聡明な者は危険に気付いて身を隠すが、経験のない者は進んで行って当然の報いを受ける』 箴言の書 二十七章十二節
すいません、一話で終わるはずでしたが、楽しくなってしまいました。
まだ続きます。お時間あればお付き合い下さいませ。m(__)m
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます