【第一の選択肢の世界線の結末】
One of the future:hand‐in‐hand
──コンコン、と、背後からノックが響いた。
外なのになんでノックの音がしたんだろう? 頭に浮かんだ疑問は、そのあとに聞こえた声のせいですぐに吹き飛ばされた。
「それは、俺の方で合っているか」
ずっと聞きたかった声が後ろから聞こえて、息が止まりそうになる。ゆっくり振り向くとそこにいたのは、カーキブラウンで少しクセのある髪を括って、茶と緑を混ぜたような綺麗な榛色の瞳。会いたかったその人が、すぐそこに立っている。
「うそ………なん、で………」
なんで、テオドールが。呟いた声が掠れる。自分の頬を引っ張ってみるが──痛い。
「間抜けな顔だな」
ニッと少し意地悪そうに笑って、テオドールは私を見下ろした。
「夢じゃない、の……?」
「確かめてみるか?」
恐る恐る、その服の端に手を伸ばす。……掴めた。思わず顔を見上げると、テオドールは顔をほころばせて、私を抱き寄せた。暖かい。それに、ちゃんと心臓の音も聞こえる。背中に腕を回して、力一杯しがみついた。大きく息を吸って吐く。テオドールの匂いがする。ああ、本当にここにいるんだ。
「……ちゃんと、生きてる。」
「ああ。実体がなかったらどうしようかと思ったが、大丈夫みたいだな」
よくわからないけど、こうしてしっかりと感触もある。間違いなくここに、テオドールはいるはずだ。テオドールは私の頬を撫でると、手を差し出した。
「ほら、忘れ物だ」
そう言って渡してくれたのは、あの戦いで失くしたと思っていたテオドールの瞳の色の守り石だった。まさかこのために、来てくれたのか。
泣き笑いの私に、テオドールが目尻の涙を不器用に指で拭ってくれた。……なるべくそっと力加減しようとしているらしいところが、変わらずテオドールらしい。
「そういえば、どうして……? いやどうやって……??」
目の前にテオドールがいるということに感極まりすぎていたが、頭の中は疑問でいっぱいだ。
「まあ、簡単に言うと、光の神に頼んだんだ」
「光の神……に……?」
一体どうやって光の神に会ったのだろう。さらにわからなくなった。
「光の神が言うには、心から望むとき扉は開く、だそうだ。
ユウキも望んでくれたから、俺はお前に会えた」
望むとき、扉が開く。もしかして、さっきのノックの音。この世界とあの世界を繋ぐ扉が、存在するということなんだろうか? そう思った瞬間に、大きな光の扉がシュンと音をたてて目の前に出現した。
「わあ……」
え、、ここは今、間違いなく私の世界だよね?! はっとして思わず周囲を確認する。ちょうどよく誰もいなかったようだ、良かった。
「テオ、これ人に見られるのはまずいかも」
「そうか、こっちは魔法がないって言ってたな」
「ついてきて」
頷いて、テオドールの手を引いて早足で歩く。家まですぐでよかった。もしかしたら他の人には見えないのかもしれないけれど、念のためマンションの自室に戻ってからなら、人目もなくあの扉が現れても問題ないだろう。……天井の高さが足りるかな。
マンションの部屋に帰りつき、ほっと息を吐く。幸いここまで誰にも会わなかった。
「ここがユウキの家なのか?」
「うん。学校の近くに部屋を借りてるの」
テオドールは小さくガッコウ……と復唱して、物珍しそうに色々なものを眺めている。
「他に誰もいないのか」
「ここは私ひとり。実家にお母さんと、あとは、お姉ちゃんが海外……えーと、すごく遠いところに住んでるよ」
私の部屋にテオドールがいる。なんだか不思議な光景だ。……そう、部屋に、いるんだ。今までの旅をしていたときと状況が違う。部屋の中に私とテオドールの二人だけ。それが急に恥ずかしくなってきた。いやいや。頭を振って雑念を振り払う。
「どうかしたのか?」
「なんでもない!」
とにかく、さっきの扉を見てみなきゃ。もう一度、世界を繋ぐ扉をイメージしてみると、目の前に光を放つ大きな両開きの扉がまた現れた。扉の模様はあの光の神殿の屋上に彫られているものに似ている気がする。
「これは、向こうとこっちの行き来ができるってことなのかな」
「……さあな。そうかもしれないが、詳しく教えてはくれなかった」
どうすると問いかけるように、テオドールはこちらに視線を向けた。この扉をくぐったらもうこちらに戻ってこれないかもしれないし、そうでないかもしれない。そう言いたいんだろうけれど。
「まずは一度行って試してみようか」
「……そんなにあっさり決めて、いいのか?」
「だって、今ならどっちの世界だとしてもテオと一緒だし……」
こうしてテオドールが会いにきてくれた。もう戻れない可能性もあったのに。それだけで、色々どうでもよくなってしまった。生まれた環境が違いすぎるから一緒には居られないと、そう考えていたけれど、それは思ったより些細な問題かもしれない。どの世界にいても、テオドールといられるならそれでいい。
「それにテオも、二つの世界が繋がればって……そう思ってくれたんだよね?」
お互いの大事なものを手放さず、一緒にいることもできる。なんとも欲張りだけど、実際にこうして会えたのだから……光の神を信用してみてもいいと思う。
「私、家族にテオのことを紹介したいし、せっかくだから一緒に食べにいきたいスイーツもある」
「すいーつ?」
「甘いものね。プリンみたいな」
プリンと聞いてテオドールの顔が好奇心に揺れたのがわかる。色々なものを一緒に見たり、食べたり……それを共有できる、幸せ。それを思うと自然と笑顔になる。
「あと、スピカに会いに行きたい。お父さんもどうなったか知りたいし、お二人に改めてご挨拶も……したいし……
全部テオと一緒にいきたい。……行ってくれるんでしょ?」
テオドールは少し目を丸くしていたけれど、ふっと顔をほころばせると──仕方ないやつだな、と言いたげな、でもとても優しい私の大好きなあの表情で、私の頭をくしゃっと撫でた。
「ああ、もちろん。
どの世界だとしても……ユウキ、お前と一緒にいたいから、俺は扉を開いたんだ」
世界を渡るにあたり、念のため書き置きを残すことにした。万一の場合後始末を任せる謝罪と、感謝と別れの言葉。もしこの世界に戻れなくても、きっとあの母と姉なら、私の選択を否定しないでくれると思う。書き終わった手紙を折り畳んで机の上に置いた。
「ありがとう、テオ。おまたせ」
「……もういいのか?」
「うん。きっと戻ってこれると思うから」
改めて出現させた光の扉の前に並んで立つと、コンコン、とノックする。光の扉は音もなく、でもゆっくりと向こう側へ開いた。扉の中は光の渦だ。
テオドールと視線を合わせると、ニッといつものように笑ってくれる。
「いくぞ」
「──うん!」
きっと、これからも色々なことが起きる。それでも、この手を放さないように、離れないように。握った手の力を強くして、テオドールと二人で扉の向こうへ踏み出した。
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