第42話 Annie's Garden 早春の約束2

そこからは恋バナだった。アニーばあちゃんのものすごく男前の旦那さんがどれだけ素敵なアプローチをしてくれたかとか、白黒の写真を前に世紀をまたぐ恋バナ。結局私は夕方まで彼女と一緒だった。


遠く出張ってきたのに収穫のない一日。そこに見知らぬおばあさんの昔話が延々と。それだけ聞くとうんざりするような出来事だ。けれどそうではなかった。私たちの間に流れた時間をどう表現していいのか。一方的なようでありながら、ただただ優しくて温かい時間だった。


柵の向こうを見つめる私はどんな顔をしていたのだろうか。けれど、夕方の光の中で、私は自分が住みたいと思えた街にいる、素敵な人の存在に心から満足していた。アニーばあちゃん、もう「おばあさん」なんて他人行儀な呼び方はできない。


「この街に来るんだろう?」

「いい部屋が見つかったらね」

「そうかい、楽しみに待ってるよ」


でもそれは叶わぬ夢となり、もっとずっとコニーアイランド寄り、大きなラティーノコミュニティーに引っ越した私はそれから多忙な毎日を送り、コンポスト活動に顔を出す暇はなかった。


そして気がつけばロングアイランドの奥へと移り住んでいて、早春の庭からとんでもなく長い時間が経ってしまっていたのだ。


もう、アニーばあちゃんに会えないことは私にだってわかる。ずいぶん不義理をしてしまった。ランチの借りは返せず終いだ。菜園はどうしただろう。人気の街のいわば一等地。残されているかどうかも怪しい。あの日、部屋には大統領と笑顔のばあちゃんの写真も飾ってあったけれど、不況の中、家賃は上がる一方なのだ。


それなのに。熱帯低気圧の影響で強い雨降る日曜日、所用でブルックリンを移動中だった私は、窓ガラスに叩きつける雨滴の向こうに見た。記憶よりも鬱蒼とした空間がそこにはあった。”Garden of Union”というくくりで、今も大切に保存されていると知ったのは帰宅後だ。


「また来るよ。今度は必ずね」


私は心の中でアニーばあちゃんに言った。春はまた、可愛いクロッカスを連れてくるだろう。季節は巡る、決して終わらない。想いも同じだ。あの庭にはきっと、優しい笑顔が残されたままに違いない。

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